良いお年を

大晦日は

午後11時30分より

除夜の鐘を撞きます。

 

僧侶が撞いた後は

どなた様でもお撞き頂けます。

 

除夜の鐘を撞きましたら

元日午前0時より

本堂にて年頭祈祷法要を行います。

 

来る新年の隆昌を願い

お勤めいたします。

 

その際に

授与品(お札・お守・御朱印帳)の

御祈祷も行います。

 

年頭祈祷法要の後に

授与品は頒布いたします。

 

授与品の頒布は元日以降も

常時行いますので

入用の方はお声がけ下さい。

 

除夜の鐘をお撞きにいらした方

年頭祈祷法要にお参りされた方には

本堂にて温かな飲み物を

振る舞わせて頂きますので

お休み頂ければ幸いです。

 

甘酒

はちみつレモンティー

玉こんにゃくを用意したので

新年の“初一服”をして下さい。

 


 

本年は大変お世話になりました。

 

皆様

よいお年をお迎え下さい。

 

来年もよろしくお願いいたします。合掌

IMG_0472

IMG_0599

IMG_0600

IMG_0603

IMG_0595

IMG_0598

IMG_0597

無事に年を越せそうです

年末の準備も

ようやく終わりが

見えてまいりました。

 

正月に行われる

役員総会と新年会のご案内を

急いで作成して切手を貼って

ポストに投函して

来年正月に檀信徒の皆様に

お渡しする寺報と決算報告書を

もの凄い勢いで作成して

印刷の注文をして

正月飾りの準備をして

餅作りをして

元日の年頭祈祷法要で

お唱えする文言を作成して等々

目まぐるしい

12月30日となりましたが

ようやく年越しの準備が

調いそうです。

 

本年も沢山のご縁の中で

色々と学ばせて頂きました。

 

有縁の皆様

本年も大変お世話になりました。

 

拙僧(副住職)は

来年歳男(としおとこ)でもあるので

より実り多き一年となるよう

一層精進させて頂きたいと思います。

49206246_359824368147534_2295592434106630144_n

49210885_222472862011136_1845404282946322432_n

本来の輝きを放つ

年末の大掃除二日目は

主要な仏器磨きを行いました。

 

本日もありがたいことに

お二方がお手伝いに

駆けつけて下さいまして

仏器を磨き上げることが出来ました。

 

殊に真言宗はとても多くの

仏器を用いるのですが

一見汚れていないように見えても

ピカール(研磨剤)で磨いてみると

使用している布が

真っ黒になるものです。

 

綺麗なように見えていても

実は汚れている仏器は

自身のあり方を

考えさせられるようだと

いつも感じさせられます。

 

汚れが拭き取られ

輝きを増した仏器の荘厳となり

心もスッキリしました。

 

本年も残す所あとわずかですが

年越しの準備の

ラストスパートをかけたいと思います。

IMG_0400

IMG_0401

大掃除の功徳

本堂の大掃除を行いました。

 

御仏像のすす払いをして

内陣と観音堂に

納められている

机や香炉や燭台などを運び出し

掃き掃除をして

拭き掃除をして

運び出したものを拭いて

香炉の灰おろしをして

窓を拭いて

原状回復をしてと

みっちりと大掃除を

することが出来ました。

 

わざわざ駆けつけて下さった方も

いらっしゃり

おかげさまで

年越しの準備が大分進みました。

 

お手伝い下さった方々に

心より御礼申し上げます。

 

来年の秋以降に

本堂の本体工事に取り掛かる

可能性があるとのことでしたので

今回は入念に掃除をしようと思い

観音堂の内部も丁寧に

手入れをしておりましたら

祭壇内の大きな観音像の裏側に祀られる

十一面観音像に気が付きました。

 

観音堂の祭壇には

観音堂本尊である

七崎(ならさき)観音(聖観音)の他にも

様々お祀りされておりますが

十一面観音もお祀りされていることを

拙僧(副住職)は知りませんでした。

 

この十一面観音は

当山の本山である奈良県の長谷寺と

同型の観音像で

平成9年に奉納されたものだそうです。

 

