南祖坊伝説の諸相⑦ コケ(鱗)のお土産

『永福寺物語』(昭和22年、山岸郷友会)

という冊子によれば

当山の前身である永福寺では

毎年4月(現在の5月?)に

南祖坊護摩供養会

(なんそのぼうごまくようえ)

が行われていたそうです。

 

江戸期に永福寺は盛岡に

拠点を構えることになりますが

以後も十和田湖伝説に登場する

十和田湖の龍神(青龍大権現)

でもある南祖坊は

篤く信仰されたようです。

 

毎年厳修されていたという

南祖坊護摩供養会当日の

護摩の時間になると

不思議なことに必ず

大風雨が起こったと

伝えられます。

 

この大風雨は

南祖坊が永福寺に来たことを

示すものでもあり

護摩の法会が終わると

風雨は止んで晴れたそうです。

 

そして南祖坊はお土産として

大蛇のコケ(鱗)を3枚ずつ

置いていったといわれます。

 

明治時代の廃仏毀釈の嵐が

吹き荒れる中

盛岡永福寺は東坊(普賢院)を残し

廃寺に追い込まれます。

 

様々な困難がありながらも

昭和17年に再興を遂げ

かつての東坊の地に建立されたのが

現在の盛岡にある永福寺です。

 

その再興にご尽力された

当時のご住職である熊谷道安師は

南祖坊大遠忌護摩供養会

(だいおんきごまくようえ)

を執り行いました。

 

当日は絶好の春日和で

快晴だった所

護摩の時間になると

“大風雨”に見舞われましたが

約2時間後には再び晴れたそうです。

 

「約2時間後」というのは

護摩供養会が終わって後

という意味だと思います。

 

実際に護摩の作法は

当山や盛岡永福寺が用いる法流の

次第通りに全てお勤めすると

約2時間かかります。

 

護摩(ごま)というのは

密教ではとても大切なもので

その起源は古代インドに遡ります。

 

護摩は日本でも古くから

ご祈祷の際に厳修されております。

 

余談ですが

現在当山の観音堂内に

お祀りされている

南祖坊の御像である

南祖法師(なんそほっし)尊像は

とても黒いお姿をしております。

 

当山住職によれば

これは護摩が何度もお勤めされた

ためだろうとのことです。

 

おそらくその通りだと思われます。

 

南祖坊にまつわる法要や法会は

他の文書にも見られますが

細かな検討や紹介は

日を改めさせて頂きます。

 

南祖坊の来臨・降臨は

大風雨とともになされる。

 

そして大蛇のコケ(鱗)を

3枚ずつ置いていく。

 

今回はコケ(鱗)のお土産

というエピソードを

南祖坊伝説の諸相の1つとして

紹介させて頂きました。

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▼盛岡永福寺に建つ青龍大権現の碑

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