かんのんまいり 観音林観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第31番札所

観音林観音。

 

軽米にある

静かな佇まいの札所です。

 

かつては

千手観音が祀られていたそうですが

現在は聖観音が祀られます。

 

この観音林は

南部八戸藩と南部盛岡藩の

境界でもあったそうです。

 

観音林観音は

長谷七観音のいわれがあります。

 

長谷七観音とは

長慶天皇の弟である

明尊が南北朝時代に

一本の大桂の木から

七体の観音像を造ったという伝えで

その一体が観音林観音であるとされます。

 

明尊は

南部町に長谷寺(恵光院)を

開いたとされる方です。

 

▼長谷七観音について

https://fugenin643.com/blog/長谷七観音の伝承/

 

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かんのんまいり 朝日観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第30番札所

朝日観音。

 

二戸の石切所大村の札所です。

 

開基は慈覚大師・円仁と伝えられます。

 

29番の鳥越観音と

30番の朝日観音は

まさに山岳霊場ならではの

山上にある札所です。

 

険しい山道を登っていくと

山上に岩肌むき出しの巨岩が

たちあらわれます。

 

その巨岩の岩窟に

朝日観音の観音堂があります。

 

自然と一体化した神秘性が

感じられる札所です。

 

観音堂からは

眺められる景色も

素晴らしい

まさに聖地です。

 

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かんのんまいり 鳥越観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第29番札所

鳥越(とりごえ)観音。

 

この29番の鳥越観音と

次の30番の朝日観音は

まさに山岳霊場ならではの

険しい山道の先にある札所です。

 

鳥越観音の

もともとの本尊は

慈覚大師・円仁の御作と伝えられますが

時間の経過とともに朽ちてしまい

現在は改められた観音像が

祀られているそうです。

 

険しい山道を行くと

仁王門があります。

 

この仁王門には

鐘楼が吊られています。

 

仁王門をくぐり

道なりに進むと

“岩肌に沿う”ような

懸造(かけづくり)の

観音堂が見えてまいります。

 

宝暦10(1760)年頃の

成立とされる

『御領分社堂』(ごりょうぶんしゃどう)

によると鳥越観音は

かつては鳥越山観音寺というお寺で

「天台宗別当 東福院 持」であり

元禄元(1688)年正月17日に

火災にあってしまい

証文や縁起など焼失したと

記されています。

 

こちらの札所は古くより

霊験あらたかな場所として

祈りが込められてきたということが

ひしひしと伝わってまいります。

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糠部五郡小史に見る普賢院

明治36年に出版された

『糠部五郡小史』という書物があり

今に多くの歴史を伝えております。

 

明治期は国家をあげての

一大変革期であり

それは「宗教」においても

同様でした。

 

この時期には

寺社仏閣の「歴史」の「見直し」

あるいは「再編成」が行われました。

 

明治・大正に編纂された

地誌や歴史書は多く

今では翻刻されているものも増えました。

 

寺社仏閣の縁起や由緒は

きっちりとした文書として

現在にいたるまで

代々継承されているケースは

とても稀といえます。

 

当山もしかりで

火災により古文書の類は焼失しており

永福寺にしろ

普賢院にしろ

徳楽寺(現在の七崎神社)にしろ

明確な“史実として”の由緒は不明です。

 

ついでながら大切なことなので

触れさせて頂きますが

“史実として”ということ以上に

寺社縁起では

神仏や権現・権者に仮託されて

編まれることが多いです。

 

例えば

東北地方における

寺社縁起では

坂上田村麻呂将軍伝説

慈覚大師伝説

聖徳太子伝説などが

各所で見られますが

これを史実か否かという視点だけで

紐解こうとすると

本来的な意味合いや

そこに託されたおもいを

汲み取ることは難しくなります。

 

