現在当山の仏像修復など
色々とお力添え頂いている
弘前の仏師さんのお宅から
車で少しの所に
禅林街(ぜんりんがい)があります。
弘前藩2代藩主
信牧(のぶひら)公が
慶長15年(1610)に
弘前城の裏鬼門(南西の位置)の砦として
津軽一円の主要寺院を
この場所に集めたそうです。
※参考ページ(弘前観光コンベンション協会)
https://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/details.html?id=API00100002205
曹洞宗寺院三十三カ寺が
整然と建立されます。
余談ですが
信牧(のぶひら)公は
同年(慶長15年(1610))に
石田三成の娘である辰姫を
妻として迎えられております。
禅林街の長勝寺に隣接する場所に
仏舎利塔(忠霊塔)があります。
青森県歴史観光案内所のページによると
この塔は昭和20年(1945)に完成し
太平洋戦争敗戦後の連合国占領下の時期に
各地の忠霊塔は軍国主義を象徴するとして
各地の忠霊塔が壊されましたが
弘前は「忠」の字を外し「霊塔」として
存続が認められたそうです。
昭和23年(1948)には
タイから送られた仏舎利が納められ
仏舎利塔に名称が変えられております。
※参考ページ(青森県歴史観光案内所)
https://www.aotabi.com/ao/hirosaki/butu.html
塔の「忠霊塔」の文字の上に
連なる梵字は「バク」という字で
釈迦如来の種字です。
仏舎利塔(忠霊塔)近くには
弘前陸軍の合葬墓もあり
戦争の歴史を今に伝えます。
この場所からも
津軽富士こと岩木山の
美しい姿を眺められました。