仏道のかたち 御詠歌(ごえいか)

当山では

御詠歌(ごえいか)を

お伝えしております。

 

どこか懐かしい

民謡にも似た音の展開。

 

打ち振られる

鉦(しょう)と鈴(れい)の

爽やかな響き。

 

現在当山では様々な

「仏道のかたち」に

触れて頂く機会を

設けておりますが

諸々の催事の“はしり”であり

拙僧(副住職)の“原点”が

御詠歌(ごえいか)です。

 

本年は3月より

月2回の頻度で

お伝えいたします。

 

御詠歌をお伝えする時間なのですが

法話に多くの時間を

さいております。

 

当山の御詠歌である

豊山(ぶざん)流には

約130曲あります。

 

それぞれにはそれぞれの

背景や歴史があり

仏道において託された意味があります。

 

音の移り変わりや所作にも

深い意味があり

そこを紐解きながら

お唱えも研鑽していく所に

御詠歌の醍醐味があり

深い味わいがあります。

 

御詠歌をご一緒に研鑽頂く

講(こう)を立ち上げ

本年で9年目になりますが

現在までで十数名の方にしか

お伝えさせて頂いておりません。

 

当山では御詠歌を

ご一緒頂ける方を

募集しております。

 

ご参加頂いている方の中には

御詠歌というよりは

仏教を学ぶために

法話を聞くために

おいで下さっている方も

いらっしゃいます。

 

御詠歌を通じて

仏道に触れて頂いたり

深めて頂く場であると

当山は考えておりますので

ご興味をお持ちの方

いらっしゃいましたら

お気軽にご連絡下さいませ!

 

▼御詠歌を聞いてみる

https://www.youtube.com/watch?v=y94b8ZKyoLY

https://www.youtube.com/watch?v=I_LRCv1UxmM&t=93s

 

▼本年の予定(2019上半期)

御詠日程表

※各日午前10時〜11時半

※各回お茶代として500円

※年会費2000円

※見学も大歓迎です。

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小正月法要が行われました

当山では毎年1月16日に

小正月の行事が行われます。

 

小正月はいつも人手が

大幅に足りず

準備や後片付けに

いつも以上の時間が

かかるのですが

今回もお手伝いに

駆けつけて下さった方が

いらっしゃったおかげで

無事に終えることが出来ました。

 

早朝に若干雪が舞ったものの

天候にも恵まれ

本年最初の大きな行事は

とても良いものだったと

感じております。

 

▼法要の様子(動画)

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寄附のご報告

当山では寺子屋活動にて

ご参加の皆様より

お納め頂いた御浄財の一部を

国際協力活動へ寄附させて

頂いております。

 

平成30年は

アーユス仏教国際協力ネットワークへ

年会費を含め188,844円もの

寄附をさせて頂くことが出来ました。

 

携わって下さった

全ての皆様に

心より御礼申し上げます。合掌

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2/14お寺の上映会『天鹿乃路(ししかみのみち)』

当山でもお世話になっている

民族楽器奏者の奈良裕之(ゆうじ)さんの

ドキュメンタリー映画が

クラウドファンディングにより

制作されました。

 

奈良さんは

国内外でご活躍され

その演奏は“光の旋律”といわれます。

 

本年最初のお寺の上映会は

奈良さんのドキュメンタリー映画

『天鹿乃路(ししかみのみち)』を

上映いたします。

 

上映後は奈良さんに

民族楽器の演奏をして頂き

さらにその後は

奈良さんお手製の精進カレーに

舌鼓をお打ち頂きます。

 

奈良さんのカレーは

知る人ぞ知る名物カレーです。

 

心とお腹を満たして下さいませ。

 

奈良さんが国内外各地にて

“光の旋律”を奏で

祈られるお姿を通じて

森羅万象の命の響きを

見つめてみませんか?