現在でもそうですが

寺社縁起の類は

口伝として伝えられる所が多く

明治・大正期の書物からは

江戸末期頃までに

どのような縁起・由緒として

捉えられていたかを

垣間見ることが出来ます。

 

『糠部五郡小史』に見られる

普賢院の由緒について

紹介いたします。

 

諸説伝えられる所の一説です。

 

以下、引用です。

※西暦は引用者です。


 

寶照山普賢院は

豊崎村大字七崎字永福寺にあり

眞言宗大和國式上郡

初瀬村長谷寺末にして

開基は承安元(1171)年十一月

行海法師の開山なり

 

本尊は愛染明王

脇立左右 不動明王

傍ら七崎観音を祀る

 

寛永二(1625 )年十二月

二十七代南部利直公

祈願處とせられたり

 

本堂 八間に六間

庫裡 五間半に三間半

 

鐘楼は壹間半四面

梵鐘 壹釣

 

寶物 鏡一面 日の丸形

藤原光長の作にして

径四寸九分 量五十九匁

 

扁額 一丈三尺六寸 巾一尺五寸

東都 三井親孝の書とあり

文化十三(1816)年

菊池武群寄附

掛物一軸は狩野休伯の書

傳来詳らかならず

 

境内六百五坪なり

 

略縁起

抑 当山の由来を尋るに

承安元(1171)年十二月

行海法師 本村に回歴す

 

其時に際し

七崎神社境外に三つの沼あり

大蛇之に住み

屢々村人を害し

法師之を聞き

心窃に其惨状を恤み

同社に詣でて身を以て

犠牲となし

釈法秘術を行ひ

精魂を盡す祈念する事三週日

大蛇終に退滅す

 

法師袖を拂て去らんとす

 

村民愛慕

之を止る事切なり

 

法師去るに忍びずして

茲に草庵を営み住す

 

当山の開始是なり

 

后二十有余年

村中の追福を祈り

九十九歳にして歿せり

 

故に一旦衰頽に帰したるに

寛保元(1741)年十一月

名僧 快傳法師

回歴し来り其の偉蹟を

滅せんことを憂ひ

留住して再興を計れり云々


 

行海法師は

現在の七崎神社の地に

杉を北斗七星の形に植えたと

伝えられます。

 

そして7本のうち残った3本が

七崎神社の大杉であるとされます。

 

ある伝えでは

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)は

行海の弟子であるともされます。

 

またもう一人名前が登場する

快傳(かいでん)という方は

当山を中興(ちゅうこう)した

偉大な方です。

 

今回見てきたような縁起・由緒は

仏教的意味のあるものとして

捉えることが出来るものですし

お寺としては

意味のあるものとして

お伝えすべきものだと

感じております。

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三国伝記について②長谷信仰・十一面観音信仰と三国伝記

『三国伝記』(さんごくでんき)は

“最古の十和田湖伝説”が収録されます。

 

『三国伝記』は

室町時代のもので

全12巻からなり

360話が収録されます。

 

撰者は玄棟(げんとう)という

沙弥(しゃみ:修行者)で

インド、中国、日本の三国

それぞれ120話で合計360話の

物語を様々な書物からの引用を

行いつつまとめております。

 

日本についての120話のうち

当山の本山

長谷寺の霊験譚である

『長谷寺験記』(はせでらげんき)関係の

説話は12話にも及びます。

 

『三国伝記』において

一寺院の説話として

日本にまつわる話全体の1割もの

引用がされるのは長谷寺だけです。

 

長谷寺のある地は

泊瀬(はつせ)ともいわれ

古事記にもその名が登場します。

 

長谷寺の本尊である

十一面観音は長谷寺式(はせでらしき)

といわれるお姿の十一面観音で

盤石(ばんじゃく)という石に立ち

右手に錫杖(しゃくじょう)を持ちます。

 

盤石は不動明王の徳をあらわし

錫杖は地蔵菩薩の徳をあらわします。

 

