永福寺と普賢院

当山の起源は古く

弘仁初期(810年頃)草創

承安元年(1171年)開基

の古刹(こさつ)です。

 

当山は

かつて永福寺(えいふくじ)

というお寺でした。

 

当山付近の住所が

永福寺という地名なのは

かつては永福寺があった

ということを物語っております。

DSC_8752

当山は

江戸期に当地域を治めていた

南部氏の祈願所(きがんしょ)

として重宝されておりました。

 

祈願所とは

ご祈願やご祈祷をお願いする

お寺のことです。

 

一方で

ご供養をお願いするお寺を

菩提所(ぼだいしょ)

菩提寺(ぼだいじ)

といいます。

 

永福寺は

南部氏が拠点を

三戸から盛岡に

移す際に

盛岡に改めて建立されました。

このように

居城を構えるに当たり

お抱えのお寺も一緒に

移転させるということは

当時では珍しくはないことでした。

 

当地域から盛岡へ

移転された寺院は他にもあり

永福寺はその筆頭でした。

 

永福寺は

盛岡に移転され

隆盛を極めます。

その“勢力”たるや

東北において“3本の指”に

入る程であったと伝えられます。

 

永福寺は

元和3年(1617年)に

お城の艮(うしとら)の方角に

改めて建立されます。

 

艮とはいわゆる鬼門の方角です。

 

居城守護のために

鬼門の位置に構えられました。

現在、永福寺は

盛岡市下斗内にあり

当山と同じ

真言宗豊山派の寺院です。

スクリーンショット 2016-04-26 23.25.04