明治期の
普賢院過去帳を
調べていた所
たまたま明治期の
当山住職についての
記述を見つけたのですが
これが凄い「発見」となりました。
激動の明治期に
当山住職を務められていた
髙橋宥浄(ゆうじょう)師
という方について
これまで詳しいことは
分かりませんでした。
これまで
分かっていたこととしては
①没年月日は明治31年4月19日
②父は宥芳師(当山先師かつ嶺松院先師)
③母の墓が当山にある
④観音堂復興に尽力
(明治19年に内御堂奉造[棟札アリ])
といった位でした。
今回見つけた過去帳の記述には
宥浄師について
「厚みのある」情報が見られます。
該当箇所の画像を貼って
次のように画像資料にしてみました。
明治期の過去帳を
調べるきっかけになったのは
会津斗南(となみ)の末裔で
当山有縁のお家である
三村家のご先祖さまについて
確認したいことがありまして
目を通しておりました。
そういった経緯がなければ
丹念に目を通すことも
なかったと思います。
本日3月21日は
当山の宗祖・弘法大師が
ご入定(にゅうじょう)された
“ご命日”でもあり
真言宗では大切にされる
一日でもあります。
そのような日に
不思議なめぐり合わせで
当山の一先師様のことについて
発見を得られたことに
大きな意義を感じます。