“御山”岩木山

岩木山(いわきさん)は

標高1,625メートルの

県内で最も高い御山です。

 

ここ最近ちょくちょく

弘前を訪ねているのですが

岩木山はどこからでも

その姿を望むことが出来

多くの方に親しまれ

崇めれてきたということが

ひしひしと伝わってまいります。

 

その岩木山の山麓に鎮座する

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)。

 

こちらの創建として

坂上田村麻呂将軍の伝説が

伝えられております。

 

境内の案内板によると

岩木山には

北東に巌鬼山(がんきさん)

中央に岩木山

南西に鳥海山の3つの峰があり

それぞれをご神体と見なして

三所権現(さんしょごんげん)と

称したそうです。

 

この三所権現は

阿弥陀如来

薬師如来

観音菩薩が

本地仏(ほんじぶつ)と

されているようです。

 

かつては

百沢寺(ひゃくたくじ)という

真言宗の寺院があり

別当寺を勤めております。

 

天正17年(1589)に

岩木山は噴火しており

その際に

百沢寺は全焼したそうです。

 

百沢寺は明治4年(1871)まで

別当寺だったようです。

 

この辺については

今後詳しく調べてみたいと思います。

 

岩木山は

当地域の祈りの象徴ともいえる御山で

それ自体が神仏とされます。

 

当地域には

古い時代からの

祈りのあり方を

感じさせられるような

素晴らしい場所が

多いように思います。

 

お不動様お迎え道中覚書③ 禅林街と仏舎利塔(忠霊塔)

現在当山の仏像修復など

色々とお力添え頂いている

弘前の仏師さんのお宅から

車で少しの所に

禅林街(ぜんりんがい)があります。

 

弘前藩2代藩主

信牧(のぶひら)公が

慶長15年(1610)に

弘前城の裏鬼門(南西の位置)の砦として

津軽一円の主要寺院を

この場所に集めたそうです。

※参考ページ(弘前観光コンベンション協会)

https://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/details.html?id=API00100002205

 

曹洞宗寺院三十三カ寺が

整然と建立されます。

 

余談ですが

信牧(のぶひら)公は

同年(慶長15年(1610))に

石田三成の娘である辰姫を

妻として迎えられております。

 

禅林街の長勝寺に隣接する場所に

仏舎利塔(忠霊塔)があります。

 

青森県歴史観光案内所のページによると

この塔は昭和20年(1945)に完成し

太平洋戦争敗戦後の連合国占領下の時期に

各地の忠霊塔は軍国主義を象徴するとして

各地の忠霊塔が壊されましたが

弘前は「忠」の字を外し「霊塔」として

存続が認められたそうです。

 

昭和23年(1948)には

タイから送られた仏舎利が納められ

仏舎利塔に名称が変えられております。

※参考ページ(青森県歴史観光案内所)

https://www.aotabi.com/ao/hirosaki/butu.html

 

塔の「忠霊塔」の文字の上に

連なる梵字は「バク」という字で

釈迦如来の種字です。

 

仏舎利塔(忠霊塔)近くには

弘前陸軍の合葬墓もあり

戦争の歴史を今に伝えます。

 

この場所からも

津軽富士こと岩木山の

美しい姿を眺められました。

 

おむすびころりんの魅力

拙僧(副住職)の長男は

地元の豊崎小学校1年生です。

 

音読の宿題で

聞かせてもらったのは

「おむすびころりん」です。

 

子気味良いリズムの語りは

聞いていて心地よいものだなと

改めて感じさせられました。

 


おむすびころりん

 

むかし むかしの はなしだよ、

やまの はたけを たがやして、

おなかが すいた おじいさん。

 

そろそろ おむすび たべようか。

つつみを ひろげた その とたん、

おむすび ひとつ ころがって、

ころころ ころりん かけだした。

 

まて まて まてと おじいさん、

おいかけて いったら おむすびは、

はたけの すみの あなの なか、

すっとんとんと とびこんだ。

 