 

どなた様でも

ご参加頂けますので

ご興味をお持ちの方

名物カレーに惹かれた方は

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

日程:平成31年2月14日(木)

時間:午前10時〜午後1時頃

内容:法話×映画上映×精進カレー

会費:3500円

申込:担当者が不在のことが多いので

お申込みは極力メールにてお願いします。

メール fugenin643@gmail.com

※参加費の一部は国際協力活動への

寄付にあてさせて頂きます。

奈良裕之 天鹿乃路

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▼映画『天鹿乃路』予告動画

https://www.youtube.com/watch?v=LSC7eqaSvPk

 

▼奈良裕之(ゆうじ)氏動画

https://www.youtube.com/watch?v=u5yTN3ksCaU

 

稀代の古刹 七崎観音①

当山本堂内の

観音堂の本尊である

聖観音は今も昔も

七崎(ならさき)観音

通称されます。

 

当山は古くから

七崎観音の別当を

つとめております。

 

七崎観音は

様々な伝説に彩られ

様々な方により

様々に語られた

由緒ある観音様です。

 

普段は秘仏ですが年に一度

毎年旧暦1月17日にのみ

御開帳され御宝前にて

護摩(ごま)法要が厳修されます。

 

平成31年は

2月21日が御開帳となります。

※詳細はコチラ↓

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

七崎観音はかつて

現在の七崎神社の場所にあった

観音堂にお祀りされておりました。

 

七崎観音は

霊験すこぶるあらたかということで

南部藩に篤く敬われ

各所からの参詣も絶えなかったようで

その観音堂は時代を経る中で

七崎山(なさらきさん)

徳楽寺(とくらくじ)

という寺号を頂いております。

 

現・豊崎町(かつての七崎)の

永福寺地区は

当山の本堂真正面から

真東にズバッと道が伸びており

そこに門前町が形成されるように

町が作られております。

 

さらに当山は

豊崎のほぼ中央に

位置しており

地域を一望出来る場所に

お寺が建立されております。

 

また豊崎の西に位置する

滝谷(たきや)地区へも

道が当山と旧観音堂(現・七崎神社)の

間からのびており

その途中に「南宗坊(なんそのぼう)」

という地名も残っております。

 

南宗(祖)坊は

当山2世の月法律師の弟子として

当山にて修行したとされる

十和田湖伝説の僧侶です。

 

観音堂への参詣道も

当山門前道に垂直に交わるように

南北方向に整えられており

浅水川に架けられた橋は

観音橋(かんのんばし)と

名付けられております。

 

橋は

こちらの岸(此岸(しがん))から

向こうの岸(彼岸(ひがん))に

渡すということで

仏道では深い意味を持ちます。

 

観音橋はいわば

“聖域への入口”

ということになります。

 

当山から浅水川対岸の地域を

下七崎(しもならさき)といいますが

この地区には

七崎観音へ参詣するために

身分の高い方が

留まられる屋敷である

御田屋(おんたや)がありました。

 

御田屋を由緒とした

「おだや」という屋号が

現在も用いられており

歴代には当山の総代を

お勤め頂いた方もいらっしゃり

当山を古くからお支え頂いております。

 

当山の歴史を紐解く上で

「七崎観音別当」という立場は

非常に重要な意味を持ちます。

 

当山は永福寺時代より

現在に至るまで

七崎観音別当を担っております。

 

七崎観音別当であることの

意味はとても大きく

当山の前身である永福寺は

盛岡南部藩の祈願所となり

盛岡五山の筆頭寺院として

隆盛を極めてまいります。

 

別当寺としての

永福寺や普賢院と

七崎観音の由緒が混同されて

しまうことが多いのですが

厳密にいえば

七崎観音と永福寺・普賢院は

ある程度「区別」して

捉えるべきものです。

 

専門性が極めて高い内容や背景が絡み

加えて地域の家々の歴史が

深く関わることでもあるので

しばしば郷土史研究などで

とりあげられる

近世の文書の情報だけでは

どうしても限界がありますし

当山にまつわる諸事を紐解くには

多分野にまたがっての視点が

求められるように思います。

 

当山有縁各家先祖代々の方々の

確かなお歩みや口伝

それらを踏まえ

当山先師諸大徳含め

これまで多くの地元の先人方が

まとめられてきた「もの」に

耳を傾けると

今のなお“いき続けている”

志に触れるような思いになります。

 

