合葬墓建立に向けて

ここ数日は体調が優れず

読経の声も風邪声で

“図太い”響きとなっております。

 

本日は体を休める時間があったので

明日からのお弔いの準備を済ませ

久しぶりにゆっくりさせて頂きました。

 

ゆっくりさせて頂いた分

ゆっくり色々と考える時間もあったので

とても有意義な休養となりました。

 

昨日のブログでも書きましたが

ここ最近合葬墓(がっそうぼ)の

お問い合わせやご相談が

大変多くなっております。

 

本日もお問い合わせがあり

お話を伺わせて頂きました。

 

合葬墓を必要とされていらっしゃる方が

とても多いということを

改めて感じさせられましたし

建立に向けて出来ることから

着手する必要があるように感じました。

 

合葬墓建立のためには

様々なことを踏まえなければなりません。

 

これまで行ってきた

各地の視察や情報収集で

得たものも活かしながら

これから具体的に当山の合葬墓の

準備をしたいと思います。

 

合葬墓をご使用予定の方に

お話を伺わせて頂きながら

来年一杯程かけて

話を詰めていくつもりでおります。

 

なるべく多くのお声を

寄せて頂けるとありがたいので

当山合葬墓のご使用を

ご検討の方は

お声がけ頂けると幸いです。

 

多くの方の

お心に寄り添える形の

合葬墓を建立したいと考えているので

ご協力頂ける方は

ご協力の程お願いいたします。

 

合葬墓について

当山では今後

合葬墓(がっそうぼ)の建立を

予定しております。

 

当山有縁の皆様には

数年前よりお伝えしておりますが

合葬墓のご利用をご検討されて

いらっしゃる方は

結構多いように感じられます。

 

ここ1ヶ月の間だけでも

将来的に使いたいとのご相談が

数件ございました。

 

合葬墓建立については

本堂建替事業の見通しがたった後に

本格的に進める考えでおります。

 

合葬墓を

必要とされていっらっしゃる

有縁の皆様のためにも

よく検討した上で

準備を進めたいと思います。

 

合葬墓建立までの間

将来的に合葬墓を

ご使用される方については

一時的にお寺でお骨を預かるなどして

対応させて頂きます。

 

ご相談等ございましたら

お気軽にお寄せ下さい。

 

サハリン追悼慰霊供養の旅へ行ってまいりました

8/26〜29の日程で

拙僧(副住職)は

追悼慰霊供養の墓参(ぼさん)団の

一員として

サハリン(旧・樺太)へ

行ってまいりました。

 

参加者21名のうち

拙僧(副住職)含め僧侶は4名でした。

浦臼の樺戸山 金剛寺(高野山真言宗)

ご住職・米田弘明大僧正

(写真左から2番目の方)

 

恵庭の金比羅山 弘隆寺(高野山真言宗)

ご住職・秋山有洋僧正

(写真右から2番目の方)

 

旭川の成田山 大聖寺(真言宗豊山派)

ご住職・伊藤聖健僧正

(写真一番左側の方)

 

以上3名のご住職と

お勤めをご一緒させて頂きました。

 

今回は拙僧(副住職)と同じく

現代教化研究所の研究員である

伊藤聖健僧正にお声がけ頂き

参加させて頂いた次第です。

 

米田大僧正は平成3年から

この墓参(ぼさん)を

サハリン各地で重ねられて

いらっしゃいます。

 

秋山僧正と伊藤僧正は

それぞれの先代住職の代より

米田大僧正と共に

墓参(ぼさん)をされておいでです。

 

サハリンは

終戦後に旧ソ連軍の侵攻により

5000とも6000ともいわれる方が

亡くなったんだそうです。

 

多くの方は

遺骨収集がされていないそうです。

 

日本人墓地や慰霊碑が

サハリン各地にあるのですが

誰にも手を合わせられることもない所や

全く手入れがされておらず

雑木林に埋もれてしまい

“忘れ去られ”ようとしている所も

多いと聞きました。

 

今回の墓参追悼慰霊供養の旅では

ユジノサハリンスク(旧・豊原)

ホルムスク(旧・真岡)

コルサノフ(旧・大泊)へ

赴かせて頂きました。

 

これまでサハリンのことを

多くは知りませんでした。

 

沢山のことを

考えさせられた4日間でした。

 