のぞいて みたが まっくらで、

みみを あてたら きこえたよ。

 

おむすび ころりん すっとんとん。

ころころ ころりん すっとんとん。

 

これは これは おもしろい。

ふたつめ ころんと ころがすと、

きこえる きこえる おなじ うた。

 

おむすび ころりん すっとんとん。

ころころ ころりん すっとんとん。

 

おなかが すいてる ことなんか、

わすれて しまった おじいさん。

 

うたに あわせて おどりだす。

 

おむすび ころりん すっとんとん。

ころころ ころりん すっとんとん。

 

とうとう あしを すべらせて、

じぶんも あなへ すっとんとん、

ねずみの おうちに とびこんだ。

 

おじいさん ころりん すっとんとん。

 

おむすび たくさん ありがとう。

おいしい ごちそう さあ どうぞ。

ねずみの おどりを みて ください。

おれいに こづちを あげましょう。

 

おれいの こづちを てに もって、

おうちに かえって おばあさんと、

おどった おどった すっとんとん。

こづちを ふりふり すっとんとん。

 

すると どう した ことだろう。

こづちを ふる たび、

あれ あれ あれ、

しろい おこめが ざあらざら。

きんの こばんが ざっくざく。

 

それから ふたりは いつまでも、

なかよく たのしく くらしたよ。 

 

おむすび ころりん すっとんとん。

ころころ ころりん すっとんとん。


 

抜群の知名度をほこる

おむすびころりん。

 

長男の音読を通じて

その魅力に

触れさせて頂いたように思います。

 

お不動様お迎え道中覚書②八甲田

八甲田(はっこうだ)という名は

全国的に知られているかと思います。

 

八甲田とは1つの山の名ではなく

山々の総称です。

 

よく通り過ぎることはあっても

じっくりと向き合うことは

これまで全く無かったので

八甲田山頂公園に

立ち寄らせて頂きました。

 

ロープウェイでお話しして下さった

ガイドの方によれば

八甲田の山々は

標高は1,500メートル級ですが

高緯度のため

標高3,000メートル並の環境と

同様になるんだそうです。

 

青森県で一番高い山は

津軽富士ともいわれる岩木山で

標高1,625メートルです。

 

八甲田の主峰は

大岳が1,585メートル

井戸岳が1,550メートル

赤倉岳が1,548メートルで

3つの主峰は並立し

独特の山頂フォルムをしており

遠方であっても

各所から望むことが出来ます。

 

八戸からも雄大な八甲田の山々を

望むことが出来

当山近辺からも望むことが出来ます。

 

ここでちょっと

南祖坊(なんそのぼう)についても

触れてみたいと思います。

 

『来歴集』(らいれきしゅう)という

元禄期に盛岡藩の学者である

藤根吉品が編じた書物があります。

 

この藤根吉品という人物は

南部重信(しげのぶ)公

南部行信(ゆきのぶ)公

南部信恩(のぶおき)公の

三代に右筆として仕えた方です。

 

『来歴集』では

十和田湖伝説について触れられており

難蔵坊(南祖坊)は

額田嶽熊野山十瀧寺住職

という伝が紹介されております。

 

額田(こうだ)は

八甲田とするのが

これまでの「定説」です。

 

八甲田のちょうど南に

十和田湖は位置します。

 

『来歴集』の少し後

享保期に刊行された

『津軽一統志』という書物では

津軽と糠部の堺

糠檀(こうだ)ノ嶽に

湖水あり

十灣ノ沼(とわだのぬま)と云うなり

と記されています。

 

糠檀ノ嶽を

現在の八甲田として捉え

十灣ノ沼を

現在の十和田湖として捉えると

八甲田に十和田湖がある

と読み直すことが出来ます。

 

色々調べていて感じるのですが

少なくとも

拙僧(副住職)の感覚として

八甲田と十和田湖の

関係性が今と昔とでは

異なるように思います。

 

