世界各所では
現在も戦争が
行われております。
もはや
誰が「敵」で
誰に攻められているのかすら
分からないような中で
生活されている
沢山の方がいらっしゃいます。
他人事ではない凄惨な現実。
人と人が
憎しみあい
人と人が
命を奪いあう
1つの“世のあり方”。
仏道では
悲しみながらも
争わなければならない世界を
「修羅(しゅら)の世界」といいます。
我々の心には
“十の世界”があると
説かれます。
地獄(じごく)
餓鬼(がき)
畜生(ちくしょう)
修羅(しゅら)
人(にん)
天(てん)
声聞(しょうもん)
縁覚(えんがく)
菩薩(ぼさつ)
如来(にょらい)
これらは私たちの
心の“姿”
でもあります。
生まれながらに
「ゲリラ」である
人間は1人として
存在しません。
生まれながらに
「殺人鬼」である
人間は1人として
存在しません。
心の畏るべきこと
毒蛇、悪獣、怨賊よりも甚だし。
大火の越逸なるも
未だ喩とするに足らず。(by『仏遺教経』)
心のあり方は
世界のあり方そのものにも
大きく関わるものかと思います。
戦争は
人の心のあり方の
1つの状態でもあります。
心を整える大切さが
仏道では説かれます。
向き合わなければならない
「苦」を乗り越えながら
自身を深め
自身を高め
世に尽くしながら
歩みを進めていく。
仏道とは
み教えを「今」に
活かしながら
歩むことです。
美しき心の“姿”。
悲しき心の“姿”。
醜き心の“姿”。
恐ろしき心の“姿”。
さまざまな
心の“姿”を
私たちは宿しております。
本日は
いかなる“お姿”でいらっしゃいますか?