開創の時代背景を探る〜阿光坊古墳群の探求〜

おいらせ町の

阿光坊古墳群は

7世紀前半〜9世紀末にかけ

造営されたものとされます。

 

当山開創は

延暦弘仁年間(8世紀末〜9世紀初頭)

なので阿光坊古墳群の中期と

同時期に当たります。

 

阿光坊古墳群は

蝦夷(えみし)のリーダー達の

ものと考えられているようです。

 

土器、勾玉や琥珀玉などの玉類

蕨手刀(わらびてとう)といった

貴重な出土遺品が多く

当時について考える

手がかりとなります。

 

お寺が開創された頃の

同時代的なものを探るべく

阿光坊遺跡群へ

足を運んでみました。

 

3人の開山上人について

5月15日は

当山初代住職のご命日で

開山忌(かいさんき)となります。

 

令和3年5月15日は

開創・圓鏡(えんきょう)上人の

1205回忌でした。

 

普賢院には

3人の「開山」上人が

いらっしゃいます。

 

開創開山・圓鏡上人

開基開山・行海(ぎょうかい)上人

中興開山・快傅(かいでん)上人

は歴代先師の中でも

殊に大切な3人です。

 

お三方について

動画で紹介させていただいたので

ご覧いただいて

当山とのご縁を

深めていただければ幸いです。

 

西の山の向こうの山をのぞむ

普賢院は真東を向いて

お寺が建てられています。

 

見方を変えると

真西を背負う形で

お寺が建てられているともいえます。

 

当山近辺だと

見晴らしの良いとき

西方には戸来岳の先端を

見ることが出来ますが

八甲田連峰は視界を

遮られているため

見ることが出来ません。

 

そこで

境内からドローンを上昇させて

視界を遮っている「西の山」の

奥に広がる光景を撮影してみました。

 

秀麗な山々は

当地に伝わる伝説の舞台でもあります。

 

そのようなことにも

思いをはせながら

山々をのぞむと

心洗われるような

思いがいたします。

 

白銀の清水観音と七崎観音

あまり知られていませんが

普賢院に祀られる七崎観音の

ルーツは八戸市白銀町に

あると伝えられます。

 

白銀の海から引き揚げられた

観音様が最初は

清水川上段に祀られ

平安初期に

七崎に遷されたとされます。

 

白銀で観音様を

引き揚げたのは

坂上田村麻呂将軍だとも

藤原諸江卿だともいわれます。

 

永福寺時代に当山は

清水観音の別当寺でした。

 

そのようなご縁深い

白銀の清水観音について

動画で紹介しておりますので

ぜひご覧下さいませ。

 

北沼観音と八太郎の蓮沼

普賢院境内に祀られる

北沼観音(きたぬまかんのん)。

 

こちらはもともと

八太郎の蓮沼にあったものですが

埋め立てに伴い

普賢院に遷座されたものです。

 

これまでも

当ブログで紹介してまいりましたが

簡単な紹介動画を作成しました。

 

祭祀されるものの由緒を

知っていただくことは

とても大切なことです。

 

紹介動画を通じて

北沼観音とのご縁を

一層深めていただければと思います。

 

当山にご参詣の際は

ぜひ北沼観音もお参り下さいませ。

 

観音堂の賽銭箱を作っていただきました

本堂建替にあたり

五戸木工さんにお願いしていた

観音堂の新しい賽銭箱を

仕上げていただきました。

 

五戸木工の先代の社長さんが

寄せていたというケヤキを使って

作っていただいたそうで

とても立派なものを

作って下さいました。

 

五戸木工さんには色々と

お世話になっていますが

職人技というものは

本当にすごいものだと

いつも感心させられます。

 

素晴らしいものを

作っていただき

心より感謝しております。

 

現在は仮観音堂に

置かせていただいてますが

空間の雰囲気が

一気に締まったように思います。

 

七崎観音と旧七崎観音堂

以前から

当ブログで書き溜めてきた

「ふげんいん探訪」の記事を

動画化したいと考えておりました。

 

試験的な意味合いもありますが

七崎観音について

大まかな紹介を動画にしてみました。

 

まだまだ改良の余地はありますが

文章だけよりは

ずっと分かりやすいように思います。

 

ご覧いただいて

観音様とご縁を

深めていただければ幸いです。

 

地鎮式に向けて〜お世話になった方々〜

今月行われる地鎮式。

 

儀式に必要な

お水と仏具を整えるにあたり

大変お世話になった方々が

いらっしゃいます。

 

その方々との

アーカイブ動画を作成しました。

 

本堂建替を

無魔成満させていただくことは

お世話になった皆様への

恩返しにも重なるものと思います。

 

感謝を胸に

地鎮式に臨ませていただきます。

 

作法からうかがえる本堂の尊さ

本日は新本堂建設の

施工部会が行われました。

 

新本堂が完成する来年10月までの

行程確認であったり

今後についての確認を重ね

有意義な会議だったと思います。

 

本堂建替に伴う主な儀式として

地鎮式(じちんしき)

上棟式(じょうとうしき)

落慶式(らっけいしき)

の3つがあげられます。

 

来月は地鎮式を行います。

 

真言宗における地鎮式は

大地を司るとされる

堅牢地神(けんろうちじん)を

本尊とした地鎮法という

修法を行ったうえで

式典が行われます。

 

真言宗には多くの

法流(ほうりゅう)

というものがあります。

 

法流というのは

宗派とはまた異なるもので

「作法の流派」といった

側面があるものです。

 

伝法院流

中性院流

中院流

三宝院流

西院流など

大まかなものだけで12流あり

さらに細分化すると

ものすごく沢山の

法流が伝えられます。

 

法流が複数にまたがることは

珍しくはなく

多くの法流の伝授を

受けられている

事相家の方もいらっしゃいます。

 

話が少し専門的に

なってしまいましたが

その法流により

地鎮式の作法も異なります。

 

当山にて主に用いられる法流では

本堂を建立する際は

地鎮法という作法を

行いますが

その他の

お堂や庫裏などの建物を

建立する際は

土公供(どこうぐ)という

作法が行われることとなっています。

 

一般的な感覚ですと

本堂やその他の建物は

あまり違いがないように

思われると思いますが

作法上は

意味合いが全く異なります。

 

この点は

専門性がかなり高いことですが

僧侶の立場からすれば

とても重要な点であると同時に

普賢院の歴史を

紐解く上でも踏まえるべき

ことだと感じます。

 

地鎮法の

次第を掘り下げてみると

本堂という建物が

とても尊いものだと

いうことがよく分かります。