これまでの振り返りとこれからの思案

八戸は本日も暑かったですね。

 

拙僧泰峻が

寺務室として使用している一室は

東側の日よけが全く無いため

午前中は凄まじく暑くなります。

 

昨年

とうとうエアコンを設置したのですが

使用するはまだ早いように思えて

スイッチオンはしておりません。

 

暑くなる時季は

出来るだけ早朝から

物事に取り組んで

作業効率をあげています。

 

最近は

明るくなるのが早いので

朝のお勤めを5時から

行わせていただいてます。

 

今の時季の早朝は

鳥のさえずりが何とも心地よいです。

 

朝の修法を終えて

各所お参りをしたり

軽く掃除をすると

寺務室に戻るのが大体6時過ぎ頃になります。

 

今朝は青空が広がっていたので

暑くなると踏みまして

寺務室に戻ってすぐに

葬儀や法事の塔婆をしたため

週末の会議資料の作成にとりかかりました。

 

会議資料の作成にあたり

これまでの本堂建替事業の

経緯を振り返る必要があり

諸書類が収められたファイルを

集めてみると

ものすごい量になりました。

 

会議当日の資料であったり

契約書の類のほか

建替に関連する事柄の

調査資料であったり

研究資料も含まれます。

 

本堂建替事業を通じて

本当に沢山のことを

学ばせていただいたと感じています。

 

膨大な資料に目を通しつつ

これまでの経緯をおさらいしたうえで

今後のことについても

あれこれ思いを巡らせました。

 

その中のひとつが

イチョウの木プロジェクトです。

 

このプロジェクトは

令和3年3月に伐採された

イチョウの木に

“新たな命”を吹き込むとともに

イチョウにまつわる

歴史や伝承や逸話を

後世に語り継ぐことを

目的としたものです。

 

「新たな命を吹き込む」という

部分について具体的には

伐採されたイチョウを用いて

大日如来像を

制作したいと考えています。

 

歴史や伝承や逸話を

語り継ぐにあたっては

昨年クラウドファンディングで

絵本を制作した

「かたり部」の活動と

連動したいと考えています。

 

イチョウの木プロジェクトは

まだまだ準備が必要でして

令和6年(2024)の始動を

見込んでおります。

 

この件については

関係各位との打ち合わせを重ねつつ

プロジェクトの始動に向けて

諸事整えたいと思います。

 

▼早朝

 

▼夕方

 

▼本堂建替関係の諸書類

 

▼イチョウの木プロジェクトは

時間をかけて諸事準備してまいります。

▼同プロジェクトについて

関係各位との打ち合わせは

今後重ねてまいりますが

ザックリと以下のような

スケジュールをイメージしています。

父の日

先代が亡くなる

ほんの数日前。

 

拙僧泰峻と弟子の太陽さんにと

先代はコンビニから

差し入れを買ってきてくれました。

 

3時のおやつに

綾鷹ラテと三色の串団子を

買ってきてくれたので

庫裡のキッチンで

一緒に休憩しました。

 

その日から間もなくして

先代は突然亡くなってしまいましたが

最後のティータイムで

差し入れしてもらった

飲み物の印象が強く残っているので

今でも時折

太陽さんとちょっとした買い物に

出かけた際には

ちょくちょく綾鷹ラテを買って

仏前にお供えしています。

 

そういえば

本日は父の日ということで

太陽さんと出かけて

“いつもの飲み物”を買って

お供えいたしました。

 

去年は確か

秋田へ出張しがてら

お土産を買ってきたと

記憶しています。

 

1年経っての父の日は

仏前へのお供え。

 

いつ何があるか

分からないのが

世の常であることを

身をもって感じます。

 

夏空広がる1日でした

本日の八戸は夏日。

 

法事を始める前から

汗がじんわりという状態でした。

 

法事を終えてから

お弟子さんに手伝っていただき

旧本堂で使っていた御簾(みす)の

お手入れを試みました。

 

旧本堂の本尊祭壇と観音堂に

長年掛けられていた御簾なので

線香のヤニで黒ずんでいましたが

家庭用洗浄液を使って

布巾で拭いてみると

思ったよりも汚れを

落とすことが出来ました。

 

この御簾は

会館1階と2階で

使用したい箇所があるので

そちらで再利用したいと思います。

 

それにしても

本日は暑かったですね。

 

炎天下で

しばらく水拭きしたので

肌がヒリヒリしています。

 

今年の夏は

暑くなるらしいと

年頭から予報されているので

暑さに注意しながら

過ごしたいと思います。

 

イチョウの木プロジェクトを思案中です

江戸時代中期の

享保年間に普賢院住職であった

快傳(かいでん)上人は

歴代住職の中でも

殊に重要な意味を持つお一人です。

 

快傳上人は

寺屋敷を建立した際に

記した棟札(むなふだ)には

当地と七崎山に

沢山の木を植樹したことが

記載されています。

 

七崎山は

現在の七崎神社の場所のことで

明治まで旧観音堂(徳楽寺)が

あった地のことを指します。

 

快傳上人は享保期に

七崎山に2000本の杉などの木を

植樹して旧観音堂の

整備にも注力されています。

 

現在の普賢院の地においては

柿や梨といった木々を植えたと

棟札には記されており

イチョウの木も

植えたと伝えられています。

 

ちなみにですが

快傳上人の植樹は

享保という困難な時代において

未来へ様々な願いを託しての行いです。

 

快傳上人が植樹したとされる

イチョウというのは

令和3年(2021)3月9日に

伐採されたイチョウとなります。

 

普賢院のシンボルでもあった木なので

伐採するか否かの審議も難航しました。

 

