当山所蔵の木札の中に
「分龍守護神」と記された
木札があります。
中央には宝珠が彫られ
両脇には海上安全と大漁満足の
願目(がんもく)が記されます。
この木札の浦には
大正4年(1915)の年号があり
七嵜山龍神堂分と記載されます。
当山において
龍神へ捧げられた祈りの
一端を伝えるものといえます。
当地はかつて
七崎(ならさき)と呼ばれました。
この七崎には
いつくか龍神伝説が伝えられます。
十和田湖の青龍大権現という
龍神となった南祖坊(なんそのぼう)
の伝説が有名ですが
その他にも行海伝説と七崎姫伝説が
伝えられております。
七崎姫伝説は
八戸市八太郎にある
蓮沼神社と関連があり
当地より蓮沼まで赴く行事が
行われておりました。
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嘉永年間(1848〜1855)に
三峰館寛兆(さんぽうかんかんちょう)
が描いた『八戸浦之図』には
白銀の清水観音(糠部第6番札所)の
別当は永福寺(現在の普賢院)であると
記されております。
これらのことからも分かるように
当山は海の地域とも
古くから関わりがあります。
また
この清水観音に祀られる
十一面観音は
港町出身の禅僧
津要玄梁(しんようげんりょう)が
晩年に作仏されたものです。
当山には
南祖坊の御像である
南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)
が観音堂にお祀りされますが
この御像は津要玄梁の晩年作の
ものではないかと
拙僧(副住職)は考えており
調査を進めております。
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余談ですが
津要玄梁の足跡をたどると
「青龍」ととてもご縁のある方です。
この点については
別稿にてお伝えさせて頂きます。
今回は
龍神の木札について
紹介させて頂きました。