そんな志に触れつつ

七崎観音をメインテーマとして

何回かに渡り

紹介させて頂きたいと思います。

観音堂

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役員総会が開催されました

当山の役員総会が開催され

有意義な会議となりました。

 

平成30年度の会計報告や

本堂建設委員会の報告を中心に

活発な審議がなされました。

 

当山にとって

本年は歴史的な一年となりそうです。

 

心強い役員の皆様や

有縁の皆様とともに

当山の歩みを力強く

進めてまいりたいと思います。

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一日がかりの発送作業

当山では毎年1月に

檀信徒の皆様へ

寺報『おてらだより』と

決算報告書等の書類を

お届けしております。

 

拙僧(副住職)妻の

力を借りながら

1日がかりの発送準備が

何とか終わり

安心しました。

 

明日は当山の役員総会です。

 

一年で最も大切な会議なので

充実したものにしたいと思います。

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2/21おこもり護摩法要のご案内

当山本堂内の観音堂に

秘仏としてお祀りされる観音様は

七崎観音(ならさきかんのん)と

呼ばれとても古くから

親しまれてまいりました。

 

七崎観音は年に一度

旧暦1月17日にのみ御開帳され

御宝前にて護摩法要が

厳修されます。

 

この行事は

「おこもり」と呼ばれます。

 

平成31年は

2月21日が御開帳にあたり

護摩法要が行われます。

 

当山では近い将来

本堂建替事の予定があるので

文化8年(1811)に建立された

現在の本堂での

最後の「おこもり」に

なるかもしれません。

 

おこもりは

一時存続の危機に

瀕しておりましたが

ここ数年は各所より

有縁の方がご一緒下さるようになり

多くの方と共に

年に一度のひとときを

過ごさせて頂いております。

 

“観音様のお祭り”ですので

ご都合のよろしい方はご参列頂き

ご縁をお結び頂ければと思います。

 

どなた様でもご参加頂けますので

お気軽にお運び下さいませ。

 

▼詳細はコチラをご参照下さい!

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

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護摩写真

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南祖坊伝説の諸相⑩ 南祖坊御成(おなり)の部屋

八戸市図書館所蔵の

文政12年(1829)

『十和田記 全』(十和田山御縁起)

という近世の写本には

南祖坊や八郎の来臨に際して

部屋を用意するという

エピソードが掲載されております。

 

南祖坊の来臨には

「十和田山の御間」

「十和田様の御間」(永福寺にて)

八郎(八郎太郎、八の太郎)の来臨には

「八竜大明神の御間」(潟屋伊左衛門家にて)

の一間(ひとま)が用意され

七五三縄(しめなわ)が

張られたと

『十和田記 全』には記されます。

 

いずれのエピソードでも

「彼岸」の時季に

触れられております。

 

今回は「十和田山の御間」に

言及している同書の

「御縁起見る心得のケ条覚」

という所をとりあげます。

 

この部分はこの写本の書写者が

同書を見る際に心得を

項目立てて

それぞれケ条毎に

説明したもので

今でいう書籍の註釈の

ようなものです。

 

各心得(註釈)を見るに

『十和田記 全』の書写者は

とても誠実な方で

写本を書写するにあたり

地名や関係する事柄について

丁寧に調べていらっしゃいますし

神仏への畏敬の念をもち

謹んで取り組まれたことが

伝わってまいります。

 

写本ついででいうと

当山には

『十和田山神教記』の写本が

2冊ございます。

 

『十和田記 全』と

『十和田山神教記』には

“写本の限界”ともいうべき

点への言及も見られ

注目すべき重要な箇所と考えます。

 

“写本の限界”については

機会を改めて

述べさせて頂こうと思います。

 

では話を戻して

『十和田記 全』にある

「御縁起見る心得のケ条覚」の

「十和田山の御間」が登場する

部分を以下に引用して

その後に大まかな

内容紹介として

「拙訳」を記させて頂きます。

 

※引用にあたり

小舘衷三氏の

『十和田信仰』(昭和63年、北方新社)

に資料として翻刻されている

ものを使用して

適宜書き下しをしました。


 

