かんのんまいり 朝日観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第30番札所

朝日観音。

 

二戸の石切所大村の札所です。

 

開基は慈覚大師・円仁と伝えられます。

 

29番の鳥越観音と

30番の朝日観音は

まさに山岳霊場ならではの

山上にある札所です。

 

険しい山道を登っていくと

山上に岩肌むき出しの巨岩が

たちあらわれます。

 

その巨岩の岩窟に

朝日観音の観音堂があります。

 

自然と一体化した神秘性が

感じられる札所です。

 

観音堂からは

眺められる景色も

素晴らしい

まさに聖地です。

 

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かんのんまいり 鳥越観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第29番札所

鳥越(とりごえ)観音。

 

この29番の鳥越観音と

次の30番の朝日観音は

まさに山岳霊場ならではの

険しい山道の先にある札所です。

 

鳥越観音の

もともとの本尊は

慈覚大師・円仁の御作と伝えられますが

時間の経過とともに朽ちてしまい

現在は改められた観音像が

祀られているそうです。

 

険しい山道を行くと

仁王門があります。

 

この仁王門には

鐘楼が吊られています。

 

仁王門をくぐり

道なりに進むと

“岩肌に沿う”ような

懸造(かけづくり)の

観音堂が見えてまいります。

 

宝暦10(1760)年頃の

成立とされる

『御領分社堂』(ごりょうぶんしゃどう)

によると鳥越観音は

かつては鳥越山観音寺というお寺で

「天台宗別当 東福院 持」であり

元禄元(1688)年正月17日に

火災にあってしまい

証文や縁起など焼失したと

記されています。

 

こちらの札所は古くより

霊験あらたかな場所として

祈りが込められてきたということが

ひしひしと伝わってまいります。

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かんのんまいり 清水観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第6番札所

清水(しみず)観音。

 

こちらは当山と

ご縁の深い札所です。

 

清水観音はかつて

当山の前身である永福寺が

別当寺をつとめた観音堂です。

 

こちらの観音様は

かつては十一面観音だったそうですが

現在は聖観音が祀られます。

 

清水観音と当山の七崎観音の

ご縁について伝えられる所を

紹介させて頂きます。

 

伝説によると

南部氏が篤く帰依した

七崎観音のルーツは白銀にあります。

 

全く関係ないことですが

拙僧(副住職)妻は

清水観音のある白銀出身です。

 

これも観音様の

ご利益でしょうか(笑)

 

ルーツの話に戻りますが

白銀にまつわるものとして

2つの七崎観音伝説があります。

 

それは

①坂上田村麻呂伝説

②藤原諸江伝説

の2つの伝説です。

 

坂上田村麻呂伝説とは

坂上田村麻呂将軍が

白銀の清水川上段に

正(聖)観音を祀り

天長年中に七崎に

移したというものです。

 

伝えによると当初は

現在の神社の場所ではなく

現在の当山から東方に

約3〜400メートルの場所に祀られ

その後年代不祥ですが

現在の地に遷座したそうです。

 

藤原諸江伝説とは

流刑となった諸江卿が

白銀で漁師となり

漁をしていたところ

天長元(824)年四月に

観音様を引き上げたので

小さな社を建立してお祀りしますが

承和(834)年正月7日に

夢のお告げを受けて

七崎に遷座したというものです。

 

藤原諸江が逝去した後は

諸江卿を荒神(こうじん)として

お祀りしたと伝えられます。

 

以上の話は

大正6年に編纂された

『郷社七崎神社誌』でも

紹介されており

文政三庚辰年如月

七崎山徳楽寺正観世音伝話記ヨリ

抜抄シテ明治十二年書上ケタリ

と記されております。

 

“海の”白銀と“山の”七崎。

 

意外とも思える深いつながりが

古い時代から

白銀と七崎(現在の豊崎)に

あったことを

清水観音は今に伝えます。

 

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長谷七観音の伝承

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場には

長谷七観音(はせしちかんのん)

と呼ばれる七つの札所があります。

 

一本の桂(かつら)の木から

作られた七体の観音像が

この長谷七観音と伝えられます。

 

南部町にございます

牡丹で有名な長谷寺こと

恵光院さまの旧観音堂の

奉納額によれば

長谷寺・十一面観音(22番札所)

野瀬・聖観音(21番札所)

観音林・千手観音(31番札所)

矢立・十一面観音(20番札所)

外手洗・千手観音(18番札所)

法光寺・千手観音(19番札所)

