史料をもとに近世のお寺近辺を再現してみました

明治9年(1876)に

国に提出された青森県の地誌

『新撰陸奥国誌』には

かつての観音堂の様子が

スケッチされております。

ここでいう観音堂とは

現在の七崎神社の場所に

明治まであったもので

徳楽寺という寺号が

用いられており

当山は長く観音堂の別当寺を

つとめております。

 

明治時代に行われた

神仏分離の対応のため

観音堂(徳楽寺)は廃寺となり

同書には社殿が建立され

七崎神社に改められました。

 

そのスケッチは

デフォルメされているのですが

細かな所の特徴が

おさえられております。

 

このスケッチでは

現在の当山駐車場東南側に

あたる部分が描かれています。

 

なので

こちらのスケッチをもとにして

江戸末期の当山本堂と庫裡を

配置させて

各所に簡単な説明を加えると

以下のようになります。

ちなみにですが

かつての観音堂は

明暦2年(1656)時点で

大きさが3間四方(18畳)

宝暦13年(1763)以降で

4間四方(32畳)であることが

棟札や史料より分かっています。

 

当山本堂は

文化7(1810)以前が

8間×7間(112畳)

文化8年(1811)〜令和2年10月が

8間×6間(96畳)です。

 

スケッチには

観音堂と境内だけではなく

当山有縁の家々も描かれております。

 

今回の再現図を作成するにあたり

細かな発見や気づきを

沢山得ることが出来ました。

 

歴史を感じつつ

実りある探求作業が出来たと

感じています。