わりきれない形の祈り

「仏教の形式」

「真言宗の形式」

などといった形で

物事をわりきろうとする

アプローチには限界があると

感じられることが多いです。

 

思考する際や

説明する際には

分かりやすさもありますし

語りやすさもあるので

有効であると思いますが

あくまでも方便と言えます。

 

当山は

真言宗豊山派ですので

当山の法式のベースは

真言宗豊山派のものと

言うことも出来ますが

実際のところは

“普賢院形式”とも

いうべきもので

地域の慣習を踏まえたり

先師代々のものを踏まえています。

 

同宗派においても

例えば十の寺院があれば

十の方法があるとも言えます。

 

この「違い」は

先にもチラッと触れましたが

それぞれの「歴史」に

起因する所が大きいものです。

 

供養にしても

祈願にしても

各所の歴史や由緒に根ざした

意味合いが「違い」であり

それが魅力でもあり

大切にすべきものと思います。

 

普賢院でいうと

関連する歴史や由緒について

尊いことにかなりの時期にまで

さかのぼることが出来るので

しっかりと後世に伝えるべく

諸事整えたいと考えています。

 

ご存知の方も

いらっしゃると思いますが

拙僧(副住職)は

真言宗豊山派総合研究院

現代教化研究所

という漢字にすると

とても“いかつく”見える

研究機関の研究員でもありまして

多くの刺激をいただいております。

 

その関係もあり

当山関係のことについて

調査する時間を確保するのが

難しくなっているのですが

一方で

研究所で得られたことが

これまで積み重ねてきた

当山関係の探求を

一層深められるものに

なると思います。

 

地元の小中学生と

携わる機会が

しばしばあります。

 

多くの場合

お寺や地域の歴史等を

お話するのですが

接する度に

未来を担う子どもたちの

ためにもなるような形で

伝えたいと

常々考えております。