熊野山という山号

十瀧寺という寺号も

南祖坊の伝説を紐解くにあたり

大切な要素かと思います。

 

これらについて述べ始めると

かなり分量が多くなるので

十瀧寺について少しだけ触れます。

 

十瀧寺の読み方について

「とうたきじ」と読まれている方が

多いようですが

拙僧(副住職)の一見解として

「とうろうじ」

あるいは

「とうりゅうじ」

「とうりょうじ」とした方が

適切ではないかと考えております。

 

熊野那智には

那智大滝という有名な滝があり

その滝の龍神を

飛瀧権現といいます。

 

飛瀧は

「ひろう」「ひりょう」「ひりゅう」と

いくつか読み方がありますが

これらに準じて

十瀧寺を読んだ方が良いと感じます。

 

話を八甲田に戻しまして

八甲田周辺には

酸ヶ湯温泉

猿倉温泉

谷地温泉

蔦温泉などなど

有名な温泉が各所にあります。

 

湿原が多いため

貴重な植生を観察できますが

“湿原あるある”で

夏場は虫が無数に飛び交っています。

 

八甲田で有名なエピソードの1つとして

明治35年(1902)の

八甲田雪中行軍遭難事件が

挙げられるかと思います。

 

これは

ロシアとの戦争に向けて

日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が

雪中行軍演習を実施した所

猛烈な寒波による吹雪に見舞われ

八甲田で遭難した事件です。

 

日本人死没者の慰霊のため

来月末にサハリン(旧樺太)へ

渡ることになっている

拙僧(副住職)としては

この八甲田雪中行軍のことが

とても大きなテーマを宿したものに

感じられました。

 

八甲田ロープウェイ山頂駅は

田茂萢(たもやち)岳にあり

掲示案内によると

標高1,314メートルの場所にあるそうです。

 

視野の広い壮大な景観は

見応え充分です。

 

▼南八甲田連峰方面

▼北方面(おそらく)

▼岩木山頂上が神々しく覗いています

▼白神山地方面

お不動様お迎え道中覚書①十和田湖御鼻部山展望台

弘前の仏師さんに

修復をお願いしていた

不動明王像のお迎えに行った際の

道中について

覚書として何回か投稿します。

 

往路は十和田湖経由で行き

復路は八甲田経由で戻りました。

 

道中は

とても素敵な場所や

個人的に深い学びを得られた場所が

多々ありましたので

ブログに記させて頂きます。

 

まずは

当山とも深く関わる

十和田湖についてです。

 

その「関わり」とは

十和田湖伝説のことですが

当山第2世・月法律師(がっぽうりっし)の

弟子である南祖坊(なんそのぼう)は

全国の霊山霊跡を巡った果てに

十和田湖に結縁入定し

十和田湖の龍神である

青龍権現(せいりゅうごんげん)に

なったと伝えられます。

 

十和田湖を望むことが出来る

御鼻部山(おはなべやま)展望台。

 

御鼻部山(おはなべやま)は

標高1,000メートルちょっとの山で

十和田湖の北側に位置します。

▼御鼻部山展望台

 

十和田湖北側に位置する

展望台からは

御倉半島と中山半島を

望むことが出来ます。

 

十和田湖の

全体的なフォルムを見渡せる

素晴らしい展望台です。

 

6/8は雲の流れが速かったので

景色の変化がとても豊かで

とても神秘的に感じました。

お不動様のお迎えに弘前へ

修復をお願いしていた

当山の不動明王像が

仕上げられたとの

ご連絡を頂き

弘前の仏師さんのもとへ

お迎えにあがりました。

 

仏師の小堀寛治さんには

少し前に別のお不動様の

修復をして頂いております。

 

今回も

迅速かつ懇切丁寧に修復して頂き

前にも増してご威徳溢れる

お姿にして頂くことが叶いました。

 

こちらのお不動様には

文化7年(1810)の火災の跡が

見られるので

それ以前から当山に

祀られていたことになります。

 

