童謡「夏の思い出」の
歌詞の出だし
「夏が来れば思い出す〜」の
メロディーが頭の中に
流れたとき
皆さんはどのような思い出を
真っ先に思い出されるでしょう。
皆さん各々に
惹起されるものがあると思います。
拙僧泰峻の場合は
奈良県にある本山長谷寺での
加行(けぎょう)という修行です。
友人や家族との思い出ではなく
加行の時のことが
(不覚にも?)
思い出されます。
あの時のことが
思い出されるせいか
膝がズキズキ痛む気がします。
正座で
膝や足の甲が血だらけになり
半跏座で
くるぶしのあたりも出血し
はだしに下駄を履いて
山ゆえにアップダウンのきつい
境内の諸堂を
日に3度参拝するため
下駄の鼻緒に当たる
足の親指と人差し指からも出血しと
満身創痍だったことが
鮮やかに思い出されちゃいます。
一番厳しい所で
修行した方が良いと
先代住職にアドバイスされたので
本山での加行にのぞみましたが
先輩方から聞いていた内容よりも
はるかに厳しく感じられ
加行が始まった当初は戸惑いました。
ですが
今となっては
本山で修行が出来て
良かったと感じていますし
やりきることが出来たことは
間違いなく現在に繋がっています。
楽しい思い出というタイプの
思い出ではないのですが
“極限状態”で自身と
向き合うことが出来た
尊い時間だったという意味で
強烈に心に刻まれています。
夏が来れば
思い出されるような
しかけになっていると
思ってしまう程
毎年今の時季になると
思い出されます。
そんなことで
今年も加行の頃のことと
あの時の情熱的な姿勢が
思い出されたので
諸作法や諸次第について
基本的で根本的な所について
しっかりと振り返りたいと思います。