小さな友人〜4pマイナス症候群と向き合った女の子〜

昨年、拙僧(副住職)には

小さな“お友達”が出来ました。

 

その子は女の子で

出会った頃は

1歳と少しでした。

 

拙僧(副住職)はその子を

「むっちゃん」と

呼んでいました。

 

むっちゃんは

拙僧(副住職)の長女と

同い歳でした。

 

むっちゃんは

目が大きくて美人さんでした。

 

むっちゃんは

4pマイナス症候群

という病気でした。

 

4pマイナス症候群とは

4番目の染色体に欠損がある

先天性の難病です。

 

3月5日、むっちゃんの

百ヶ日法要を

ご家族の方と共に

お勤めさせて頂きました。

 

その際に

むっちゃんのパパに

むっちゃんについて

ブログで投稿することの

許可を頂戴したので

拙稿ではありますが

少しばかり書かせて頂きます。

 

むっちゃんの

お葬式の日は

澄み渡る青空が広がる1日でした。

 

今も青空を見ると

ふとむっちゃんのことを

思い出すことがあります。

 

むっちゃんと出会うまで

染色体異常について

全く知りませんでした。

 

出会いは昨年の

春先頃だったでしょうか。

 

お寺で何度も

ご家族の方と

健康を願ってご祈願の

お勤めをさせて頂きました。

 

その都度

むっちゃんの様子や

病状について

ご家族の方より

聞かせて頂きました。

 

何度も何度も救急車で

病院に運ばれたそうです。

 

ご自宅にいるよりも

病院にいる時間の方が

長かったそうです。

 

それでも会う度に

少しずつ少しずつ

成長するむっちゃんの姿に

希望を抱いておりました。

 

その足で歩く日が

来て欲しい。

 

その口で

おしゃべりをする日が

来て欲しい。

 

その手で

ペンを取りお絵描きする日が

来て欲しい。

 

変われるものなら

変わってあげたいという

むっちゃんのおじい様の

お言葉が今でも思い出されます。

 

むっちゃんのおばあ様が

愛情一杯に抱っこする

お姿が今でも思い出されます。

 

先天性の病気があること自体は

善悪があることではありません。

 

そのこととどう向き合うのか。

 

仏道では

我々万人が思い通りにならない

4つのことと

向き合わなければならない

とされます。

 

生まれ、老い、病、死。

 

誰しもが向き合わなければ

ならない故に

どのように向き合うのか

どのように心を運ぶのかが

問われる所です。

 

悲しさは

優しさに通じるものだと

思いますし

そう信じております。

 

辛い経験は

それ自体が

時として同じ境遇の方の

心の支えにもなりうるものです。

 

むっちゃんは

ひとときひとときの

大切さや尊さを

教えてくれました。

 

むっちゃんは

小さな体で最後の最後まで

ご家族の皆様と一緒に

病気と闘い抜きました。

 

“小さな友人”と

ご縁を結ばせて頂き

はかなく尊い人生の時間の一部を

共に過ごさせて頂いた

拙僧(副住職)が出来る事は

むっちゃんに恥じぬよう

日々励ませて頂くことしか

ないように感じます。

 

むっちゃんに限らぬことですが

沢山の方の歩みに触れさせて頂き

沢山の方の「節目」の儀式の導師を

勤めさせて頂く者であれば

その方々に“恥じぬ”よう

精進させて頂くのが僧侶の道で

あると強く信じております。

 

本年夏は新盆です。

 

当山では

お盆参りが行われます。

 

小さく尊い友人に

お手合わせさせて頂くその日は

今よりも成長した自身を以て

ご自宅を伺わせて頂きたいと

願っております。

 

それが

自分なりのご供養の道であり

仏道における供養であると信じます。

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▼4pマイナス症候群について(難病情報センター)

http://www.nanbyou.or.jp/entry/4805

 

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