普賢院の見どころ

悠久の歴史と祈り継がれ託されてきた「おもい」

当山は万人の平安を願うお寺として、平安初期に開創されました。以来約1200年もの歴史を誇り、十和田湖伝説や七崎姫伝説などの伝承にも彩られた古刹です。永きに渡り有縁の方々と共に歩み、有縁の方々により守られて参りました。宗祖弘法大師は「今」を生きる者の尊さを説き、生きるものの安寧を願い、万人の心に寄り添われた方です。その御心を受け継ぎ、これからも歩みを進めてまいります。どなた様もお気軽にお参り下さい。

 

《普賢院の主な見どころ》

①本尊・愛染明王(あいぜんみょうおう)

宥瑗(ゆうえん)により奉納(文化7年(1810))

 

②七崎観音(ならさきかんのん)【秘仏】

糠部三十三観音霊場15番札所の観音様、年1度御開帳

 

③南祖法師(なんそほっし)尊像

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)の御像

 

④“青森円空(えんくう)”の彫った千手観音坐像

奇峯学秀(きほうがくしゅう)御作の観音像

 

⑤会津斗南藩(となみはん)の墓石

斗南藩の方々の墓石16基は激動の歴史を今に伝えます

 

⑥お寺から真東にのびるメインロード

豊かな土と伝説のふるさと豊崎町の歴史を感じる風景

 

《普賢院の主な施設・設備》

①本堂

祈り継がれ祈り込まれてきた最も神聖な空間です

 

②観音堂

七崎観音はじめ多くの尊格が祀られます

 

③位牌堂(いはいどう)

当山歴代先師と檀家各家の位牌が祀られます

 

④客殿(きゃくでん)

通夜、会食、会議、寺子屋など多目的に使用されます

 

⑤鐘楼堂(しょうろうどう)

先祖の安寧、世の平和への願いが託されております

 

⑥ハナレ

憩い・集い・学びの場として多目的に使用出来ます

 

《歴史》

いにしえよりの“おもい”つぐ古刹(こさつ)

弘仁初期(810年頃)に圓鏡(えんきょう)上人により開創され、承安元年(1171)に行海(ぎょうかい)上人により開基されたお寺です。鎌倉〜江戸時代初期までは永福寺という寺号が用いられていました。

 

「稀代(きだい)の古刹(こさつ)」と謳(うた)われた七崎観音(ならさきかんのん)

七崎観音(ならさきかんのん)は旧観音堂(寺号・徳楽寺、現在の七崎神社)本尊で、明治になり遷座されました。現在の聖観音像は南部氏29代・藩主南部重信公が貞享4年(1687)4月に奉納されたものです。

 

十和田湖龍神伝説 南祖坊修行のお寺

南祖坊(なんそのぼう)は当山2世・月法律師(がっぽうりっし)に弟子入りし、全国の霊山霊跡を巡った果てに十和田湖に結縁入定して、青龍権現(せいりゅうごんげん)という十和田湖の龍神になったと伝えられます。

 

飢饉を乗り越えての中興開山

飢饉により当地域も当山も疲弊していた所、快傅(かいでん)上人のご尽力により、享保年間(1716〜1736)に当山は中興されました。

 

 

〜お参りの方へ〜

本堂や位牌堂へはいつでもお参り頂けますが、葬儀等仏事中の本堂へのお参りはご遠慮願います。お寺にご用の方は、本堂右手の庫裏にお声がけ下さい。御朱印や授与品をお求めの方も、本堂右手の庫裏にお声がけ下さい。御朱印は本尊、七崎観音、南祖坊など幾つか種類がございます。書き手がいる場合は御朱印帳にしたためますが、不在時はあらかじめ墨書されたものをお渡しいたします。本堂内の観音堂前に、糠部三十三霊場のスタンプ式御朱印が置いてありますので、入用の方はお使い下さい。御朱印代は定めておりませんので、お気持ちの程をお納め下さい。ご希望があればお寺をご案内いたしますので、お気軽にご相談下さい。

 

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