今回の参加者の多くは

樺太出身の方や

ご両親が樺太出身であるなど

樺太とご縁のある方でした。

 

当時のことを知る皆様のお話しは

とても生々しく

臨場感すら覚えるようなものばかり。

 

本当に貴重な体験でしたし

大切なことを教えて頂いたように感じます。

 

 

▼熊笹峠のトーチカにて

※トーチカは防空壕や見張り台の

ようなもののことをいうそうです。

 

▼ホルムスク(旧・真岡)にて

 

▼コルサノフ(旧・大泊)日本人墓地にて

 

▼ユジノサハリンスク(旧・豊原)にて

 

▼サハリン州郷土博物館(旧・樺太庁博物館)

蒸し暑い送り盆

令和元年のお盆の諸行事が

多くの皆様のお支えのもとに

全て終えることが出来ました。

 

例年にない程の

蒸し暑いお盆でしたが

おかげさまで

本年もきちんと祈りを

捧げさせて頂きました。

 

現在の本堂で迎える

最後のお盆を

無事に過ごすことが出来

ほっとしております。

 

祭りのあと

7月末より8月上旬にかけ

青森では多くのお祭りが

開催されます。

 

八戸では三社大祭

青森ではねぶた

弘前ではねぷた

五所川原では立佞武多。

 

全てがこの時季

というわけではありませんが

これら同様の山車祭りは

青森県内各地に沢山あり

季節の風物詩として

大切にされています。

 

今年の青森ねぶたでは

十和田湖南祖坊(なんそのぼう)伝説の

山車があったそうです。

 

南祖坊は

当山第2世の月法律師(がっぽうりっし)の

弟子となり学ばれ

全国の霊山霊跡を巡った果てに

十和田湖に結縁入定され

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

という十和田湖の龍神になった

とされる僧侶です。

 

調べてみると

青森ねぶたでは以前にも幾度か

南祖坊が山車の題材として

採り上げられています。

 

八戸三社大祭でも

南祖坊はちょくちょく

題材として採用されています。

 

南祖坊伝説が

今もなお郷土に根付き

生き続けていることは

とても尊いことだと思います。

 

夏祭りの終わりは

「夏の終り」に近い感覚が

あるように思います。

 

暦の上でも立秋を迎え

当地ではお盆を迎えます。

 

一年に一度

ご先祖様が帰郷するとされるお盆。

 

一年に一度のお帰りを

“気持ちよく”お過ごし頂けるよう

“おもてなし”することが

お盆のご供養とされます。

 

お供えをすること

お参りをすることなど

お盆の“おもてなし”には

様々ありますが

「お盆のお経をあげること」も

尊い“おもてなし”とされます。

 

当山では毎年

新盆のお宅と

一部お盆のお参りを

ご希望されるお宅に

伺わせて頂いております。

 

お盆のお経参りのことを

棚経(たなぎょう)といいます。

 

“里帰り”された有縁の皆様に

謹んで向き合わせて頂きたいと思います。

 

七本塔婆(しちほんとうば)

当山近辺では

葬儀の際に通常の塔婆とともに

七本塔婆(しちほんとうば)

という塔婆が用意されます。

 

幅広で背の低い木の板ですが

これは初七日忌から七七日忌までの

塔婆を一枚にまとめたものです。

 

「七本」というのは

①初七日忌

②二七日忌

③三七日忌

④四七日忌

⑤五七日忌(三十五日忌)

⑥六七日忌

⑦七七日忌(四十九日忌)

の「七つの忌日」を意味します。

 

七本塔婆は

地域によって形状が様々ですし

お寺によって書式も様々です。

 

当地でよく見られる七本塔婆は

七行それぞれに上から

宝珠

半円

三角

バッテン(四角)

が記されていますが

これは五輪を意味します。

 

五輪とは

専門用語を用いると

地・水・火・風・空の5つです。

 

先程の5つの形と対応させると

宝珠=空

半円=風

三角=火

丸=水

バッテン(四角)=地

となります。

 

夏空のもとでの法事

7/20に本堂にて

拙僧(副住職)である

品田豐(とよ)の三回忌と

その姉である道子の十三回忌

併せて先祖供養並三界萬霊供養

普賢院歴代先師供養を

執り行いました。

 