長谷の十一面観音は

古くから篤く信仰された尊格で

十一面観音信仰は奈良時代には

盛んであったそうです。

 

また『三国伝記』撰者である

玄棟(げんとう)は

近江の善勝寺(ぜんしょうじ)に

ご縁のある方です。

 

『三国伝記』に収録される

近江の善勝寺の縁起によると

お寺を開いたのは

聖徳太子の血縁である良正上人で

この善勝寺本尊は

弥勒菩薩(みろくぼさつ)と

聖徳太子作の十一面観音とされます。

 

玄棟自身が十一面観音と

縁深い方であったと思われます。

 

さらに近江という場所自体が

長谷寺と深く関わる地であり

長谷寺本尊の十一面観音像は

琵琶湖にあった

巨大な霊木(楠)を彫ったものです。

 

日本最古の観音霊場である

西国三十三観音霊場の

発祥の地は長谷寺です。

 

長谷寺と名のつくお寺は

全国に多くありますが

その「総元締め」が

奈良の長谷寺です。

 

十一面観音の信仰は

東北においても古くから

伝わっていたようで

三戸の南部町にある

恵光院(長谷寺)の十一面観音は

平安時代の仏像で

青森県内では最古のものです。

 

三戸でいえば

三戸永福寺を引き継いだ

永福寺自坊の嶺松院(れいしょういん)が

あった場所に現在ある

早稲田観音も十一面観音です。

 

当山は永福寺発祥の地であり

現在は地名のみが残っておりますが

その創建に関する説話が

『長谷寺験記』にあり

それも十一面観音のお話です。

 

それは坂上田村麻呂将軍が

奥州に十一面観音を祀るお寺を

6ケ寺建立したとの説話であり

永福寺の寺伝によればそのうち

田村の里・七崎(現在の豊崎)の

お寺が永福寺であるとされます。

 

この類の話は県内他所にも見られ

例えば深浦町の古刹である

円覚寺(真言宗醍醐派)も

坂上田村麻呂将軍が

聖徳太子作の十一面観音を安置し

観音堂を建立したとの

いわれがございます。

 

円覚寺を開基された

円覚という方は

大和(奈良)の方です。

 

『三国伝記』には

十一面観音についてのみならず

瀧蔵権現(りゅうぞうごんげん)

天満天神(てんまんてんじん)など

長谷寺にまつわる神祇(じんぎ:神さま)の

話も収録されており

長谷信仰の影響が感じられます。

 

『三国伝記』は

インドの梵語坊

中国の漢字郎

日本の遁世者の3名が

京都の清水寺にて

応永14(1407)年の

8月17日(観音縁日の前夜・逮夜)に

観音さまに捧げる法楽(ほうらく)として

一人ずつ話をしていくという

場面設定となっております。

 

京都の清水寺は

観音様のお寺であり

本尊は十一面千手千眼観音で

観音様をとても篤く信仰した

坂上田村麻呂将軍ゆかりのお寺です。

 

あちこちに話題が飛びましたが

『三国伝記』において

長谷信仰・十一面観音信仰の関わりが

見られるということを見てきました。

 

話題を

十和田湖伝説に移したいと思います。

 

『三国伝記』巻12第12話の

「釈難蔵得不生不滅事」という説話が

“最古の十和田湖伝説”とされます。

 

次回はこの「釈難蔵得不生不滅事」を

見ていくことにします。

 

▼『三国伝記』について①

https://fugenin643.com/blog/三国伝記について①/

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グローバル寺フェスタ2018が開催されました

様々な文化に触れる

グローバル寺フェスタ2018が

9/1に開催されました。

 

今回の開催に至るまで

拙僧(副住職)妻が

相当な時間をかけて

情熱をもって準備をしておりました。

 

色々な不安があったようですが

多くの方にご協力頂き

多くの方にご参加頂き

おかげさまをもちまして

素晴らしい一日となりました。

 

