拙僧(副住職)の祖父である
長峻(ちょうしゅん)は
当山住職であるのみならず
現在の南部町にございます
牡丹のお寺である長谷寺(恵光院)と
山形湯殿山の大日坊の住職も兼ねた僧侶です。
ちなみに拙僧(副住職)の法名である
泰峻の峻の字は
長峻大和尚の一文字を頂いております。
長峻大和尚は日記を毎日記していたようで
たまたま大正14年の手帳が
出てまいりました。
大正14年は先日逝去した
拙僧(副住職)祖母の品田豐(とよ)が
生まれた年でもあります。
祖母は8月18日生まれなので
その日のページを見てみると
祖母のことが記されおりました。
正午過即ち十二時半
常子無事女児分娩ス
常子痛む事二十五分也
尤も易産乎安也
是偏に大悲尊之力也
長峻大和尚の日記には
毎日欠かさずにお勤めをし
様々な書籍を読み
常に研究をしていた様子が
うかがわれます。
祖母が安産であった様子を
綴った文面からも
その人となりが何となく
伝わってくるように感じます。