昨年、由緒が明らかになった
古い観音像(現在修繕中です)。
本堂建替に伴い取り掛かっている
仏像・仏具や文書の整理の
甲斐ありここ何年か
歴史的発見が続いていますが
観音像の素性が判明したことも
とても大きなことでした。
▼関連記事はコチラ
普賢院の観音堂本尊である
七崎観音(ならさきかんのん)の
大切な行事「おこもり」が
本年は2月28日(旧暦1月17日)に
行われます。
そういった時季でもあるので
昨年新たに判明したことの
整理を行い
なるべく分かりやすい形で
紹介したいと思います。
ダイジェストを
次の画像にまとめたので
まずはそちらをご覧下さい。
昨年新たに判明したのは
図でいうと青で示された箇所の
聖観音像についてです。
こちらの観音像は
とても古いもので
昭和期までは
大きな厨子に
納められていました。
大きな厨子は
傷みが顕著だったため
すでに処分されています。
その由緒については
長らく不明だったのですが
これまで積み重ねてきた
“探求”が功を奏しまして
明暦元年(1655)に
南部重直公により奉納された
ということが判明しました。
旧観音堂は
慶安2年(1649)に落雷により
焼失しています。
その後
重直公を施主として
承應3年(1654)〜明暦2年(1656)に
観音堂ほか末社十二社が
再興されおり
その棟札が残っております。
『寺社記録』によると
落雷による観音堂焼失後の
慶安4年(1651)にも
再興されたと記述が見られます。
この時期
重直公は病を患っており
藩内の多くの寺社仏閣に
病気平癒のご祈祷をするよう
藩令が下されていました。
病状が一時回復した重直公は
“ご祈祷の御礼”もかね
各所の寺社仏閣の
修繕事業の施主となられています。
七崎観音堂についても
その時期とちょうど重なります。
重直公は
寛文4年(1664)年秋にご逝去され
同年冬に次代藩主となられたのが
重信公で
現・七崎観音の聖観音像を
ご奉納された藩主です。
重信公は「御前立(おまえだち)」
として聖観音像を
納められています。
「御前立」とは
本尊などの主要な仏像の前に
ご安置される仏像です。
これまで触れてきたことを
踏まえるに
明暦元年(1655)以降は
重直公がご奉納された
聖観音像が七崎観音として
祀られていたと考えられます。
重直公ご奉納の聖観音が
七崎観音として祀られ
その御前立として
重信公ご奉納の
現・七崎観音が
祀られていたと思われます。
ではなぜ現在の形に
なったのかについてですが
思い当たる所が
いくつかありまして
この点については
後々記させていただきます。
▼『新撰陸奥国詩』掲載の俯瞰図をもとに
近世の当地の再現イラスト。
▼近世における主なお堂の
建立年代と規模。