実は最近

長谷寺式の十一面観音像を

何らかの記念事業として

造立して観音堂にお祀りして

当山有縁の皆様に

本山の本尊である十一面観音と

ご縁を結んで頂けるようにしたいと

強く願っていたのです。

 

観音堂の大掃除の「功徳」と

感じております。

 

現在観音堂にお祀りされている

南祖法師(南祖坊)尊像も

観音堂の仏像のすす払いをしている際に

“発見”したものなので

今回の十一面観音の件につきましても

不思議なご縁を感じます。

 

せっかくのご縁ということで

観音堂祭壇の御前立(おまえだち)として

改めてお祀りさせて頂きましたので

当山へお参りの際は

ご縁をお結び頂ければと思います。

IMG_0340

IMG_0343

IMG_0342

IMG_0351

 

▼長谷寺式 十一面観音

IMG_0348

IMG_0350

お手伝いのお願い(12/28、29)

12/28と29のお昼以後で

年末の本堂の掃除を

お手伝い頂ける方

いらっしゃませんか?

 

窓拭きや灰おろし

本堂内陣と観音堂の

すす払いや掃き掃除を

行います。

 

本年は年末に諸事立て込みまして

年末の掃除にまだ及んでおりません。

 

拙僧(副住職)は

お昼頃より本堂で掃除を

しておりますので

ご都合のよろしい方

いらっしゃいましたら

何卒ご協力をお願いいたします。

 

※お子様連れも大歓迎です!

fukusuke

 

除夜の鐘と年頭祈祷法要のお知らせ

大晦日は午後11時半より

除夜の鐘を撞きます。

 

僧侶が撞き終わりましたら

どなた様でも

お撞き頂けます。

 

本堂では

元日午前0時より

年頭祈祷法要を厳修します。

 

まずは本尊の愛染明王の

ご宝前にてお勤めしまして

その後は観音堂にて

お勤めいたします。

 

行く年への感謝

来る年への願いを捧げる

ひとときです。

 

御守や御札

御朱印帳などの授与品も

用意いたしますので

入用の方はお声がけ下さい。

 

当日は御朱印も

承ります。

 

温かな飲み物なども

用意いたしますので

お参りの際は

一息お付き頂ければと思います。

 

余談ですが今年は温かな

玉こんにゃくも

用意しようと考えております。

 

どなた様でも

お参り頂けますので

お気軽にお運び下さいませ。合掌

IMG_0951-1024x683

IMG_2985

日々の更新を重ねて2年がたちます

おてらブログを

毎日更新するようになり

2年になります。

 

駄文ではありますが

本年も何とか

1年間毎日投稿を

重ねることが出来そうです。

 

当ブログは「覚え書き」や

研究メモもかねて

アップしております。

 

塵も積もれば山となる。

 

小さな積み重ねではありますが

個人的にも身になることが多く

実りある取り組みであると

感じております。

kaden_laptop

とわの光

12月になると

あちらこちらで

イルミネーションの光が

年末の闇夜を照らします。

 

五戸町では毎年

Town’sイルミネーション

という取り組みがされ

12月〜翌1月中旬まで

各所で幻想的な光の演出を

味わうことが出来ます。

 

昨年ご逝去された

五戸町の上市川に

お住いになられていた

医師がいらっしゃいます。

 

つい先日

一周忌のご法事を

ご一緒させて頂きました。

 

こちらの御宅は

“イルミネーションの名所”として

とても有名でした。

 

先生は「地域を光で照らしたい」

との思いで毎年十二分にご用意をされ

懇切丁寧に御宅にイルミネーションを

飾られたそうです。

 

その先生は

地域医療のために

他県よりご赴任され

ご尽力された方でした。

 

奥様のお話によれば

患者さんのもとに

いつでもかけつけられるよう

飲酒はもちろんのこと

ニンニクの摂取も

控えられていたそうです。

 

その他にも

色々とお話をお伺いしましたが

そのお人柄に尊敬の念を

抱かされました。

 