豐と道子には

2人の兄がいましたが

出征したため

当山は一時住職不在となり

その間“女の和尚さん”として

お寺を守りました。

 

激動かつ困難な時代において

祖母と大叔母の姉妹が

有縁の方々のお力添えを頂きながら

何とか当山を守りました。

 

現在の本堂は建替のために

近い将来取り壊される予定です。

 

おそらく今回が

現在の本堂で執り行う

当家最後の法事に。

 

当山住職と法務を執り行い

近い親戚とともに

祈りを捧げさせて頂きました。

 

青春の歌

学生時代はカラオケで

親しい友人と

よく歌を歌ったものです。

 

皆様にとっての

青春の一曲は何ですか?

 

『嗚呼、青春の日々』(ゆず)

という有名な歌があります。

 

この歌は

高校時代から

親しい友人達と

よく歌った一曲です。

 

本当によく歌いました。

 

よく歌ったので

歌詞は今でも

しっかりと覚えています。

 

調べてみると

『嗚呼、青春の日々』

という歌は

亡くなった親友への

おもいを綴ったものなのだそうです。

 

最近になって

久しぶりに

この想い出に溢れた一曲を

聴いてみました。

 

想い出に溢れた一曲だけあって

色々と思い出されて

心に染み入りました。

 

以下

その歌詞の一部です。

 


そっちの世界は一体どんなだい?

俺もそのうち行くけどさ

 

その時までめーいっぱい

悩むこともあるけれど

自分なりに生きてゆくよ

 

この唄は聞こえているのかい

もし聞こえているのなら

下手くそな唄一緒に歌おうぜ

 

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ

嗚呼 嗚呼 懐かしき町よ

嗚呼 嗚呼 素晴らしき友よ

嗚呼 嗚呼 美しき命よ

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ


 

普段から拙僧(副住職)は

有縁の皆様と

葬儀や法事など

“命に向き合うひととき”を

ご一緒させて頂いております。

 

施主やそのご家族ご親族が

このひとときに

捧げられているおもいは

きちんと届いていますか?

このお経は聞こえていますか?

と自心の内で問いかけることがあります。

 

人の歩みは

唯一無二の「命の物語」です。

 

そして

ご供養にはご供養の

「物語」があり

「命の物語」の続きと

いえるかもしれません。

 

ご供養は

生きる私達が

施主となるものです。

 

先立った大切な方の

「命の物語」の続きを紡ぐのは

今を生きる私達なんだと思います。

 

人は誰しもが

命を全うする

その時を迎えます。

 

その時まで

“目一杯”“自分なりに”

歩みを進めて

自身の命を全うすることが

「仏道におけるご供養」において

大切なことなのだろうと

感じております。

 

親愛なるある友へ

また会いたいと

思える友に

恵まれたことを

拙僧(副住職)は

誇りに思っています。

 

友の存在は

とてつもなく大きいと

心から思います。

 

素晴らしい出会いに

心から感謝しています。

 

青春時代をともにした

かけがえのないある友。

 

今度会えたら

ものすごい沢山のことを

語り合いたいと思います。

 

語り尽くせないとは思いますが

とことん語り合い

笑い合いたいと思います。

 

また会える日は

ずいぶん先に

なるかもしれませんが

また会う日まで

しっかりと歩みを

進めたいと思います。

 

親愛なるある友へ。

 

どうか安らかに。

 

合掌

平成最後の春彼岸の中日

春彼岸の中日は

本年も多くの方が

お参りにいらっしゃいました。

 

当山では彼岸中日に

位牌堂の位牌段各所に

お膳を上げておりますが

今朝も早くからお手伝い頂き

準備をして頂きました。

 

後片付けにおきましても

駆けつけて下さった方々の

お力添えも頂き

滞りなく大きな行事を

終えることが出来ました。

 

それにしても

ここ2、3日の

花粉飛散は凄まじいものがあり

今朝も黒板消しをはたいた際の

チョークの粉の如くに

杉の枝から黄色い花粉が

わんさか飛んでおりました。

 

そのような1日でしたが

秋彼岸中日法要も

無事にお勤めさせて頂き

ご参列の皆様と共に

「平成最後の彼岸法要」にて

祈りを捧げさせて頂きました。

 

▼法要の様子(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=z_g6cerrLWY

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