盛岡永福寺

古き伝え話に云(いわ)く

十和田山青龍大権現

昔の宿縁 有事にや

今も永福寺へ春秋の

彼岸中日の内には

御越(おこし)有よし。

 

よって永福寺に

十和田山の御間とて

一と間(ひとま)あり。

 

真言七五三(しめ)を張

常に人の御入を禁じ

〆切置候よし。

 

人躰にて御越(おこし)の節は

永福寺法印

罷出(まかりで)て

謁し奉る。

 

竜躰にて御越(おこし)の節は

寺中殊の他

慎居候由(つつしみおりそうろうよし)。

 

尤(もっとも)

人躰竜躰にて御越にかかわらず

膳部(ぜんぶ)供は

差上(さしあげ)候よし。

 

但し時々の住僧の

新正(しんせい)行ひによって

御越の有と無とあるよし。

 

爰(ここ)に一つの話あり。

 

中古の事の由

永福寺法印に名僧ありしに

例の通(とおり)十和田様

ある年の彼岸に

御越ありけるに

この法印覚悟の印を結び

十和田様の御間に入

尊躰(そんたい)を拝し奉り

夜(よも)すがら法語を問い奉りしに

 

十和田様仰申(おうせもうす)は

我々今

如斯(かくのごとく)してある事

恋しくうらやましくおもふべし。

 

必々おもふ事なかれ

 

御教文(おきょうもん)の

おもむきをつとめ

よこしまなく

天命を保(たもた)なば

後には神とも仏とも成ぬべし。

 

弥勒(みろく)の出世を待

我々の勤(つとめ)

昼夜幾度といふ勤あり

其苦痛(そのくつう)

中々凡夫の今おもふ心にて

浅くも勤まる事にあらず

 

其時(そのとき)其苦痛を

いとふ時は何百何千年経るとも

破戒(はかい)に落入べし。

 

最早(もはや)

深(ふかくして)更にも及びぬ。

 

我も其身の

勤行(ごんぎょう)にかかる也

おふせられ

法印退かしめ

それぞれに御間を〆させ

透見(すかしみる)等は

◻る御禁(おとど)めあり。

 

しつまり給ふ。

 

法印は我常の眠蔵(めんぞう)に

引取(ひきとり)けれども

通夜をして信心をこらし

禅座をなして

御座(おすわり)なされけるに

十和田様御苦しげなる御声にて

暫(しば)しが程

煩わせ給ふ様子

御かげにて

法印 伺ひ奉るさえ

消入(きえいる)ばかりに

おぼしめしける事にてはなし

御出(おいで)も御帰りも

住持法印の他は知る人

更になき事と云(いえ)り。

 

今も絶ず御出(おいで)のよし。

 

是等の次第も

永福寺の縁起になるべし。

 

此寺の住職に付て

尋ね問ひもとむべき事とぞ。

 

神に祝われ給ふ。

 

御上(おかみ)にさえ

かやうに辛苦の御勤(おつとめ)あり

有難き大悟のおん事ならん。

 

必ず等閑(とうかん)に

聞べからずと也。

 


【大雑把な拙訳】

十和田山青龍大権現は

南祖坊の頃に修行した

宿縁のある永福寺へ

今でも春秋彼岸の中日に

(または中日までの間に)

おいでになられるため

永福寺には

十和田山の御間という

一間(ひとま)がある。

 

その一間には

真言七五三縄を張り

常に人の出入りは禁じられ

しめきられた。

 

人の姿かあるいは

龍の姿でおでましになる。

 

しかも

いらっしゃるか否かは

その時々の僧侶の

正月の「行い」に左右

されるという。

 

大雑把に意訳すれば

そのようなことが記され

次に重ねて

南祖坊来臨のエピソードが

述べられます。

 

ある年の彼岸に

南祖坊が来臨した際に

永福寺の法印が印を結び

十和田山の御間に入り

南祖坊を拝したのち

一晩中法語を問うた。

 

すると南祖坊は

おっしゃった。

 

私たちがこのように

対面して求法に応じるなど

していることは

羨望される所だろうが

そのような心を

抱くことはお止めなさい。

 