相内・聖観音(17番札所)

が長谷七観音とされます。

 

これらの札所を巡礼することが

こちらの地域における

七観音参りの姿であると

伝えております。

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かんのんまいり 相内観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第17番札所

相内(あいない)観音。

 

相内観音のお堂の本尊は

聖観音(しょうかんのん)です。

 

由来書によれば

南部氏初代の光行が

建久2(1191)年に鎌倉より

八戸に到着し

馬淵川(まべちがわ)をのぼり

この観音堂にて一夜を明かしたそうです。

 

境内には観音堂の他に

「古峰神」「湯殿山」「十和田山」と

刻まれた石碑と

十一面観音像も祀られます。

 

境内はきれいに管理されており

お参りしやすいように

お手入れされているように感じました。

 

ご縁のある方々の

“心づかい”が感じられる札所は

お参りすると

心が洗われるように思います。

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十一面観音のお寺 恵光院

南部町にございます

蓮台山長谷寺観音

恵光院(けいこういん)にて

行われた開帳法要に

出仕してまいりました。

 

恵光院さまは

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第22番札所でもあります。

 

こちらの本尊は

十一面観音です。

 

本堂にお祀りされる

本尊の十一面観音は

長谷寺式といわれ

当山や恵光院さまの本山でもある

奈良県桜井市の長谷寺と

同じ様式の十一面観音です。

 

長谷寺式十一面観音は

右手に錫杖を持つのが

大きな特徴です。

 

こちらのお寺様には

本堂のほかにも

境内に諸堂があります。

 

本堂横の参道を登ると

奥の院として観音堂があり

こちらにも十一面観音が

お祀りされております。

 

観音堂の十一面観音像は

平安時代のもので

県内では最古の仏像で

毎年8月20日に御開帳されます。

 

恵光院はかつて

長谷寺(はせでら)という寺院でした。

 

長谷寺は

盛岡永福寺が建立される際に

六供坊のひとつとして

盛岡に改められることになり

以後は恵光院として

このお山を引き継いでおります。

 

ちなみにですが

盛岡永福寺六供坊のうち

東坊(ひがしのぼう)は

普賢院だったとされます。

 

当山の前身である永福寺は当初

十一面観音を本尊として

七崎(現在の豊崎)に

建立されたと伝えられます。

 

そして南部氏により

三戸にも建立されますが

三戸永福寺を引き継いだ

嶺松院(れいしょういん)

(現在の早稲田観音)も

十一面観音をお祀りしております。

 

また現在盛岡にある

永福寺は「聖天の御山」とされますが

内々陣(ないないじん)の本尊は

十一面観音です。

 

十一面観音信仰は

奈良時代より盛んであったようです。

 

この古い時代から盛んであった

十一面観音信仰は

永福寺にまつわる歴史や信仰を

紐解く上では非常に重要なものだと

最近は痛感しております。

 

この十一面観音信仰は

十和田湖伝説とも関わりが見られます。

 

十和田湖伝説でいうと

例えば“最古の十和田湖伝説”が収録される

『三国伝記』(さんごくでんき)という

室町期の書物において

十一面観音との関わりを

多く指摘することが出来ます。

 

話がそれましたが

由緒ある十一面観音と

ご縁を深めさせて頂いた

法要となりました。

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田舎本寺の永福寺

最近は当山にまつわる

歴史や伝説について

ご興味をお持ちの方が多いようです。

 

これまであまり

専門的にお伝えしたことは

ありませんでしたが

永福寺の歴史について

少しだけ専門的な見地から

ご紹介いたします。

 

当山の前身である永福寺は

江戸期には盛岡南部領において

田舎本寺(いなかほんじ)

触頭(ふれがしら)

という立場のお寺でした。

 

田舎本寺(いなかほんじ)とは

「地方の中核寺院」の意で

僧侶が修行・勉学を行う

談林(だんりん)という

大学のような養成機関も

兼ねておりました。

 

盛岡にて火災にあった後

「所化寮(しょけりょう)を再建した」

という記述が見られます。

 

所化(しょけ)とは

ご指南頂く者

修行する者

学生などの意味です。

 

要するに永福寺には

修行僧寮・学生寮があったことを

意味します。

 

触頭(ふれがしら)とは

幕府よりのお触れや法令を

伝達する役所を意味し

合議制で役割を遂行します。

 

