八甲田(はっこうだ)という名は
全国的に知られているかと思います。
八甲田とは1つの山の名ではなく
山々の総称です。
よく通り過ぎることはあっても
じっくりと向き合うことは
これまで全く無かったので
八甲田山頂公園に
立ち寄らせて頂きました。
ロープウェイでお話しして下さった
ガイドの方によれば
八甲田の山々は
標高は1,500メートル級ですが
高緯度のため
標高3,000メートル並の環境と
同様になるんだそうです。
青森県で一番高い山は
津軽富士ともいわれる岩木山で
標高1,625メートルです。
八甲田の主峰は
大岳が1,585メートル
井戸岳が1,550メートル
赤倉岳が1,548メートルで
3つの主峰は並立し
独特の山頂フォルムをしており
遠方であっても
各所から望むことが出来ます。
八戸からも雄大な八甲田の山々を
望むことが出来
当山近辺からも望むことが出来ます。
ここでちょっと
南祖坊(なんそのぼう)についても
触れてみたいと思います。
『来歴集』(らいれきしゅう)という
元禄期に盛岡藩の学者である
藤根吉品が編じた書物があります。
この藤根吉品という人物は
南部重信(しげのぶ)公
南部行信(ゆきのぶ)公
南部信恩(のぶおき)公の
三代に右筆として仕えた方です。
『来歴集』では
十和田湖伝説について触れられており
難蔵坊(南祖坊)は
額田嶽熊野山十瀧寺住職
という伝が紹介されております。
額田(こうだ)は
八甲田とするのが
これまでの「定説」です。
八甲田のちょうど南に
十和田湖は位置します。
『来歴集』の少し後
享保期に刊行された
『津軽一統志』という書物では
津軽と糠部の堺
糠檀(こうだ)ノ嶽に
湖水あり
十灣ノ沼(とわだのぬま)と云うなり
と記されています。
糠檀ノ嶽を
現在の八甲田として捉え
十灣ノ沼を
現在の十和田湖として捉えると
八甲田に十和田湖がある
と読み直すことが出来ます。
色々調べていて感じるのですが
少なくとも
拙僧(副住職)の感覚として
八甲田と十和田湖の
関係性が今と昔とでは
異なるように思います。
熊野山という山号
十瀧寺という寺号も
南祖坊の伝説を紐解くにあたり
大切な要素かと思います。
これらについて述べ始めると
かなり分量が多くなるので
十瀧寺について少しだけ触れます。
十瀧寺の読み方について
「とうたきじ」と読まれている方が
多いようですが
拙僧(副住職)の一見解として
「とうろうじ」
あるいは
「とうりゅうじ」
「とうりょうじ」とした方が
適切ではないかと考えております。
熊野那智には
那智大滝という有名な滝があり
その滝の龍神を
飛瀧権現といいます。
飛瀧は
「ひろう」「ひりょう」「ひりゅう」と
いくつか読み方がありますが
これらに準じて
十瀧寺を読んだ方が良いと感じます。
話を八甲田に戻しまして
八甲田周辺には
酸ヶ湯温泉
猿倉温泉
谷地温泉
蔦温泉などなど
有名な温泉が各所にあります。
湿原が多いため
貴重な植生を観察できますが
“湿原あるある”で
夏場は虫が無数に飛び交っています。
八甲田で有名なエピソードの1つとして
明治35年(1902)の
八甲田雪中行軍遭難事件が
挙げられるかと思います。
これは
ロシアとの戦争に向けて
日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が
雪中行軍演習を実施した所
猛烈な寒波による吹雪に見舞われ
八甲田で遭難した事件です。
日本人死没者の慰霊のため
来月末にサハリン(旧樺太)へ
渡ることになっている
拙僧(副住職)としては
この八甲田雪中行軍のことが
とても大きなテーマを宿したものに
感じられました。
八甲田ロープウェイ山頂駅は
田茂萢(たもやち)岳にあり
掲示案内によると
標高1,314メートルの場所にあるそうです。
視野の広い壮大な景観は
見応え充分です。
▼南八甲田連峰方面
▼北方面(おそらく)
▼岩木山頂上が神々しく覗いています
▼白神山地方面