「医は仁術」といわれますが

その先生はまさに

人と誠実に向き合われた方で

あったのだと感じました。

 

先生が灯された「光」は

今もなお多くの方の中で

幻想的な輝きを

放っているように思います。

 

そしてこれからも

輝き続けることと思います。

IMG_8312

南祖坊伝説の諸相⑧ “南祖坊の生まれ替わり”南宗院殿利直公

伊藤祐清(1663〜1749)の

『祐清私記』という文書に

27代藩主(盛岡2代)

南部利直(1576〜1632)と

南祖坊にまつわる伝説が

記されております。

 

それは

南祖坊が南部利直に

生まれ替わった

という伝説です。

 

利直公は

盛岡での城築という偉業を

達成した藩主です。

 

『祐清私記』の該当箇所を

以下に引用させて頂きます。

 


 

南部利直公

武勇誠に畏敷(おそろしき)

御大将なり

 

扨(さて)利直公

御寝姿を密(ひそ)かに

見奉(みたてまつら)ば

御形蛇体に見えさせ給うと也

 

有時(あるとき)利直公の夢に

南宗(祖)坊 見えさせ玉ふは

我は蛇体にして候か(が)

過ぐる頃

蛇体の苦痛を遁(のが)れ

貴公に生れ替候

と見ると思召

御夢は覺めにけり

 

其の由(よし)を翌日

御次衆に御物語候由

何れも實にもと思ふ人多く之有

 

然るに

寛永九年(1632)之春

御参観にて江府へ御登り

同年八月十八日

江戸にて御逝去

 

急御飛脚下り

同廿(にじゅう)六日夜

福岡へ到着

 

頓て東禅寺大英和尚へ

仰遣られ

御牌名調(ととのえ)けり

南宗院殿と申し奉る

 

其の後

江戸金地院より

御調(おととのえ)成され候

御牌名も南宗院と書けり

 

扨て(さて)

不断御咄成される

南宗(祖)の坊 生替(うまれかわり)

誠に明白也

 

金地院も東禅寺も右之子細は

夢にも知らぬとも

両方百里を隔てし処にて

一ツに書しは不思議なれ

 

軈而(やがて)

九月初に御尊骸下り

三戸にて御葬禮あり

 

傅日(つたえていはく)

利直公御葬禮の時

俄に曇り大雨

稻妻(いなずま)雷電

甚(はなはだ)しければ

御供の人々も

何れの色を失ひけるとそ

 


 

伊藤祐清は利直公没後の人なので

利直公の後世において

どのように神格化されていたかの

一端が垣間見られます。

 

ついでにですが

藩主をはじめ武士が

神格化されることは

この時代において

よく見られることです。

 

『祐清私記』の引用箇所の

要点をまとめてみます

(便宜上①〜⑥の

ナンバリングをしました)。

 

①利直公の寝ている姿を

密かに見てみたところ

その形が蛇体のようだった。

 

②利直公の夢に南祖坊が登場し

蛇体の苦を遁れ

利直公に生まれ替わったと

伝えた。

 

③そのことを翌日

次衆に話たところ

本当のことと捉えた者が

多くいた。

 

④寛永9年(1632)

8月18日に江戸で逝去。

 

⑤東禅寺と金地院

両院とも利直へ

「南宗院」号を

お授けしようとしていた。

 

⑥三戸での葬儀は

いきなり曇って大雨となり

稲妻が走り雷音が轟いた。

 

②の「蛇体の苦」に関連して

龍蛇のことを仏道では

龍畜(りゅうちく)や

龍趣(りゅうしゅ)ともいいます。

 

龍畜・龍趣は

仏道でいう六道(ろくどう)の

畜生(ちくしょう)道の一種とされます。

 

地獄・餓鬼・畜生を

三悪趣(さんあくしゅ)ともいい

“迷いの境界”とされます。

 

「蛇体の苦」として

身の上に熱沙(ねっさ)が雨ふり

鱗の下には身を喰らう虫が集まり

皮膚が何度も消え失せるなど

仏道の経や論書に

様々書かれております。

 

