棟札(むなふだ)について
日本大百科全書(ニッポニカ)は
以下のように説明しております
(以下、コピペです)。
建築物の創建または修理に際して、その事実を木札などに記して棟や梁(はり)に打ち付けた記録である。その多くは建造の年月日、建築主、工匠の名前などを記す。家の守護神の名を記したり、呪文を記したものもある。一般に薄く細長い板で、頭部は多く山形をなし、呪物などとともに箱に入れる場合もある。同じような記録は棟や梁などに直接記される棟木銘にもみられ、これが棟札の起源であるといわれている。現存する古い例としては、岩手県・中尊寺蔵の棟札(保安3年(1122))、同金色堂の棟木銘(天治元年(1124))、また奈良・東大寺三月堂礼堂の棟札(正治元年(1199))がある。民家では奈良県五條市五條の栗山家が慶長12年(1607)の棟札を残し、現存する最古の町屋とされている。
当山にも棟札が所蔵されており
歴史を今に伝えております。
「棟札に耳を傾ける」と銘打ち
当山所蔵の棟札を紐解きつつ
当山の歴史に触れてまいります。
棟札に耳を傾ける前情報として
宝暦9年(1759)の
江戸幕府の御触(おふれ)
により開始された
藩領の社堂の調査をまとめた
『御領分社堂』という
宝暦13年(1763)の書物に
記載される所の
七崎(豊崎の古称)について
見ておきたいと思います。
『御領分社堂』は
以下のように
七崎の諸堂の一端が
記載されております。
寺院持社堂 五戸御代官所七崎
一 観音堂 四間四面萱葺(かやぶき)
古来縁起不相知
萬治元年(1658)重直公御再興被遊
貞享四年(1687)重信公御再興被遊候
何(いずれ)も棟札(むなふだ)有
(この観音堂は
現在の七崎神社の場所にあったもので
明治になって神社に改められました。)
一 大日堂
一 不動堂
一 愛染堂
一 大黒天社
一 毘沙門堂
一 薬師堂
一 虚空蔵堂
一 天神社
一 明神社
一 稲荷社
一 白山社
右十一社堂は観音堂御造営之節
依御立願何も御再興被遊候
小社之事故棟札も無之
只今大破社地斗に罷成候
一 月山堂 壱間四面板ふき
一 観音堂 右ニ同
右両社共に観音堂御造営之節
重直公御再興也
(この観音堂は千手観音堂です。)
善行院(ぜんぎょういん)
当圓坊(とうえんぼう)
覚圓坊(かくえんぼう)
覚善坊(かくぜんぼう)
右四人之修験は本山派にて
(七崎神社誌では“七崎修験”は
「真言宗なり」とあり
当時の“宗派性”が垣間見られます)
拙寺(永福寺)知行所所附之者共御座候
古来より拙寺(永福寺)拝地之内
三石宛(ずつ)遣置
掃除法楽為致置候
ここに記される
お堂の全てではありませんが
棟札が残っております。
また
ここに記されていない
お堂の棟札も残っております。
棟札一枚一枚に
記されることに
“耳を傾け”ながら
紹介させて頂きたいと思います。
