素晴らしいおこもりとなりました

年に一度の

七崎観音おこもり護摩法要。

 

当山住職の法友に

各所よりかけつけていただき

とても厳かな法要を

お勤めすることが出来ました。

 

また

今朝からの雪で

悪路であったにも関わらず

多くの方がご参列くださり

とても嬉しく思いました。

 

ご一緒くださった皆様に

心より御礼申し上げます。

 

▼ライブ配信の動画はコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=FYT-MnsIYhk&t=1566s

 

明日はいよいよ「おこもり」です

年に一度の

おこもり護摩法要は

明日の開催です。

 

なお

七崎観音の完全なご開帳は

夕方からとなります。

 

仏像を被写体として捉え

無作法に立ち入りを

ご遠慮いただいている

内陣へ入られて

撮影する方が散見されるので

法要の受付が始まる少し前から

完全なご開帳といたします。

 

これまでもチャレンジの連続でしたが

令和6年のおこもりもまた

新たな要素を取り入れて

謹んで勤めさせていただきます。

 

本年は19:30から法話を行います。

 

他の催事同様

画像資料を用いて

お話させていただくので

耳を傾けていただけると嬉しいです。

 

法要は

大般若転読という

お作法も行う法式で

護摩をお勤めします。

 

当山住職含め5名で

厳かにお勤めいたしますので

願いをはせていただければと思います。

 

ご参列される皆様を

心よりお待ちしております。

 

夜分の行事ゆえ

お気をつけて

お運びくださいませ。

 

▼詳細はコチラ

https://fugenin643.com/blog/18631/

 

おこもりまで2日ですが

おこもりまで2日となりました。

 

おこもりのご案内はコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/18631/

 

2日前なのですが

本日は早朝より葬儀へ

出掛けまして

午後3時過ぎにお寺に戻りました。

 

それから少しでも

会場設営をしようとして

週末にお見えになるお弟子さんに

電話をすると

もうすでに帰路についたということで

手伝っていただくことが出来ず…

 

会場設営のお手伝いは

明日お願いすることにし

タイムリミットが迫っているため

方針転換をしまして

当日の法話の資料作りを行いました。

 

明日はご助法いただく

住職方が各地から八戸に

お見えになります。

 

住職方のお力にも

大いに頼らせていただき

一気に準備したいと思います。

 

年度末の立て込みに奮闘中です

2月21日と22日は

研究機関の関係で

上京してまいりました。

 

年度末でもあるので

今月来月は出張が多いので

てんやわんやしています。

 

お寺の法務や行事もあるので

フル稼働という感じで過ごしています。

 

26日は

七崎観音おこもり護摩なので

その準備に取り掛かりたいのですが

法務の関係で

本格的準備に入れないでおります。

 

▼おこもりのご案内

https://fugenin643.com/blog/18631/

 

今年のおこもりは

準備がギリギリまでかかりそうですが

法要の方は内容も定まったので

そちらは楽しみでもあります。

 

ここ数日

ものすごい寒暖差なので

体調を崩さないように

奮闘したいと思います。

 

紐解き七崎観音⑧

観音菩薩

地蔵菩薩

不動明王

という尊格は

宗派などの枠組みにとらわれず

庶民にて大切にされ

抜群の支持を得ていたと

いうことが出来ると思います。

 

専門的な仏師ではなく

在地にて作仏された仏像を

民間仏(みんかんぶつ)と

称することがあります。

 

民間仏は

儀軌や経典に提示される姿ではなく

素朴な祈りの心を種として

僧侶・山伏・信者その他の在地の人の手で

つくられたものです。

 

素朴な祈りの心は

教理仏教とか哲学といったものとは

全く無関係ではないでしょうが

違う次元のもので

自然に湧き起こるような

願いや思いのことを指しています。

 

日本への仏教伝来の時期には

伝統的に二説(538年と552年)ありますが

日本書紀の記述を見ますと

伝来間もない頃は

各仏像についても

没個性的で未分化した認識のようで

とにかく現世利益的に

祈ったらしいことが記されています。

 

日本書紀の記述内容は

歴史的史実でないにせよ

当時の認識を

窺い知ることができ

これも素朴な祈りのあり方だと

いえると思うのです。

 

浄土信仰といわれる

祈りのムーブメントがあるのですが

この信仰の日本的展開を捉えるには

弥勒菩薩と兜率往生

阿弥陀如来と極楽往生

観音菩薩と補陀落往生など

時代時代に主流が転じたことを

おさえる必要があります。

 

天平時代の終わり頃までは

弥勒菩薩の信仰が

阿弥陀如来の信仰を

はるかに凌いでいたことを

ご存知でしょうか?

