南部氏の祈願寺 永福寺

当山はかつて

永福寺というお寺で

南部氏の祈願寺(祈願所)

として重宝されました。

 

南部氏が

盛岡に拠点を移す際に

永福寺も

盛岡の地に改められます。

 

永福寺は

真言宗の「惣録(そうろく)」(統括寺院)であり

寺領800石の大寺でした。

 

南部氏には

流れがあります。

 

当山は

南部氏宗家である

三戸南部氏と

深く関わった

お寺です。

 

三戸南部氏が

盛岡に拠点を移した後も

永福寺は

祈願寺として大切にされました。

 

『邦内郷村志(ほうないごうそんし)』

という古文書の中に

永福寺について

以下のように書かれております。

※以下、抜粋です。

 

重信公貞享三年 御造営成

慶長元和之頃 従三戸御移

真言宗歴代祈願所

寺領八百石 是為邦内諸刹之冠成

故寺格無出其右

最多末山

 

「寺領800石」と

聞いても中々ピンとは

きませんが

南部藩領において

2番目に大きな石高だそうです。

 

現在、永福寺は

盛岡市下斗内に

構えられております。

 

 

▼『邦内郷村志』はイーハトーブ岩手電子図書館でご覧頂けます。

http://www.library.pref.iwate.jp/ihatov/index/sakuin.html

 

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▲「根城の広場」(八戸市)の案内板

 

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▲現在の永福寺(盛岡市下斗内)

永福寺と普賢院

当山の起源は古く

弘仁初期(810年頃)草創

承安元年(1171年)開基

の古刹(こさつ)です。

 

当山は

かつて永福寺(えいふくじ)

というお寺でした。

 

当山付近の住所が

永福寺という地名なのは

かつては永福寺があった

ということを物語っております。

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当山は

江戸期に当地域を治めていた

南部氏の祈願所(きがんしょ)

として重宝されておりました。

 

祈願所とは

ご祈願やご祈祷をお願いする

お寺のことです。

 

一方で

ご供養をお願いするお寺を

菩提所(ぼだいしょ)

菩提寺(ぼだいじ)

といいます。

 

永福寺は

南部氏が拠点を

三戸から盛岡に

移す際に

盛岡に改めて建立されました。

このように

居城を構えるに当たり

お抱えのお寺も一緒に

移転させるということは

当時では珍しくはないことでした。

 

当地域から盛岡へ

移転された寺院は他にもあり

永福寺はその筆頭でした。

 

永福寺は

盛岡に移転され

隆盛を極めます。

その“勢力”たるや

東北において“3本の指”に

入る程であったと伝えられます。

 

永福寺は

元和3年(1617年)に

お城の艮(うしとら)の方角に

改めて建立されます。

 

艮とはいわゆる鬼門の方角です。

 

居城守護のために

鬼門の位置に構えられました。

現在、永福寺は

盛岡市下斗内にあり

当山と同じ

真言宗豊山派の寺院です。

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