かつての寺格や本末関係が

記された文書を見ると

永福寺は盛岡五山という

“盛岡藩首都”における

主要な5つのお寺の筆頭であり

永福寺の末寺などの

関係寺院として多くのお寺が

列記されております。

 

永福寺とは別に

真言宗七箇寺として

朝日山 法明院

南池山 大荘厳院

蓮(台)山 長谷寺

走湯山 高水寺

池峰山 新山寺

高野山 中台院

宝幡山 覚善院

という7つのお寺が列記されますが

これらのお寺より

七崎(現在の普賢院)へ

おいでになられた和尚様も

いらっしゃいます。

 

永福寺の住職は

相応の方が選抜されたようで

関東からいらっしゃったり

京都からいらっしゃったりと

いったことがありました。

 

これまでは「定説」として

永福寺は七崎から三戸に移り

三戸から盛岡に移った

という説明をしてきましたが

最近はこの言い回しは

適切でないように感じております。

 

この推移は南部氏の築城に

ともなった歴史からの言い回しであり

現地の視点ではないゆえです。

 

事実として

七崎と三戸には

盛岡永福寺が新築された後も

「永福寺」が存続し

盛岡永福寺の住職が

「七崎永福寺」(普賢院)の

住職も兼ねていることが

当山の過去帳に記されております。

 

「三戸永福寺」(嶺松院)の

過去帳はないのですが

その跡地には

盛岡永福寺の住職の墓石が

あることから

当山と同じ状況である

可能性が高いと思われます。

 

当山は

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

という現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

の別当寺でもありました。

 

寺伝によると当山の住職である

行海(ぎょうかい)大和尚が

徳楽寺(七崎神社)の地が

修行の霊地として適した

聖地であるとして

北斗七星の形になぞらえ

杉を植えたとされます。

 

高くそびえ

町のシンボルツリーでもある

天然記念物の大杉3本が

その杉であると言われます。

 

樹齢が800〜1000年とされますが

行海大和尚は平安末期の方なので

伝説に真実味を感じます。

 

この徳楽寺は

当山から南方に位置しますが

南方は観音様を象徴する方角です。

 

様々な尊格(そんかく)には

象徴する方角やみ教えがありますが

これらを諸堂配置に応用することで

伽藍(がらん)そのものを以て

曼荼羅(まんだら)を

表していると考えられます。

 

徳楽寺(七崎神社)周辺には

修験者(しゅげんしゃ)が

各坊を構えており

一般参詣者の案内役である

先達(せんだつ)という役や

世話係などを担って

いらっしゃいました。

 

当山は徳楽寺の別当ではありますが

七崎修験(ならさきしゅげん)を

統括してはおりません。

 

七崎修験を統括していたのは

記録によると戸来(へらい)の

多聞院(たもんいん)とされます。

 

この多聞院は

聖護院門跡の奉書を拝受し

五戸 正年行事(しょうねんぎょうじ)

という修験の大役を担っており

その管轄地区はかなり広く

「支配末院六十八人有」と

修験本末の記録に記されます。

 

これらお寺や修験の本末関係は

殊に江戸時代に厳格となり

「社会体制」に組み込まれました。

 

盛岡永福寺には

1万坪もの土地があったそうですが

江戸時代が終わり

明治時代が始まって間もなく

盛岡永福寺は東坊と墓地のみ残し

没収されることとなります。

 

ある資料によると

この東坊は普賢院とされております。

 

永福寺六供坊(ろっくぼう)の

一寺院として当山も

盛岡にお堂が用意され

出仕していたのかもしれません。

 

まだまだご紹介したいことが

あるのですが

またの機会とさせて頂きます。

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静かに留めるかつての景観

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上のスケッチは明治期の

『新撰陸奥国誌(しんせんむつこくし)』

という書物に掲載されている

現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

その周辺のものです。

 

七崎神社は明治まで

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

というお寺で

現在当山にお祀りされる

糠部三十三観音第15番札所の

観音様が本尊でした。

 

当山はその徳楽寺の別当です。

 

『新撰陸奥国誌』記載の

スケッチに描かれる様子と

現在の様子を実際に比べてみます。

 

スケッチには

天然記念物となっている大杉は

描かれておらず

境内全貌や周辺のお堂が

際立つようなタッチになっております。

 

現在もスケッチ当時の風景が

静かに留められております。

 

七崎神社の境内の

諸堂配置を見ても

スケッチ当時そのままです。

 

ちなみにですが

当山には徳楽寺のものも含め

棟札(むなふだ)が

約30点も残っており

古い歴史を今に伝える

とても貴重なものです。

 

