本年2月17日は
七崎観音(ならさきかんのん)
おこもり法要
が行われます。
七崎とは現在の豊崎町の旧称です。
七崎観音は
聖観音(しょうかんのん)という観音様です。
七崎観音おこもり法要という行事は
秘仏の七崎観音をご開帳して
行われる法要です。
例年ですと
護摩を行うのですが
仮本堂では消防法の関係で
護摩を修法できないため
昨年同様に形式を変えて
ご祈祷の法要を行ないます。
以下に
本年の法要のご案内と
これまでの
アーカイブ(動画)の
リンクを貼っておきます。
旧暦1月17日に行われるこの行事は
「おこもり」と通称されます。
一時は
存続の危機にあったのですが
試行錯誤を重ねまして
この10年で少しづつ
参列者も盛り返し
多くの方にご縁を
お結びいただけるようになりました。
当山HPは2016年に開設して
同時に「おてらブログ」も
開始したのですが
おこもりの時季となると
お寺の歴史であったり
七崎観音の由緒であったり
おこもりについての投稿を
重ねております。
過去の記事を見てみると
よくこれだけ多くのものを
調べてまとめたものだと
自身でも驚く程です。
ただ
記事のボリュームがあるうえ
投稿数も結構あるため
自身でもいつ何をまとめたのか
調べるのが大変なため
最近は画像資料として
整理したり
過去の記事を添付するなどして
あらためて当山と
向き合わせていただいております。
本年もおこもりの日が
近づいてきたので
七崎観音に関連する投稿を
重ねたいと思います。
少し前に
江戸期における
七崎観音の祀られ方について
紹介いたしました。
それがこちらの記事になります⬇
今回は前回の続きとして
もう少し具体的に
かつての七崎観音が
どのような所にどのような形で
祀られていたのかについて
拙僧泰峻が法流(お作法や法式などの流れ等)
を踏まえて出来るだけ具体的に
紐解いてみたいと思います。
諸史料・資料で
当時の要素を整理したうえで
法流を踏まえて
旧七崎観音堂が
どのようなものであったかを
考察するに
以下に用意した画像資料の
ようになろうかと思います。
まずは
旧七崎観音堂内ですが
七崎観音ご宝前には
護摩壇ほか法具が
荘厳されていたはずです。
▼江戸期の観音堂内部
次に観音堂のお堂についてですが
『新撰陸奥国誌』掲載の
俯瞰図(スケッチ)により
方形(ほうぎょう)であったことがわかります。
方形とは
正方形のお堂で
観音堂として採用とされることが
とても多かった様式です。
江戸期の棟札や史料により
七崎観音堂の大きさも分かっています。
七崎観音堂のイメージ図も含め
以下に画像資料を掲載します。
以上、今回は
旧七崎観音堂について
より具体的に紹介いたしました。
七崎観音とご縁を
お深めいただけると幸いです。