役員の皆様に

「意見お伺い」という形で

意見をお尋ねした所

伐採賛成 15票

伐採反対 14票

総会の判断に委ねる 2票

という拮抗した結果となり

そのことを踏まえ

役員総会にて

改めて審議を行わせていただき

伐採が決定されました。

 

ただ

歴史的経緯があり

さらに願いが込められたイチョウなので

仏像や仏具など

何かしらの形に出来るようにということで

製材していただき

現在は自然乾燥中となっています。

 

伐採したイチョウ材の自然乾燥には

5年程かかるようです。

 

自然乾燥させてから1年が経過するので

よい具合に乾燥するまで

あと4年はかかることになります。

 

乾燥したイチョウ材を用いて

大日如来像を造立していただきたいと

拙僧泰峻は思案しております。

 

大日如来は

真言宗の本尊と位置づけられる尊格です。

 

計画自体はまだ企画段階ですが

イチョウの木プロジェクト

として5〜6年計画で

取り組ませていただければと考えています。

 

来年いっぱいは

研究と準備の期間とさせていただき

再来年(2024)から本格的に

プロジェクトを始動させていただくような

イメージを持っております。

 

イチョウの木は

お寺の歴史と深く関わるものですし

縁ある木材から仏像を作るという

過程には様々な伝統や文化があります。

 

そういったことにも

触れていただき

ご縁を深めていただけるような形で

プロジェクトを進められるよう

少し時間をかけて

準備をしたいと思います。

 

 

▼イチョウの切り株

 

▼製材したイチョウ(自然乾燥中)

 

▼伐採直前のイチョウ

明日は品田家葬儀となります

拙僧泰峻の叔父である

故・品田環の

火葬と通夜が終わりました。

 

明日は葬儀となります。

 

臨時駐車場として

瑞穂館(ずいほうかん)の駐車場と

豊崎小学校の校庭も

お借りしておりますので

そちらもご利用下さい。

 

弔問時間は

午前11時半から午後零時半となります。

 

お運びの際は

お気をつけてお運び下さい。

 

旧本堂再建の大施主が祀られる櫻山神社

岩手県盛岡の櫻山神社には

南部光行(みつゆき)公

南部重信(しげのぶ)公

南部利直(としなお)公

南部利敬(としたか)公

がご祭神として

お祀りされます。

 

普賢院の旧本堂は

南部利敬公が「大施主」として

文化8年(1811)に再建されました。

 

旧本堂の棟札(むなふだ)に

南部利敬公のお名前が

記載されております。

 

ちょうど昨日

日帰りで盛岡の出張があり

会議会場のお寺に行く途中に

櫻山神社が位置していたので

少しだけ立ち寄らせていただきました。

 

看取られての旅立ち

昨日午前に拙僧泰峻の

叔父である品田環(たまき)が

逝去しました。

 

叔父は本年4月に

末期癌が発覚し

その時点で

長くは生きられないと

告げられたそうです。

 

今年の春に

足に激痛が起こり

歩けなくなり

病院に搬送されたことで

深刻な病状であることが分かりました。

 

入院したままですと

今のご時世では

会うことが全く出来なくなるため

自宅で過ごして

最期を看取る道が選ばれました。

 

自宅で過ごせるよう

必要な環境も整え

親族だけでなく

多くの友人の皆さんにも

お見舞いいただいたようです。

 

最期のときも

家族に看取られ

行年63歳で旅立ちました。

 

拙僧が最後に会ったのは

亡くなる前日の夜でした。

 

過ごし慣れた自宅で

家族と一緒に最期を

安心して迎えられたことは

叔父にとっても

家族にとっても

親族や友人の皆さんにとっても

良かったものと感じます。

 

通夜葬儀については

デーリー東北に

お知らせが掲載されますが

こちらでも

日程をご案内いたします。

 

通夜 令和4年6月16日

15時頃(火葬終了後)

於 普賢院

葬儀 令和4年6月17日

弔問時間 11時30分〜12時30分

於 普賢院

 

本葬・晋山・落慶まで半年となりました

令和4年12月11日は

先代住職の本葬を厳修させていただき

その後に準備を整え

現住職の晋山式(しんざんしき)を

執り行わせていただきます。

 

翌日12日には

新本堂の完成を祝う

落慶式(らっけいしき)を

厳修させていただきます。

 

本葬と晋山式は

1代につき一度だけですし

本堂の落慶式となると

数百年に一度という

とても希少な機会となります。

 

歴史的機会である儀式当日まで

あと半年となりました。

 

今月は

総代会や建設委員会の会議で

これら行事についても

話し合いを詰めて

手配すべきものも

大方手配する予定です。

 

また

他寺院の皆様にお手伝いいただく

法要につきましても

当日に向け

次第などを詰める予定です。

 

当ブログや各SNSでも

当日のご案内を少しづつ

行っていきたいと思います。

 

 

南祖法師三尊の懸仏が奉納されました

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんが願主となり

造立に至った

懸仏(かけぼとけ)が

本日普賢院に奉納されました。

 

この懸仏は

十和田湖と八郎潟と田沢湖の

龍神の物語である

三湖伝説をモチーフとしております。

 

普賢院は

十和田湖伝説ゆかりの寺院で

南祖法師が修行したとされ

様々な伝承に関わりがあります。

 

伝説に思いを馳せることが出来る

尊い空間を一層整えたいという

太陽さんの願いの形のひとつが

今回の懸仏といえると思います。

 

開眼(かいげん)は後日

太陽さんにもご一緒いただき

お勤めしたいと思います。

 

▼奉納された懸仏(かけぼとけ)

 

▼奉納願主の太陽さんと懸仏

 

▼南祖法師三尊

中央:南祖法師(なんそほっし)

左:龍王(りゅうおう)

右:龍女(りゅうじょ)