紐解き七崎観音④

七崎観音が

大海より引き揚げられた

という縁起に着目しつつ

その背景にあると想定される

死生観についても思い巡らすことは

より俯瞰的な検討に

つながるはずです。

 

そんな課題意識を持ちながら

これまで当シリーズを

連載しております。

 

紐解き七崎観音①には

資料を多く掲載していますが

ここで紹介している

七崎観音縁起の類は一部であり

実際はかなりのバリエーションがあります。

 

このような豊かな語りについては

前稿(紐解き七崎観音③)にて

述べさせていただきましたが

行者などの語り部が

歴代多数存在したのであれば

極端な話

その数だけのバリエーションが

あってもおかしくありません。

 

普賢院は

十和田湖伝説の南祖坊として有名な

南祖法師が弟子として修行したと

伝えられますが

その物語についても同様で

興味深く「脚本」され

各地域にてカスタマイズされたものが

確認されます。

 

現代的感覚からすれば

荒唐無稽と思われるかもしれませんが

注意深く多種内容を吟味してみると

発信者の立場によって

重点が異なりますし

果たして同列に括って良いものかと

思わせられるものも見られます。

 

そういったことも含めて

検討してみると

各「語り」が意図しているものが

浮かび上がってくるものもあるのですが

それはまた機会があれば

記してみたいと思います。

 

前稿後半で

「大海から引き揚げられた」ということは

「大海に解き放たれた」ことにも

目を向けてみようみたいな

提案をしたかと思います。

 

観音菩薩と海は

ご縁が深いものとして

捉えられていたということは

既に述べました。

 

もっといえば

その観念というものは

仏教的思想のはるか以前から

あったと推定されるものが

関わっているとされるということも

既に述べております。

 

前稿では水葬について触れましたが

故人を海に放つ行為は

海のかなたの補陀落浄土へ送ることが

志向されております。

 

また生きた者が舟で大海へ出航し

命の限り補陀落浄土を目指すという

捨身行ともいえる行いは

行を通じて浄土へ往くことが

志向されています。

 

観音菩薩の浄土である

補陀落浄土が

海のかなたに想定されているという点は

これまで触れてきた

「海の信仰」を考える

重要な要素となります。

 

古代神話においては

常世(とこよ)と呼ばれるところは

死者が往くところであり

年をとることもなく

まさに幻想的な楽土だと

捉えられていたとされますが

今見てきた浄土の観念が

庶民信仰において常世の

仏教的翻訳として無意識に

受容されたといっても

多くの方が納得出来ると思います。

 

弔いについての話題に触れたので

もう少し同話題を

続けさせていただきます。

 

円空仏は有名かと思います。

 

一説によると

北海道の西海岸に見られる

円空仏のうち蓮華を持ったものは

高野山の二十五菩薩来迎図に着想があり

死者供養のために作られたとされます。

 

また

円空仏が多い同地方では

漂流している仏像を引き揚げ

豊漁を期して祀ったものが見られます。

 

漂流したものが

引き揚げられた例は

他所にも見られるのですが

仏像が死者供養のために流されたもので

それらが引き揚げられて

本尊や神体として

祀られることが多かったと

見られています。

 

死者供養というのは

主に海難者とされます。

 

なぜ

死者供養の仏像を祀るのかというと

豊漁になるという信仰が

あったからだそうです。

 

一部の海岸地域では

漂流する水死者と遭遇した場合

その死者を「エビスさま」と称し

故人を引き揚げることは

大変に縁起の良いことであり

豊漁が約束されるとの信仰がありました。

 

以上のような信仰が

漂流する仏像を引き揚げて

祀るという行いの動機として

ある程度共有されていたと

考えられるわけです。

 

また長くなってしまいましたが

これまで語られてきた

七崎観音縁起は

「海→引き揚げ→当地に遷座」

というものが別当寺としては

採用されております。

 

この大筋について

本稿で見てきた内容を参考に

ふくらませてみると

供養のために作仏した観音像が海に放たれ

それが白銀にて引き揚げられ

当地に遷座された

という流れを提示することが出来ます。

 

引き揚げられた地とされるのは

白銀だけでなく八太郎とのいわれもあり

八太郎に関するエピソードでは

七崎姫というお姫様の供養として

七崎観音が祀られたと伝えられます。

 

提示された「新説」と

七崎姫伝説に共通するのは

供養を契機とした

縁起であるという点です。

 

これまでですと

諸縁起のうち七崎姫伝説が

他説と異色のように

捉えられていたと思うのですが

本稿で見てきたように

死生観が窺える信仰のあり方を

ひとつの手がかりとして

主な縁起(海→引き揚げ→遷座)を

再検討して提示された

“供養のために海に放たれた説”により

七崎姫の供養のために祭祀されたという

七崎観音縁起が

実は他説と重なるものがあると

捉えられるようになったと思います。

 

そんな所で

本稿は終えさせていただきます。

 

つづく