歴代住職のご供養と
合葬墓縁故者のご供養
会津斗南藩縁故者のご供養
戦没者のご供養を
開山忌ならびに供養祭として
執り行いました。
好天のもと
心静かに祈りを
捧げることが出来ました。
激動の時代の荒波が
幾度もあり
現在があります。
そんなことに
思いをいたしつつ
祈りの誠を
捧げさせていただいた
令和6年の開山忌となりました。
歴代住職のご供養と
合葬墓縁故者のご供養
会津斗南藩縁故者のご供養
戦没者のご供養を
開山忌ならびに供養祭として
執り行いました。
好天のもと
心静かに祈りを
捧げることが出来ました。
激動の時代の荒波が
幾度もあり
現在があります。
そんなことに
思いをいたしつつ
祈りの誠を
捧げさせていただいた
令和6年の開山忌となりました。
2〜3年程前から
当ブログに掲載・更新している
「基礎資料」を一部更新しました。
これは
この10年の整理や調査の成果を
反映させて
当山の歴史をたどれるよう
時系列に箇条に記したものです。
昨今流布する書籍や文章を見ますと
近代以前の宗派感覚など
専門的に通じていないと
捉えにくい部分についての検討が
不十分なのは仕方ないとして
当山に関わる歴史についての記述について
当山が所蔵する史料(棟札含む)が
書き伝える内容などが
全く踏まえられることなく
仮説に仮説が重ねられた状態で
さもそれが認証され
市民権を得たかのような体裁で
紹介されているものが
多い印象があります。
中には
明らかに間違ったものも見受けられ
そのようなものになると
結果的に発信者自身の
研究手法自体に疑念を
抱かせてしまいかねず
信用を失いかねないという
大きなリスクを
抱えていることになります。
そもそも
当山が所蔵する文書や仏像などについて
体系的にまとめられ
世に紹介されているような資料は皆無ですし
近世の史料の内容自体に誤植が認められるなど
現状が現状なので
仕方がないことといえるかもしれません。
世に出す書籍について
研究畑の方や
研究者的アプローチで執筆する場合
言い切る形で述べる必要があるので
あくまで限りある情報から
述べたということと理解しています。
拙僧泰峻も
研究機関に所属して
現在進行形で研究職にもついているので
限界を孕んだ事情は痛いほど分かります。
当山については
10年前と現在とでは
整理された情報のボリュームが
格段に異なるので
後々に正式にまとめやすいよう
数年前から基礎資料として
こちらで紹介している次第です。
後々にまとめる布石としての基礎資料は
令和5年の事柄も反映させたので
ご興味をお持ちの方に
お役立ていただければ幸いです。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])を典拠にしたものについては青字で記します。(※一部追記アリ。)
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料の年代等を緑字で記します。前回のものに追記したものがあります。
※弘法大師空海や興教大師覚鑁の両祖大師に関すること、寛永11年[1634]以降の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。
※近世以前(ここでは寛政12年[1625]以前)については、当山の過去帳を主な典拠として橙色で記します。(※一部追記アリ)
初代住職のご法事にあわせて
歴代先師のご供養を行う
開山忌(かいさんき)にあわせ
合葬墓縁故者のご供養
会津斗南藩縁故者のご供養
戦没者のご供養を
お勤めいたしました。
天候にも恵まれ
とても良い祈りの
ひとときでした。
本堂建設にあたり
ご協力いただいた有縁の皆様へ
記念品としてお渡しする
記念誌の作成に
取り組んでまいりましたが
何とか最終決定稿に至り
入稿することが出来ました。
制作は
昨年クラウドファンディングで
絵本『龍になったおしょうさま』を
手掛けさせていただいた
チーム「かたり部(ぶ)」で
取り組ませていただきました。
便壇灌頂(びんだんかんじょう)や