当山では「国際」や

「グローバル」といった言葉が

しばしば登場しますが

それは拙僧(副住職)夫婦の

大学時代の専攻が

国際関係であったことに

ルーツがあります。

 

自分たちの出来ることを

出来る形で

地域やお寺に

還元したいとの考えから

お寺を舞台に国際協力や

多文化に触れる機会を

作らせて頂いております。

 

今回も

入場料としてお納め頂いた

御浄財の一部は

アーユス仏教国際協力ネットワーク

への寄付を通じて

国内の災害復興支援を含む

国際協力活動に役立たせて頂きます。

 

人が集う所に文化が生まれ

文化のある所に人が集まると言われます。

 

お寺という場所が

今後においても

人が集まり

人が語らい触れあい学びあい

有意義な時間が流れ

“文化が創造される”ような

「場」となればと思います。

 


 

▼冒頭「デジタル法話」

※拙僧(副住職)は

本催事と並行して

有縁の方のお弔いがあったため

早朝に法話を録画しまして

オープニングで流させて頂きました。

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▼英語 de Zumba

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▼アメリカの高校生の生活について聞いてみよう

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▼ランチタイム

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▼ベリーダンスショー

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▼バックパッカー&元添乗員の座談会

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▼世界がもし100人の村だったらWS

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湖底から引き揚げられた零戦

幼稚園の遠足で

三沢にある航空科学館に

行った際に

十和田湖の湖底より

引き揚げられた零戦が

展示されておりました。

 

8月は戦争にまつわる月でもあります。

 

生々しい零戦の姿は

ありのままの歴史を

伝えているように思いました。

 

気がつけば

慌ただしい8月も終わりです。

 

日も短くなり

徐々に秋らしい

涼しさが感じられるように

なってまいりました。

 

月が改まれば

程なく秋彼岸を迎えます。

 

秋は「精進の季節」です。

 

精進に励みつつ

“平成最後の秋”を

過ごしたいと思います。

 

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八戸南部氏のあゆみについて学ぶ

保護司会の自主研修会が

八戸プラザホテルで開催され

出席してまいりました。

 

上田三蔵氏を講師にあおぎ

「八戸南部氏のあゆみ」という

演目でご講義賜りました。

 

南部氏の歴史については

ちょうど学びを深めたいと

考えていた所での

こういった研修会だったので

素晴らしい機会となりました。

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五戸まつり→長崎

9/3から9/6まで

拙僧(副住職)は

長崎県に行ってまいります。

 

昨年より所属しております

真言宗豊山派

総合研究院

現代教化研究所

略して「現研(げんけん)」の

所外調査のため

長崎県にて“研究調査”に

励んでまいります。

 

カクレキリシタン

媽祖(まそ)信仰

鄭成功(ていせいこう)など

この機会にしか

触れられないと

思われるようなことが

盛りだくさんです。

 

9/3羽田空港より

早朝のフライトで

長崎入りする予定なので

9/2夜にこちらを出発します。

 

9/2は五戸まつりの

お還りの日です。

 

ここ何年か

ご縁がありまして

五戸まつりに出ております。

 

9/2のお還りで

家族と一緒に

川原町の山車を引いて

お祭りが終わってすぐに

新幹線もしくは夜行バスで

上京するつもりでおります。

 

学びは大切な修行とされます。

 

お祭りの余韻にひたりながらも

長崎ではしっかりと

「修行」したいと思います。

 

▼平成29年の五戸まつりにて

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▼所外調査のメインはカクレキリシタンです

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ひまわりとそば畑

お盆が終わり8月が

もうそろそろ終わろうとする

この時季は南郷に

ひまわりを観に行きます。

 

山の楽校の

一面に広がる

ひまわりとそば畑。

 

今年も観ることが出来ました。

 

お盆を終えて

もうすぐ秋彼岸を迎える

この時季に

つかの間の安らぎを

感じさせて頂きました。

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