学と思

昨年に引き続き

本年も開催されております

親子で学ぶ子ども論語塾

 

6/1は本年2回目の

子ども論語塾でした。

 

子ども論語塾では

講師の川崎葉子さんのご指南のもと

素読を行いながら

章句の内容についても

ご説明頂いております。

 

論語は今から

約2500年前の戦乱期を生きた

孔子の言行録です。

 

専門用語を用いると

“祭政一致”という

現代とは異なる背景を

踏まえて読むべき所が

あるかとは思いますが

時代や地域を超えて

「人の心を育む」ものとして

現代においてもなお

その輝きを放ち続けている

ということが出来るものです。

 

今回は「学」を

中心的なキーワードとして

論語と向き合わせて頂きました。

 

沢山の章句に触れさせて頂いた

1時間でしたが

ここではそのうち

1章句を紹介させて頂きます。

 

子曰(のたま)わく

学びて思わざれば則ち罔(くら)し

思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し

(為政二−⑮)

 

大学時代に

論語における「学」は

主に「礼」を学ぶことだと

教授がおっしゃられていた

記憶があります。

 

祭政一致の世の中においては

礼法や儀礼などが

すこぶる重要視されていたのです。

 

先に紹介した文言は

とても有名なものですし

現代的な意味で噛み砕けば

「学ぶこと」と「考えること」が

車の両輪の如くに重要であり

いずれかに偏ってはならない

といった意味であることは

容易に分かるものです。

 

この文言を紹介させて頂いたのは

「礼」(儀礼や礼法など)を

大切なものとしている

僧侶としての拙僧(副住職)が

感じたことがあったためです。

 

仏事をはじめ仏道の諸作法には

意味が込められております。

 

拙僧(副住職)が尊敬する

僧侶の先生がかつて

「修行で伝授されたものの意味は

生涯を以てつかんでいくもの」

とおっしゃられておりました。

 

このことは僧侶においてのみならず

あらゆることに通じるものだと

拙僧(副住職)は感じております。

 

昨今は

多くの分野でマニュアル化が進み

簡略化や合理化が図られております。

 

それはそれで

とても尊いことだと思います。

 

しかしながら

本来的な意味あいが薄れてしまい

形式化してしまいがちなものも多く

仏事においても

その現象は見られるといえます。

 

形骸化して意味をなさなくなれば

跡形もなくなってしまったり

本来的なものとはかけ離れた

ものに展開してしまったりする

可能性も大いにあります。

 

先の章句は

仏事についていえば

込められた意味があることを

自身もしっかりと踏まえて

実践と研鑽を重ね

かつ伝えるべきことを

伝えていくことの大切さへと

つながるものだと

個人的には感じました。

 

学と思について説かれた

先の章句は

現代的な文言通りに

意味を捉えてみても

大切なものですし

当時の背景を踏まえて

紐解いてみると

さらに“深み”を増した

メッセージがあるように思います。

 

様々なご縁があり

子ども論語塾が当山を会場に

開催されているわけですが

論語について

学ばせて頂く機会を

頂戴出来たことは

とてもありがたいことだと

いつも感謝しております。

 

各分野様々に

携わられていらっしゃる皆様と

古典中の古典である論語について

素晴らしい講師の先生に

ご指南頂ける何とも贅沢な

時間であると感じます。

 

次回は9/7の開催となりますので

ご都合のよろしい方

ご興味をお持ちの方は

是非ご一緒下さいませ。