法務(葬儀や法事や祈祷)や
彼岸や引っ越しと
バタバタしている中で
10月上旬がタイムリミットという
かなり限られた時間内での
制作作業でしたが
頼もしい仲間に支えられ
入稿することが出来ました。
本堂落慶という
歴史的節目の記念誌として
お喜びいただけるものが
出来たのではないかと思います。
この度の
本堂建替事業は
当山に祀られる
仏像や仏具の由緒を再確認する
機会であると同時に
当山が所蔵する
棟札(むなふだ)や版木(はんぎ)
古次第を含む古文書などを
総整理することが出来た
尊い機会でもありました。
これらのことは
大変大きな意義あることでして
ある意味“歴史的大発見”になったことや
巷で伝えられてきた
いわば“定説”が
書き換えられるような
確認がなされたりですとか
誤って流布されている情報が
やはり誤植であることの
裏付けとなることの
確認がなされたりですとか
とにかく意味ある機会となりました。
そういったことも踏まえて
記念誌が作成されており
過去帳も含めた当山所蔵の諸史料の
内容を反映した形で
大まかな由緒の紹介にも
触れられておりますので
有縁の皆様には
当山・当地とのご縁を
一層お深めいただけるものと
期待しております。
有縁の皆様
ご寄進下さった皆様には
12月の落慶式の際に
お渡しいたしますので
もうしばらくお待ち下さい。
記念誌のお渡しに関してですが
原則として
当山にてお受け取りいただきたく存じます。
県外など遠方にお住まいの方には
郵送にてお届けしますが
圧倒的に市内近辺に
お住まいの方が多いため
原則としては
落慶式にてお受け取りか
落慶式以後に当山にて
お受け取りとさせて
いただきたいと考えております。
新たな本堂を
実際にご覧いただきたいという
思いもありますし
追加工事などが発生して
予算的に厳しい部分もあるという
会計的な理由も
少なからずございます。
11月中頃に
12月11日の本葬・晋山式のご案内と
12月12日の本堂落慶式のご案内を
有縁の皆様にお届けいたしますが
その際に返信ハガキを同封いたします。
返信ハガキには
両日の行事への出欠と
住所・氏名をお書きいただき
ご返信いただきたく存じます。
ご案内にも記載しますが
遠方にお住まいの方で
記念誌の郵送をご希望の場合は
その返信ハガキの余白に
その旨を
ご記入いただこうと考えております。
ちなみにですが
記念誌の作成を終え
これから
本葬・晋山式と本堂落慶式の
ご案内などの諸書類の
作成に取り掛かります。
これまで
述べさせていただいたことを
体裁を整えつつ
文字にしていく所です。
それと同時並行で
各日の当日用の
パンフレットの作成も
そろそろ取り掛かりたいと
考えております。
頑張ります!
なお
本記念誌は
本堂落慶記念として
ご協力下さった有縁の皆様へ
贈呈されるものゆえ
一般頒布の予定はございませんので
ご了承願います。
本堂建替事業では
多くの方のご協力のおかげで
目標としていた
本堂の建設が遂げられましたが
勧募金の受付を継続しておりますので
ご協力の程
よろしくお願い申し上げます。
勧募浄財ご納入口座(JAバンク)
八戸農協 上長(カミナガ)支店
口座番号 0024185
口座名 普賢院本堂建設委員会(フゲンインホンドウケンセツイインカイ)
檀信徒の方以外で
ご納入いただける方は
帳簿管理の都合上
お名前やご住所など
お伺いしたいので
fugenin643@gmail.com
にメールでご連絡願います。
普賢院には
会津斗南藩(あいずとなみはん)の
方々の墓石が16基あります。
大部分は明治4〜5年に
亡くなられた方々のものです。
本堂建替事業の境内整備の一環で
供養所(くようしょ)を
整えることとなっております。
根城の番地石材店さんの
丁寧なお仕事により
とても良い具合に
完成してまいりました。
▼本日は夕焼け空が
とてもきれいでした。
今から1200年以上さかのぼる
弘仁8年(817)5月15日は
当山の初代住職
圓鏡(えんきょう)上人の
御命日にあたります。
そのため
5月15日は普賢院にとって
