問い続ける中での棚卸し

7月に入ったと思えば

もうひと月の3分の1が

過ぎました。

 

多くのお寺でも

そうであるように

当山でも毎週末は

法事が予定されます。

 

本日も夕方頃まで

各家の法事を

ご一緒させていただきました。

 

法事では多くの場合

「回忌」にあわせて

祈りがささげられます。

 

その回忌は

故人様の命日を基準として

流れ始めた時間を

意味するものです。

 

故人様の命日を境に

再び流れ始めた時間を

回忌は教えてくれます。

 

そういう意味では

回忌というのは

故人様との時間の続きを

意味するものでもあります。

 

このようなことを

胸の内にいだきながら

いつもお勤めさせて

いただいているのですが

どことなく曖昧ともいえる

この思いを

自身でも振り返り

さらに民俗学的な意味での

「霊魂観」であったり

「死生観」などを踏まえ

再構築する必要を感じています。

 

ここでいう再構築というのは

結論を出すということではなく

生涯問い続けるべきことに対し

現時点において

様々なことを踏まえたうえで

どうのような意義を

言葉で紡ぎ出せるかを

試みるということです。

 

ここでそのことについて

詳細に述べる余裕はありませんが

これまで前提としてきたことが

大きく変わりつつありますし

さらに当山でいうと

合葬墓のように

これまでのことを引き継ぎつつも

新たな形での葬送が

取り入れられていくにあたり

全体の根底を見つめ直したうえで

個々の意義をいかに捉えるかに

思いをいたしたいと思います。