 

また

阿弥陀信仰が

表立って支持された時代においても

弥勒信仰は並立していることが

伺われますし

観音信仰もまた対立するものではなく

支持され尊ばれていました。

 

普賢院には

十和田湖の龍神になったとされる

南祖法師の伝説が伝えられますが

その様々な筋書きには

いま見ているような

並立する諸要素を

汲み取ることが可能で

この伝説についても

本シリーズで試みているように

伝説を通じて多様なモノを

あれこれと伝えられ

さらには生きるうえの糧となるような

メッセージに重なるようなモノを

お伝え出来るような形を目指したいと

かねてより考えております。

 

十和田湖伝説は最近では

観音信仰と結びつけて

捉えられている感がありますが

それは一面であって

弥勒信仰が色濃く

反映されていることは

別シリーズで別の機会に

ご紹介いたします。

 

ここまでが前置きなのですが

七崎観音にまつわる諸事ついても

観音信仰としてのみ

捉えようとすることが難しい

ということをお伝えしたかったのです。

 

そこには様々な要素が

豊かに織り交ぜられていて

生きた祈りがあって

切実な願いがあって

さらには様々な事情が影響して

語り継がれてきたものとして

縁起などと向き合うことが

有意義な姿勢であると思います。

 

現在に伝わるものが

そのままの形で

古来から継承されているとは

思えませんが

時代時代の激動を遡って

いささか想像に挑むことは

ある程度可能かもと考えています。

 

それとは別に

ほかの観音譚や説話を頼りに

観音菩薩のエピソードをもとに

カスタマイズを行い

七崎観音霊験譚として

新たな形に創作してみるのも

よい方法のようにも感じています。

 

七崎観音の由緒云々については

考察や検討することで

何らかの最適解みたいなものが

導き出されるわけではありませんが

全国各所に伝わる観音霊験譚をもとにして

観音菩薩にまつわるエピソードを

伝統的な構成により創作してみるのは

オンリーワンの素敵な

プロジェクトになるように思います。

 

七崎観音についての

縁起や由緒について

これまでも何らかの機会に

時代的背景・価値観が

多分に反映された形で

文書として編集されてきたと

思われます。

 

弘法大師御遠忌といった

祖師方の節目や

塔堂建立・仏像造立などの節目に

寺院や諸仏の

縁起・由緒が見直されて

新たに共有されるということは

何度も繰り返されることです。

 

当山の各種記念誌や

講演史料や寺報などの刊行で

七崎観音について述べることが

幾度もありますが

七崎観音について

以前まとめられたものの一例として

大正6年(1917)に編集された

『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄著)が

あげられます。

 

かつて七崎観音堂は

現在の当山より南方に位置する

七崎山または観音山と称される

山にありましたが

明治になり旧七崎観音堂は廃止となり

当山の境内地から切り離され

その地は七崎神社に改められました。

 

小泉幸雄(旧修験家の神宦)の

『郷社 七崎神社誌』は

明治元年(1868)から49年も経った

大正6年に完成したものなので

その内容を紐解くには

ピンポイントな

時代背景はもちろんのこと

明治への転換期のことも

注意深く踏まえる必要があります。

 

明治以後から昭和の戦中にかけ

神社の行政的位置づけが

段階的に変容するので

この点についても

把握しておく必要があると思います。

 

明治に改まって

それほど経過していないうちの

当地の記録として

紐解き七崎観音①資料1

『新撰陸奥国志』(明治9年[1876])

