ふと樺太を

一昨年の8月下旬は

ご縁があって

サハリンでの

墓参慰霊(ぼさんいれ)に

行ってまいりました。

 

昨年も本年も

ウイルスの影響で

赴くことは叶いません。

 

サハリンはかつて

樺太(からふと)と呼ばれました。

 

ロシアの南下政策による進出以後

日露両国の樺太をめぐる

交渉や行動は活発となり

一時共有地となりますが

明治8年(1875)に

千島・樺太交換条約締結以後

樺太全頭はロシア領となります。

 

明治38年(1905)に締結された

ポーツマス条約で

北緯50度以南が南樺太として

日本領となり

それ以後40年にわたり

“日本内地”として

約40万人が居住しました。

 

昭和20年(1945)

8月11日より25日までの間

南樺太は旧ソ連の侵攻にさらされ

多くの方が犠牲となり

一説には民間人4000人

軍人1000人が亡くなった

とされます。

 

日本では同年8月15日を以て

「終戦」したとされますが

南樺太は「終戦」以後も

戦火に見舞われたことになります。

 

日本人死没者の慰霊碑は

サハリン各所に建立され

16の慰霊碑が現存するとされます。

 

昨日閉幕した東京五輪の

閉会式の最後に

宮沢賢治の星めぐりの歌が

歌われる一幕がありました。

 

完全な余談ですが

宮沢賢治は

親愛なる妹を亡くした後

樺太(“サガレン”)を訪ねています。

 

東京五輪の閉会式の一幕と

本日が長崎に原爆が投下された日

であることなどが重なり

ふとサハリンのことが思い出され

ブログにしたためさせていただきました。