④の利直公の命日ですが

18日は観音様の御縁日でもあります。

 

南祖坊伝説では

観音菩薩という尊格が

いわば本地となっております。

 

利直公の命日が

観音様の御縁日であることは

「南宗院殿利直公伝説」を

ある意味で“後押しした”と

いえるかもしれません。

 

⑤の戒名についての逸話も

僧侶としての見識を踏まえ

少し深めたいと思います。

 

利直公の戒名は

南宗院殿月渓晴公大居士です。

 

いわゆる戒名には

部分部分に意味があるのですが

今回は院殿号を中心に

紐解いてみます。

 

南宗院殿は「院殿号」

(〜院だと「院号」)

月渓は「道号」(どうごう)

晴公は「戒名」

(狭義ではこの部分を戒名といいます)

大居士は「位号」(いごう)

といいます。

 

院号というのは

天皇が譲位の後に移り住んだ

御所の名前に由来するものです。

 

それが公家や武士や高僧の

呼称となり定着します。

 

院殿号は足利尊氏の

「等持院殿」が始めだそうで

それ以後武家や大名の

戒名として使われるように

なったようです。

 

東禅寺と金地院の両院が

「南宗院(殿)」の院(殿)号を

調えたとあります。

 

この点に関連してのことですが

「利直公自身が

自分を南宗坊の

生まれ替わりだと唱えた」

とのお話を聞いたことがありますし

確か十和田湖の方では

このように説明を受けたように

記憶しております。

 

そういったことを伝える

文書があるのかもしれませんが

今回とりあげた

『祐清私記』では

大分ニュアンスが異なっており

利直公没後に菩提所の東禅寺と

江戸の金地院(家康公開基)の

両院が調えたとしております。

 

東禅寺は

南部守行公以来の

菩提所(ご供養を担うお寺)で

臨済宗妙心寺派ですが

『邦内郷村志』には

弘法大師の伝説があり

弘法大師真筆の法華経が

あると記されております。

 

戒名というものは

色々と踏まえて

調えられるものです。

 

南宗院(殿)という院(殿)号は

利直公が南宗(祖)坊を

篤く信仰したことに

由来すると巷では

説明されているようですが

おそらくそれだけに

とどまらないと思います。

 

多くの場合

戒名の各所に

採用される文言は多義的です。

 

利直は盛岡の築城を果たし

南部藩の拠点を

南方に移した方ですし

「宗」という字には

尊いという意味や

教派という意味以外にも

中心という意味もあります。

 

戒名に触れることの多い

一僧侶から見ると

盛岡の築城などの

利直公の偉業に通じるように

思います。

 

また先にも触れましたが

利直公の命日は18日で

これは観音菩薩の御縁日です。

 

南という方角は

観音菩薩を象徴する

方角でもあります。

 

また南は

宝生(ほうしょう)如来という

尊格をはじめとする

宝部(ほうぶ)の方角でもあり

多々なる実績を残したことを

称えているとも考えられるでしょう。

 

他にも述べられそうなことは

沢山ありますが

戒名については

この辺でやめておきます。

 

⑥では葬儀の時

にわかに天候が崩れて

荒れに荒れた様子が

伝えられます。

 

「南祖坊伝説の諸相⑦」では

「南祖坊が来臨・降臨する際は

必ず大風雨となる」とのいわれが

あったことに触れましたが

このいわれに通じる部分かと思います。

 

要するに

利直公の葬儀の大荒天は

南祖坊に由来するものだということを

⑥は暗に示しているのです。

 

このエピソードもまた

利直公が南祖坊の

生まれ替わりであるという伝説を

強く“後押しした”のではないでしょうか。

 

200px-Nanbu_Toshinao01

会計監査が行われました

12/20と12/21に

当山の会計監査と

本堂建設委員会の会計監査が

行われました。

 

1年を振り返りつつ

各事項を丁寧に

ご確認頂きました。

 

その折に

今後のことについて

実りある話し合いもあり

とても良い監査だったと

ありがたく感じております。

IMG_8304