あちらこちらに

壊れている部分がありましたが

素晴らしいお手入れをして頂いたので

これからも永く

護持して頂きたいと思います。

 

お不動様は

これまでと同じ様に

観音堂の脇堂に

お帰りになられました。

 

当山にお参りの際は

是非お手を合わせて頂き

装いが改まった

お不動様に祈りをお捧げ下さい。

 

きれいに飾られた七夕飾り

親しい知人から

七夕飾りを

お焚き上げしてほしい

との相談がありました。

 

届けて頂いた実物を見た所

きれいに飾り付けがされていたので

一度本堂に飾らせて頂きました。

 

色々な願いが書かれた短冊や

輪飾りやぼんぼりや網飾りが

笹に飾り付けられた笹を

須弥壇に設えてみたところ

これがなかなか良い感じに。

 

七夕にあわせての

こういった「ご祈願」や

お運び頂いた方に短冊を書いて頂くのも

季節感のある良い取り組みかもしれません。

 

そのようなことを感じた

本年の七夕でした。

 

津軽の南祖坊伝説

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)。

 

十和田湖の龍神である

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

の本地とされる僧侶で

当山2世の月法律師(がっぽうりっし)に

弟子入りしたと伝えられます。

 

南祖坊の伝説には

とても多くのバリエーションがあり

弘前の乳井(にゅうい)で

生まれたとの伝えもあります。

 

南祖坊が出生したとの

伝えがある乳井では

その昔

福王寺(ふくおうじ)という寺院が

権威を振るっており

乳井氏が別当を勤めていたそうです。

 

福王寺は

信濃戸隠修験の修験者により

創建されたとされ

乳井氏はその修験者の

末裔とされるようです。

 

乳井神社の社殿裏手の丘には

古い五輪塔ほか石塔や板碑等が

沢山並べられており

歴史が感じられる場所です。

 

「十和田信仰」は

県内においても各所で違いが見られます。

 

その違いを考える上で

関連寺院や修験者の

法流(ほうりゅう)が

1つの手がかりとなるように感じます。

 

みっちり相談

一般社団法人 おてらの未来

代表の井手悦郎さんが

当山においで下さいました。

 

※▼おてらの未来についてはコチラ

https://oteranomirai.or.jp

 

井手さんには平成27年以降

色々とお世話になっております。

 

今回は青森市にて開催された

東北地方の浄土宗寺院向けの

研修会の講演で

おいでになられたそうです。

 

その講演を終えた後に

八戸にもお立ち寄り下さり

当山にお運び下さいました。

 

井手さんとは昨晩にも

青森市で夕食を

ご一緒させて頂きました。

 

昨晩の食事会は

青森市でご活躍の

正覚寺(浄土宗)ご住職

楠美知剛師にお誘い頂いたものです。

 

井手さんと楠美さんとの時間も

とても濃密な内容で

様々な気づきのある

有意義なものでした。

 

本日は境内と堂内を井手さんに

案内させて頂いた後

これまでの振り返りや

これからの方針などなど

みっちりと相談させて頂きまして

当山の将来へ資する

貴重な時間となったと感じております。

 

当山には

整備しなければならない事柄が沢山あります。

 

沢山の課題と

しっかりと向き合いながら

環境を整えていきたい思います。

 

【参加者募集中】7/25寺子屋ワークショップ『写経カフェ』

7/25

午前10時より

寺子屋ワークショップ

写経カフェ

が開催されます。

 

寺子屋ワークショップで

お納め頂く御浄財の一部は

アーユス仏教国際協力ネットワーク

への寄付を通じて

国際協力活動に活用されます。

 

寺子屋ワークショップに

ご参加頂き精進頂くことが

そのまま国際協力活動に重なります。

 

参加者を募集しておりますので

ご参加される方は

お気軽にお問い合わせ下さいませ。

 

日程:令和元年7月25日

時間:午前10時〜正午頃

会費:1500円

会場:普賢院ふれあい豊山館

定員:24名