に記述があり

さらにここでは

明治仕様となった縁起について

語った地元の方に対する

筆記者の意見が垣間見られる箇所もあります。

 

行政的な神仏の線引きが図られた明治時代。

 

各種併存し習合していた

素朴な祈りの心が

「上からの改革」により

あるがままではなくなり

手直しされた新たな縁起を

用意することになりました。

 

明治になって

スイッチのオン・オフのように

神仏分離が図られたわけではなく

完全に神社として分離されるまでには

時間がかかったことが

史料からうかがえますし

当時の住職や旧修験家や総代はじめ

地元の方々が段階を設けて

重大な案件に向き合ったことが

うかがわれます。

 

今回は

素朴な祈りの心には

諸要素が豊かに含まれていることに

触れながら述べてみました。

 

素朴な祈りの心は

時代によって異なるとは思いますが

誰にでもある心だと思います。

 

七崎観音は

額部33観音霊場第15番札所の観音様ですが

この霊場が成立した背景や

巡礼が重ねられた背景にもまた

生きた祈りの心があり

さらに先達を務めたであろう

山伏や信者などの中には

切実な背景を背負った方も

多かったと想像されます。

 

次回は

七崎観音に仕えたうえ

教導にも関わった方々にも触れながら

あれこれと紹介してみたいと思います。

 

つづく

 

新作リーフレットのご案内

新作リーフレット3点のご案内です。

  1. お寺でのお葬式
  2. 合葬墓
  3. 護摩法要

『お寺でのお葬式』は

お寺で葬儀を行う際について

ご案内しております。

 

『合葬墓』は

令和4年秋に完成した

合葬墓のご案内です。

 

『護摩法要』は

当山で行っている

護摩のご案内です。

 

本堂・位牌堂・会館1階各所で

各種リーフレットを

お取りいただけるので

入用の方は

お参り等の際に

お取り下さい。

 

令和6年最初のお寺ヨガ

2/18は

本年最初のお寺ヨガが

開催されました。

 

例年ですとこの時季は

とても寒いのですが

本年はあまり寒さを

気にすることなく

初回を終えることが出来ました。

 

薬師如来が祀られる祭壇の

照明のみ点灯して

お寺ヨガを行っているのですが

とても幻想的で

心地よい空間であると

つくづく感じます。

 

このような空間で

心身をときほぐす

時間を過ごすことが出来るのは

お寺ならではという気がします。

 

今回ご一緒くださった皆様

ありがとうございました。

 

次回は4/27の開催です。

 

▼参加申し込みはコチラ

https://forms.gle/vjQ2ZcmeYtmecL8A8

 

ご都合よろしい方は

ぜひご一緒ください。

 

厳かなおこもり法要をご一緒ください

七崎観音おこもり護摩法要の日時

日程 令和6年2月26日

受付 午後7時〜

法話 午後7時30分〜(20分程を予定)

法要 午後8時〜

※今年は法要前に、七崎観音に関してお話をさせていただきたいと思います。

※受付は法要直前まで行います。法話中も受付は行いますので、法話が始まっていても、本堂に出入りしていただいて大丈夫です。

※下記URLにて事前受付も可能です。当日のご来場がスムーズになると思います。

https://forms.gle/3Bq3KMtqkm65og3X8

 

秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)は

一年に一度だけご開帳され

そのご宝前で護摩法要を厳修します。

 

ご開帳は毎年

旧暦1月17日大安

という慣習になっています。

 

ご参列についての詳細は

下記リンクより

PDFにしたご案内を

ご参照ください。

 

本年は

大般若附護摩法要

(だいはんにゃつきごまほうよう)

という法式で

一段と厳かに法要を

行わせていただきます。

 

大般若附というのは

大般若転読(だいはんにゃてんどく)

という作法を行うという意味です。

 

本年も拙僧泰峻と

親しくしていただいている

住職方にご助法いただきますので

以下に紹介させていただきます。

 

浄明院(愛媛県松山市)森脇宥海師

善養寺(東京都江戸川区)名取玄喜師

地福寺(東京都足立区)石井文教師

大聖寺(北海道旭川市)伊藤聖健師

 