み教えの意味意図する所を

しっかりと励み

ひとときひとときを

大切にするならば

いずれ「神」にも「仏」にも

成ることが出来るだろう

(尊い道を成就出来るだろう)。

 

経文に記される所の

釈尊入滅の後

56億7千万年の後に訪れるとされる

弥勒菩薩の出世を待つ

私たちには昼夜に

いくつものお勤めがある。

 

はるかかなた先に

目指す所の時間軸がある

私たちが

そのお勤めを成すことで

おのずと伴う苦労や苦痛は

今現在と主に向き合う

凡夫の心では

勤まるものではない。

 

その苦痛が受け入れられず

嫌悪するならば

何千年たとうが

破戒の境界に深く陥っているので

修行が成就することはない。

 

私も弥勒の出世を待ち

勤行に励む身なのだ

と南祖坊はおっしゃられ

永福寺の法印を

十和田山の御間から

退出させて部屋を閉めさせ

内部を見ることを

禁じさせた。

 

静かになり

法印は寝室へ戻ったが

寝ることなく通夜して

瞑想に励んだ。

 

すると

南祖坊の苦しげな声で

しばらくの間

もだえていらっしゃる様子が

法印にはその影によって

伺われたが

次第に消えていった。

 

ちなみに南祖坊の

御越も御還も法印以外で

知る者はいないという。

 

これらのことは

永福寺の縁起に

まつわるものなので

永福寺住職に

尋ね求めるべきである。

 

神(青龍大権現)の

御利益・加護があるだろう。

 

天皇にも

辛苦を伴うような

お勤めが毎日ある。

 

とても有り難い

大悟の浄行である。

 

いいかげんな

気持ちで聞くべからず。

 


 

入室独参(にっしつどくさん)

という言葉があります。

 

仏教の辞典では

「師家の室にひとりで入り

親しく参問すること」と

説明されますが

今回とりあげた

「十和田山(様)の御間」での

南祖坊と法印のやりとりは

まさに入室独参といえます。

 

南祖坊は

昼夜の幾つもの「勤め」に

言及しており

自身も弥勒出世までの長い間

苦痛を伴いながら「勤め」を

なしている様子が記されます。

 

ここで南祖坊は

永福寺法印に「法」を教授する

先師や阿闍梨(あじゃり)として

描かれているように感じます。

 

彼岸の中日のうちに

南祖坊がおいでになるという

「十和田山(様)の御間」は

結界され〆切られて常時

人の出入りも禁じられたとの

描写についても

灌頂(かんじょう)や大会(だいえ)

といった具体的な儀式の空間や

荘厳(しょうごん)の作法に加え

様々な節目に用いられる

大小の諸作法が

着想となっているように

思われます。

 

今回引用した部分についても

深められる所が多々ありますが

この辺で留めさせて頂き

別の機会にまた

触れさせて頂きます。

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座敷わらし伝説の金田一温泉

座敷わらし伝説が伝わる

岩手県二戸市金田一。

 

調べ物がありまして

二戸方面に赴いた際に

緑風荘(りょくふうそう)に

立ち寄らせて頂きました。

 

緑風荘の資料によると

座敷わらし亀麿(かめまろ)は

6才位の姿をしており

目撃したり不思議な体験をした人は

大変な幸福に

恵まれると伝えられるそうです。

 

緑風荘には稲荷神社と亀麿神社が

敷地内に鎮座します。

 

亀麿は南北朝時代

南朝 後醍醐天皇に仕えていた

藤原(万里小路)藤房の子だそうです。

 

藤房が北朝の足利軍に追われ

現東京あきるの市に身を隠し

その道中に6才の亀麿は病のため

亡くなってしまうのですが

その際に

「末代まで家を守り続ける」と言い

その後守り神として

槐(えんじゅ)の間

現れるようになったと

言い伝えられているとのことです。

 

劇団四季で公演された

「ユタとふしぎな仲間たち」は

この金田一が舞台で

八戸出身の三浦哲郎氏の作品です。

 

ひとたび座敷わらしに

気に入られると

どこであろうと

会いに来てくれるとも

いわれるそうです。

 

この伝説には

切なる祈りが

込められているように思いました。

 

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