平成29年秋から
研究機関に
籍を置かせていただいているので
早いもの8年弱となります。
探究をしてはいたものの
研究をしていたわけではないので
かなり苦労が多かったのですが
メキメキ力を
つけさせていただいたのは
確かだと自分でも感じます。
この経験は
間違いなく普賢院に資するものであり
もっといえば地元にも
還元できるものに繋がると思います。
例年2月は
おこもりに関連して
七崎観音について述懐したり
ややアカデミックに連載したりしてきました。
そんな流れもあるので
ちょっと学問的なことを
記したいと思います。
ちょうど近日中に
興教大師覚鑁についての書籍を
読まなければならない中で
自身の問題意識に通じる箇所が
あったので
今日はそれを紹介したいと思います。
歴史学者は「史学の立場から日本仏教史の研究」をするにあたって、「国史学者としての限界をまもり、仏教の教理に立ち入ることを避けて(中略)穏健中立の立場を持って叙述する」という。このような前提にたった仏教史研究は何を明らかにするのであろうか。誤解を恐れずあえて述べれば、仏教は歴史ではなく信仰(ここで信仰というと、それは合理的思考ではなくいわゆる科学的認識と対立するかの思いを抱くから、必ずしも適切な用語ではないが)である。その信仰世界の歴史的記述である宗教史を「仏教の教理に立ち入ることを避けて」、しかも「穏健中立の立場を以って」どのように描くのであろうか。(白石凌海2021『構築された仏教思想 覚鑁』佼成出版社、p.25。)
白石凌海先生は
先代住職と親しくしていただいた
学者であり
群馬のお寺のご住職でもあります。
この引用文の内容は
歴史学的手法の限界に言及されており
とても大切なことだといえます。
いわゆる各地の郷土史は
在野の方も含め
歴史学的アプローチを主として
形成されていますが
推定を事実化してしまっているものが
散見されます。
やや乱暴な推論が見られたり
飛躍的な因果にまとめられている
ものも見られますが
それらはそれらで
大切な見解です。
また
先の引用を支持するのは
「仏教の教理」に関してもしかりです。
それを避けるとなると
実際にどのように参拝して
どこでどのような祈り方があって
どのルートが用いられていた
という形式がフォーカスされ
そこに簡単な意味づけ(目的や背景などなど)が
なされるに留まらざるを得ません。
拙僧は普賢院住職なので
普賢院に関わるものに
携わるのが現状精一杯ですが
責任が及びうる所については
自身の出来る限りにおいて
アプローチしたいと考えています。