以上の住職方と当山住職の5名で

本年のおこもりは厳修いたします。

 

北海道の大聖寺・聖健師は

本年はじめておいでいただく方ですが

拙僧泰峻と同じ研究機関に所属される

学者先生でもあり

さらには数年前にサハリンへ

慰霊巡礼へ行かせていただいた際

お声がけくださった方でもありますし

令和4年12月に行われた

本葬・晋山式、本堂落慶式でも

職衆としてお力添えいただいた方です。

 

ご縁の深い住職方とともに

おこもり法要を

厳かに勤めさせていただきます。

 

一年に一度の

厳かで尊いひとときを

ご一緒しませんか?

 

▼詳細はコチラ(PDF)

R6おこもり案内

 

▼昨年の様子

紐解き七崎観音⑦

七崎観音縁起ほか

当地に伝わるお話には

藤原諸江という人物が

しばしば登場します。

 

近世の文書では

この諸江卿は荒神として

祀られていたらしいことが

報告されています。

 

なお当山には

旧修験家に預けていて

返還されたと思われる

仏教的な荒神の鋳像が

数体残されているので

諸江卿としてだけでなく

荒神は三宝荒神としても

祀られていたものと

推測しています。

 

民間信仰や庶民信仰と

表現されるような

身近で日常的な祈りのあり方は

各種併修・併存したのであり

理論と実践

教義と実際は

別物であると考えます。

 

そうとはいっても

教相・事相(専門的な教義や作法など)を

軽んじるつもりはありませんし

むしろそれらを踏まえなければ

身近なものとして

捉えられていたであろうものを

浮かび上がらせることは難しいと

常々思っています。

 

荒神の話に戻りますが

民俗学のある説では

古いお墓であったり

地域の始祖が祀られたものを

荒神と呼ぶことがあり

きちんと崇め祀らなければ

荒ぶる神となり

災がもたされるという

古くからの観念が想定されています。

 

そういった観念は

荒神だけではなく

民衆的なものも含めて

多くの神仏に通じていたのです。

 

藤原の家筋を

祖先とするお家が

当地に今も残ります。

 

藤原家を出自とし

“大人の事情”により

都から当地に流罪に処されたという筋書きは

尊格縁起だけでなく

祖先縁起としても採用されていることは

注目すべきことと思います。

 

祖先縁起という点では

七崎観音を引き揚げたとされる一人

坂上田村麻呂公についても同様であり

公に由来するとされる家もまた

当地にもあります。

 

系譜は

今も重んじられていると思いますが

かつては今の比ではなく

重んじられたものです。

 

この点も踏まえて

七崎観音縁起を検討することは

語り継がれてきたものの

背後にあるであろうものへ

接近しうる方法といえるでしょう。

 

系譜は連なりです。

 

何の連なりであるかにより

名称も趣旨も異なると思いますが

仏道でも法流・血脈という

系譜が重要視されます。

 

法流は師子相承の流れであり

伝授の証として印信が授与されます。

血脈は葬儀の際の引導でも用いられるため

一般にも知られていると思いますが

引導作法における血脈は

「仏へ連なる法流の系譜」といえます。

 

ちょっと違った観点から

系譜の意義について考えてみましょう。

 

現代は

スマホやカメラで撮影することができ

気軽に記録を残すことが出来ます。

 

写真技術は幕末の日本に伝えられ

明治以降徐々に社会に受容され

今では身近なものとなりました。

 

今生では

会ったことのない

自身の血縁者の容姿を

写真で拝見することが出来ますし

動画記録があるならば

映像を通じて認知することが可能です。

 

目視可能な状態で

自身の血縁者の先人と向き合うことが出来

その方が生きた時代についても

多くの視聴資料に触れやすいので

ある程度具体的に思い描きやすいと思います。

 

このような状態であれば

自身の家の血縁の系譜についても

字面だけのものとしてではなく

実感をもって血縁を感じることが出来ます。

 

現代的な系譜の実感は

とても具体的なのです。

 