大切な日でもあります。
本日は
初代住職の御命日にあたり
歴代住職のご供養を行う
開山忌(かいさいんき)の
お勤めをいたしました。
また本年は
開山忌にあわせ
会津斗南藩(となみはん)
縁故者のご供養も
併修いたしました。
令和4年の
開山忌の様子をお伝えする
動画を用意したので
ご覧いただければ幸いです。
当山本堂裏手には
歴代住職墓や寺族墓のほか
有縁のお家のお墓が2基あり
そのうち1基は
会津斗南藩(あいずとなみはん)の
末裔である三村家のものです。
現在の三村家のお墓は
平成3年に
現在の三村家当主の三村圭佑さんが
11基もの古い墓石を整理されたうえ
建て替えられたものです。
三村家のほかに
普賢院の境内墓地には
16基もの会津斗南藩縁故者の墓石が
残っております。
それらの墓石は
土の上に直に置かれた状態で
以前から
もう少し丁寧に
ご供養させていただきたいとの思いがあり
本堂建替という歴史的機会にあたり
墓石を安置するスペースを整理して
会津斗南藩縁故者供養所を
整えさせていただきます。
本日
三村さんが
お墓参りにお見えになられ
三村圭佑さんがまとめられた資料を
ご丁寧にお届け下さいました。
三村家のご先祖様のお名前が
記載される史料についても
教えていただくことが出来たので
しっかりと学ばせていただきたいと思います。
▼三村家のお墓の前にて三村さん方との一枚
令和4年4月30日
▼会津斗南藩縁故者の墓石
▼会津斗南藩縁故者供養所の基礎と土台
本日は
故・泰永僧正の72歳の
誕生日でした。
ということで
本日は家族でケーキを
いただきました。
不思議な巡り合わせで
泰永僧正の誕生日である本日
住職任命の辞令が
当山に届けられました。
拙僧泰峻は
令和3年10月1日づけで
寳照山普賢院
第65世住職の任に
つかせていただいたことを
ここにご報告申し上げます。
1200年もの歴史がある当山を
現在に至るまで
護持されてきた
歴代の先師様方の志を受け継ぎ
住職として至心に勤めさせいただく
所存ですので
今後ともよろしくお願い申し上げます。
型枠が外されると
基礎らしさが
格段に出てきました。
会津斗南藩縁故者供養所には
斗南藩縁故者の墓石16基が
2列に並べられます。
平坦に並べると
墓石の字が隠れてしまうので
段差をつけて
並べることにしております。
会津斗南藩縁故者墓にも
多くの方に
お参りいただき
手を合わせていただきたいと
考えております。
当山には
日清日露大東亜戦没者慰霊碑
もありますが
「慰霊追悼」には
歴史を伝えるという
意味合いも多分に含まれています。
会津斗南藩縁故者供養所や
戦没者慰霊碑に関わるご供養の
行事は最近では
特に設けていませんでしたが
行事とまではいかないにせよ
歴史に触れつつ
祈りを捧げられるような
ひとときを形作ることは
大切なことだと感じています。
▼合葬墓の基礎工事の状況
▼会津斗南藩縁故者供養所の基礎工事の状況
▼十和田湖青龍大権現碑の基礎工事の状況
▼合葬墓建立に伴い移設となる
「歴代住職墓建立碑」の基礎
本堂基礎工事に先行しての
墓地の工事。
昨日より
合葬墓の基礎工事が始まり
本日から
会津斗南藩供養所の
基礎工事も始まりました。
普賢院には
会津斗南藩縁故者の墓石が
16基現存しており
激動の歴史を今に伝えています。
その墓石を
移設して整備して
中央に供養碑を建立して
供養所とする予定です。
会津斗南藩縁故者の墓石は
土の上に安置していた関係で
場所によっては傾いたり
時によっては倒れたり
していたのが
気がかりだったのですが
供養所スペースが整えば
これまで以上に丁寧に
ご供養させていただけます。
本堂建替事業における
境内整備の一環として
合葬墓建立も
会津斗南藩供養所の整備も
行われるのですが
これも当事業に多大なる
ご協力をいただいた
有縁の皆様のおかげと
心から感謝いたします。
▼合葬墓の建立地
▼会津斗南藩縁故者供養所と
古い墓石の移設スペース
▼会津斗南藩縁故者の墓石と
移設される古い墓石
▼掘り出された土の山
▼合葬墓イメージ