近い将来

当山では本堂を建替える予定なので

今一度歴史について

整理したいと考えております。

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無限の慈悲を司る観音様

当山の観音様は

糠部三十三観音霊場

第15番札所の本尊であり

年に一度ご開帳されます。

 

ご開帳するのは

毎年旧暦1月17日で

本年は3月4日となります。

 

当山ではご開帳の日に

護摩法要が厳修されます。

 

護摩(ごま)とは

火を用いた厳かな修法です。

 

観音様は詳らかには

観世音菩薩あるいは

観自在菩薩といい

無限の慈悲を宿すとされ

古くから篤く祈りを

捧げられた尊格です。

 

仏道では“無限”を表す数字が

色々とありますが

観音様の無限の慈悲を

六観音という6つのお姿で

表すことがあります。

 

聖観音(しょうかんのん)

十一面観音(じゅういちめんかんのん)

如意輪観音(にょいりんかんのん)

千手観音(せんじゅかんのん)

馬頭観音(ばとうかんのん)

准胝観音(じゅんでいかんのん)

あるいは

不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)。

 

これらは別個に独立して

優劣のある尊格ではなく

全てが観音様であり仏様です。

 

観音様のみならず

お地蔵様

阿弥陀様

お不動様なども

てんでバラバラなわけではなく

全てが「仏」であり

優劣があるものではありません。

 

その根本的な「仏」を

大日如来とするのが

曼荼羅(まんだら)の考え方です。

 

根本を見つめ

本質を見つめることは

曼荼羅の教えにおいて

とても大切なことです。

 

護摩で燃え上がる炎は

「仏」の智恵の象徴です。

 

尊い光に包まれる

祈りの空間。

 

今年ももうすぐ護摩法要です。

 

▼護摩法要のご案内

https://fugenin643.com/blog/護摩法要のご案内/

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護摩法要のご案内

普賢院本堂に祀られる観音様は

毎年旧暦1月17日にのみ

御開帳(ごかいちょう)され

その御宝前(ごほうぜん)にて

護摩法要(ごまほうよう)が

執り行われます。

護摩(ごま)とは

平安の古(いにしえ)より伝わる

火の修法(しゅほう)です。

 

夜の本堂に燃え上がる炎は

「仏の智慧(ちえ)」の象徴です。

 

焼(く)べられる木々は

我々の「願い」を

象徴しております。

 

護摩法要は願いを清め

の成就を願うひとときです。

「護摩木(ごまぎ)で国際協力」

という取り組みで

お納め頂いた護摩木は

護摩法要にて浄火に

焼べさせて頂きます
また当山にて開催しております

『写経カフェ』にて

お納め頂いた写経を

護摩法要にて奉納させて頂きます。

 

本年より授与品として

お札とお守りを用意いたしました

 

入用の方はお守り1体800円

お札1体1000円の御浄財をお納め下さい。

 

お札とお守りの授与で

お納め頂いた御浄財の一部

国際協力活動に寄付させて頂きます。

1年に1度の尊いひとときに

皆様の祈りを捧げてみませんか?

 

どなた様でもご参加頂けます。


参加ご希望の方は

事前のお申込は必要ございません。

 

当日、本堂に受付所がございますので

そちらで受付して下さい。


心願成就(しんがんじょうじゅ)を願い

観音様と向合われてみては

いかがでしょうか。


〜護摩法要の流れ〜

◆本堂にて受付(19時〜)
・御布施、加持物(かじもつ)をお預かりします。
※法要中、祈願者名を読み上げますので、読み上げて欲しいお名前は御布施の袋にお書き頂くか、別紙ご持参下さい(読み仮名を振って頂けると有難いです)。
※読み上げの名簿を作成する都合上、時間にゆとりをもってお運び下さい。また、前日迄に受付を済ませて頂いても構いません。
※加持物(かじもつ)は法要中に護摩の炎にあて、お加持致します。例えば愛用の服、眼鏡、ノート、シャーペンなど、皆様ゆかりの物を風呂敷に包むか、カバンに入れてお持ち下さい。加持物は法要後にお渡しします。


◆法要(20時〜)
東京都江戸川区・善養寺(ぜんようじ)住職様、愛媛県松山市・浄明院(じょうみょういん)副住職様にもおいで頂き、お勤め頂きます。
◆数に限りがありますが御護符(おごふ)として落雁(らくがん)をお渡しします。
◆法要後、簡単な後席を用意致します。

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