当山は真言宗豊山派なので

ついでに真言宗の血脈についても

紹介したいと思います。

 

現代的な系譜の実感は

とても具体的であることの話ついでですが

真言宗において系譜(法流)が

非常に重んじられていることは

本堂の荘厳から明らかです。

 

本堂には八祖図あるいは八祖像を

祀る習わしとなっています

(本山や本寺格では、十祖が祀られることが多い)。

 

ちなみに

荘厳具としての八祖と

作法における八祖は区別されており

前者を「伝持の八祖」

後者を「付法の八祖」といいます。

 

水が瓶から瓶へ

もれなく移し来たった如く

連綿と法が継承されてきたことを

八祖は意味します。

 

八祖にはインド、中国の高僧の名が連ねられ

第八祖に弘法大師が連なります。

 

八祖以後も連綿と法が継承され

師子相乗が重ねられ

今に至っていることを考えると

とてもスケールの大きいことだと感じます。

 

当山ではお弔いでの引導作法では

(付法の)八祖から始まり

以後の高僧方が代々継承され

現在の住職に至る法流に

故人を連ねた血脈をお授けして

棺内に納めさせていただいております。

 

現代的な系譜の時間は

テクノロジーにより支えられたものです。

 

テクノロジーにより

その時々の様子が写し取られ

記録されることが可能になりました。

 

それでは話を本筋に戻し

大テーマである七崎観音縁起について

先に触れた諸家の系譜云々の再考から

述べてみたいと思います。

 

日本に限らず系譜の祖に

血縁者ではなく「仮託された人物」が

据えられることは珍しくありません。

 

尊格であったり鬼であったりが

「祖先」と位置付けられる場合があります。

 

現代的系譜が

現実的共有に重きがあるとすれば

“テクノロジー以前”の系譜のあり方は

精神的共有に重きがあるといえます。

 

精神的というのは

現代でいうスピリチュアルも含むし

信仰ということも含みます。

 

とすれば

血縁の系譜は祈りに関わるものであり

誉であったり

心の安寧にも

つながりうるものといえます。

 

荒神はじめ

様々な祭祀の実施は

“荒ぶる神仏”を鎮めるとともに

恩恵を願うものだったといえます。

 

藤原の血統とされる

当地のお家には

かつて修験家であった

お家もあります。

 

当地の七崎修験は

七崎観音に仕える方々であったともいえ

それを踏まえると

当地のお話にチラホラ登場する

藤原諸江卿の意味が

うっすら見えてこないでしょうか?

 

流刑に処され

悲運をたどらされた

京都からの貴人のお話は

近隣地域でも聞かれます。

 

その意図するところは

幾通りにも考えられるでしょうが

系譜を尊び

氏神や祖先と位置付けられた

「先祖」を慈しみ敬い

天災・飢饉・疫病が招かれることを厭い

風雨順次・五穀豊穣・萬民豊楽が

願われていたことを

藤原諸江卿のお話や

その娘ともされる七崎姫のお話などは

垣間見せていると思います。

 

御霊会などと絡めながら

お浜入りの行事や

七崎観音縁起について

検討するつもりでしたが

予定とは少し別のお話と

なってしまいました。

 

全く関係ないお話ではないのですが

とても大切なことと思いますので

ご容赦いただければと思います。

 

つづく

 

果敢な挑戦に胸うたれ

一昨年秋から

行事の配信などで

細々とご協力いただいている

頼もしき友人が

新たに走らせようとしている催事の

モニタリングに

ご一緒させていただきました。

 

以前から

何かしらの形で

お寺でやってみましょうと

構想はしておりまして

今回はその一部を

試験的に実施いただきました。

 

拙僧としては

お寺でプログラミングをやる意味を

どのように捉えるかということについて

以前から考えていたのですが

今回のモニタリングで

何となくイメージが湧きました。

 

ご一緒された有志の皆さんからも

様々なアイディアが出され

今後さらにブラッシュアップされた

素敵な催事になっていくと思います。

 

果敢に前へ

進もうとされる

企画者である友人の姿に

胸をうたれた

モニタリングとなりました。