稀代の古刹 七崎観音⑥

当山本堂にお祀りされる

聖(正)観音(しょうかんのん)は

七崎観音(ならさきかんのん)と

通称され親しまれてきました。

 

当山は前身である永福寺時代より

七崎観音の別当をつとめております。

 

七崎観音は秘仏で一年に一度

旧暦1月17日にのみ

御開帳され御宝前にて

護摩法要(ごまほうよう)が

厳修されます。

 

その行事は「おこもり」と呼ばれ

平成31年は2月21日に行われます。

※詳細はコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

今回は

七崎姫(ならさきひめ)伝説

について紹介いたします。

 

当山の仁王門の裏手に

北沼観音(きたぬまかんのん)

と呼ばれる観音様が

お祀りされております。

 

こちらの観音様は元々

八戸市八太郎(はったろう)の

蓮沼(はすぬま)という所に

お祀りされていたものです。

 

この石殿中央に

埋め込まれている黄色の石が

蓮沼から発見され

現在の様な形に

設えられたそうです。

 

石殿の台座には

以下のように記されます。

 


 

昭和二年八月十一日発見につき建設

発起人

小田 山道留之助

 

七崎

品田長峻 中村巳之松 小泉善太

田中長一 中村甚エ門 嶋森丑松

久保杉卯之 小泉長太 田中弘戒

永田竹松 田村次郎 中村弥吉

坂本徳松 中村金松 夏堀市太郎

夏堀福次郎 田中石松 小泉大八

 

昭和四年末旧八月十七日 建立

 

細工人 小田 仲道千之助

手伝人

日斗 早狩操

小田 川村清次郎 

 


 

品田長峻(ちょうしゅん)は

当山の第61世住職で

南部町の恵光院住職と

山形県の湯殿山大日坊住職も

兼任された方で

拙僧(副住職)の曽祖父にあたります。

 

蓮沼は現在

地名のみが残り

沼は埋められ

八太郎海岸には

工場が建てられております。

 

その工事の際に北沼観音は

当山へ遷座(せんざ)されました。

 

七崎姫伝説によれば

この八太郎の沼には

大蛇が住んでいたと伝えられます。

 

毎年少女を一人

人身御供(ひとみごくう)として

大蛇へ捧げなければならず

ある年に七崎(現・豊崎)の

長者の娘がご指名を受けます。

 

都から七崎に来ていた

公卿の娘である七崎姫は

この話を聞いて

自身が身代わりとなることを決めます。

 

七崎姫は御輿(みこし)に乗り

八太郎の沼へ送られます。

 

七崎姫は法華経を携えており

沼の大蛇が現れると

観音経(かんのんぎょう、法華経の普門品)

を唱えます。

 

すると経文の一文字一文字が

剣となって大蛇に突き刺さります。

 

補足ですが仏道において

剣は智恵(ちえ)の象徴で

こういった“象徴物”を

三昧耶形(さまやぎょう)といいます。

 

観音経(かんのんぎょう)の

功力(くりき)の助けを得て

七崎姫は大蛇を“改心”させます。

 

伝説ですので

諸説ありまして

七崎姫は命を落としたため

村人が七崎姫菩提(ぼだい)のために

七崎観音として祀ったというお話や

七崎姫は七崎観音の加護により

八太郎大蛇を解脱へと

導くことが出来たというお話など

バリエーションは様々です。

 

明治以前は

七崎から八太郎へ

行列を組み御輿を担いで

北沼観音へ赴く“お浜入り”(御浜出)が

行われておりました。

※七崎観音の祭事についての詳細はコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音弐/

 

この祭事は

ある説によると七崎姫が

蓮沼の大蛇が再び悪さをしていないか

確認するためだとのお話が

添えられております。

 

八太郎は十和田湖伝説の

八郎(八郎太郎、八の太郎)伝説が

伝わる地域でもあります。

 

十和田湖伝説とは

十和田湖の主である龍神の物語で

南祖坊(なんそのぼう)という僧侶と

八郎(はちろう)というマタギが

登場します。

 

南祖坊は当山2世の月法律師の

弟子として修行されたとされ

全国を練行した後に

十和田湖に結縁し入定され

青龍大権現という龍神となった

というのが伝説の大筋です。

 

南祖坊が十和田湖にたどり着く以前に

“十和田湖の主”であったのが

八郎であると伝えられます。

 

これも伝説なので

様々なバリエーションがありますが

 

七崎はとても深く関わっております。

 

蓮沼への御輿(みこし)のお浜入りは

明治になって行われなくなりましたが

先にも触れたように

蓮沼で「聖観音の石」が発見され

新たな形で観音祭事が

行われることになりました。

 

拙僧(副住職)の祖父にあたる

当山63世の裕教(ゆうきょう)大和尚が

若かりし頃の

北沼観音祭事の写真が

当山に残っております。

 

「海方面」といえば

当山は八戸市の白銀にも

別当をつとめた観音堂がありました。

 

白銀の清水観音は

当山が別当をつとめた観音様で

七崎観音とのご縁は

とても深いものがあります。

※清水観音についてはコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/かんのんまいり-清水観音/

 

今回は七崎姫の伝説をメインに

七崎観音について見てきましたが

“海ともつながる七崎観音”を

感じて頂けたでしょうか。

 

▼現在の北沼観音(普賢院)

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▼中央に「聖観音」と刻まれております

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▼蓮沼(八太郎)時代の様子

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▼現在の蓮沼神社

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▼蓮沼神社前から見た海岸方面

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▼白銀の清水観音堂

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