『三国伝記』(さんごくでんき)は
“最古の十和田湖伝説”が収録されます。
『三国伝記』は
室町時代のもので
全12巻からなり
360話が収録されます。
撰者は玄棟(げんとう)という
沙弥(しゃみ:修行者)で
インド、中国、日本の三国
それぞれ120話で合計360話の
物語を様々な書物からの引用を
行いつつまとめております。
日本についての120話のうち
当山の本山
長谷寺の霊験譚である
『長谷寺験記』(はせでらげんき)関係の
説話は12話にも及びます。
『三国伝記』において
一寺院の説話として
日本にまつわる話全体の1割もの
引用がされるのは長谷寺だけです。
長谷寺のある地は
泊瀬(はつせ)ともいわれ
古事記にもその名が登場します。
長谷寺の本尊である
十一面観音は長谷寺式(はせでらしき)
といわれるお姿の十一面観音で
盤石(ばんじゃく)という石に立ち
右手に錫杖(しゃくじょう)を持ちます。
盤石は不動明王の徳をあらわし
錫杖は地蔵菩薩の徳をあらわします。
長谷の十一面観音は
古くから篤く信仰された尊格で
十一面観音信仰は奈良時代には
盛んであったそうです。
また『三国伝記』撰者である
玄棟(げんとう)は
近江の善勝寺(ぜんしょうじ)に
ご縁のある方です。
『三国伝記』に収録される
近江の善勝寺の縁起によると
お寺を開いたのは
聖徳太子の血縁である良正上人で
この善勝寺本尊は
弥勒菩薩(みろくぼさつ)と
聖徳太子作の十一面観音とされます。
玄棟自身が十一面観音と
縁深い方であったと思われます。
さらに近江という場所自体が
長谷寺と深く関わる地であり
長谷寺本尊の十一面観音像は
琵琶湖にあった
巨大な霊木(楠)を彫ったものです。
日本最古の観音霊場である
西国三十三観音霊場の
発祥の地は長谷寺です。
長谷寺と名のつくお寺は
全国に多くありますが
その「総元締め」が
奈良の長谷寺です。
十一面観音の信仰は
東北においても古くから
伝わっていたようで
三戸の南部町にある
恵光院(長谷寺)の十一面観音は
平安時代の仏像で
青森県内では最古のものです。
三戸でいえば
三戸永福寺を引き継いだ
永福寺自坊の嶺松院(れいしょういん)が
あった場所に現在ある
早稲田観音も十一面観音です。
当山は永福寺発祥の地であり
現在は地名のみが残っておりますが
その創建に関する説話が
『長谷寺験記』にあり
それも十一面観音のお話です。
それは坂上田村麻呂将軍が
奥州に十一面観音を祀るお寺を
6ケ寺建立したとの説話であり
永福寺の寺伝によればそのうち
田村の里・七崎(現在の豊崎)の
お寺が永福寺であるとされます。
この類の話は県内他所にも見られ
例えば深浦町の古刹である
円覚寺(真言宗醍醐派)も
坂上田村麻呂将軍が
聖徳太子作の十一面観音を安置し
観音堂を建立したとの
いわれがございます。
円覚寺を開基された
円覚という方は
大和(奈良)の方です。
『三国伝記』には
十一面観音についてのみならず
瀧蔵権現(りゅうぞうごんげん)
天満天神(てんまんてんじん)など
長谷寺にまつわる神祇(じんぎ:神さま)の
話も収録されており
長谷信仰の影響が感じられます。
『三国伝記』は
インドの梵語坊
中国の漢字郎
日本の遁世者の3名が
京都の清水寺にて
応永14(1407)年の
8月17日(観音縁日の前夜・逮夜)に
観音さまに捧げる法楽(ほうらく)として
一人ずつ話をしていくという
場面設定となっております。
京都の清水寺は
観音様のお寺であり
本尊は十一面千手千眼観音で
観音様をとても篤く信仰した
坂上田村麻呂将軍ゆかりのお寺です。
あちこちに話題が飛びましたが
『三国伝記』において
長谷信仰・十一面観音信仰の関わりが
見られるということを見てきました。
話題を
十和田湖伝説に移したいと思います。
『三国伝記』巻12第12話の
「釈難蔵得不生不滅事」という説話が
“最古の十和田湖伝説”とされます。
次回はこの「釈難蔵得不生不滅事」を
見ていくことにします。
▼『三国伝記』について①