吉田兼好の『徒然草』第73段。
たまたま“出逢った”
文言ですが
情報社会である現代に生きる
私たちが気をつけなければ
ならないものと感じました。
さらにいえば
「歴史学」において
しっかり踏まえなければならない
“限界”であるようにも感じたので
こちらで紹介させて頂きます。
以下は
『徒然草』第73段の一部です。
世に語り伝ふる事
まことはあいなきにや
多くは皆虚言なり。
あるにも過ぎて
人は物を言ひなすに
まして年月過ぎ
境も隔りぬれば
言ひたきままに語りなして
筆にも書き止めぬれば
やがて定まりぬ。
(拙訳)
世に語り伝えられる事の
まことはつまらないのだろうか
多くはそらごとである。
本当のこと以上に
“誇張して”物を言ったりするし
まして年月が経ち
場所も隔たってしまえば
言いたいように語りなし
文字として書物等に
書き止められれば
それがやがて「まこと」として
定まってしまいかねない。
「うそ」や「うわさ」なども
書物などの記録として残ってしまえば
「まこと」になってしまうことがある。
多少なりとも
歴史や伝統に携わる身として
思い当たる所が多々あります。
“時空をこえて”
兼好法師に留意すべきことを
語りかけて頂きました。