当山はかつて
永福寺というお寺で
南部氏の祈願寺(祈願所)
として重宝されました。
南部氏が
盛岡に拠点を移す際に
永福寺も
盛岡の地に改められます。
永福寺は
真言宗の「惣録(そうろく)」(統括寺院)であり
寺領800石の大寺でした。
南部氏には
流れがあります。
当山は
南部氏宗家である
三戸南部氏と
深く関わった
お寺です。
三戸南部氏が
盛岡に拠点を移した後も
永福寺は
祈願寺として大切にされました。
『邦内郷村志(ほうないごうそんし)』
という古文書の中に
永福寺について
以下のように書かれております。
※以下、抜粋です。
重信公貞享三年 御造営成
慶長元和之頃 従三戸御移
真言宗歴代祈願所
寺領八百石 是為邦内諸刹之冠成
故寺格無出其右
最多末山
「寺領800石」と
聞いても中々ピンとは
きませんが
南部藩領において
2番目に大きな石高だそうです。
現在、永福寺は
盛岡市下斗内に
構えられております。
▼『邦内郷村志』はイーハトーブ岩手電子図書館でご覧頂けます。
http://www.library.pref.iwate.jp/ihatov/index/sakuin.html
▲「根城の広場」(八戸市)の案内板
▲現在の永福寺(盛岡市下斗内)