壮絶な状況を背景とする一作法

江戸時代の飢饉のうち

天明の飢饉(1783〜84)が

近世最大の死者を

出したと推定されています。

 

八戸藩では

6万人の人口が

ほぼ半減してしまったと

伝える史料もあります。

 

その数字が

どれほど正確なものかは

諸説あるようですが

大変な状況であったことは

間違いありません。

 

来年冒頭に寄稿する

原稿の内容に関わるので

飢饉について調べ直してみると

当時の社会制度であったり

財政再建のために

どのような政策がとられ

どのようなリアクションが

あったかなどにも触れるのですが

色んな意味で

現代は「飽食の時代」だと感じます。

 

当地では

お墓参りのお供えのなかに

「あられ団子」と称される団子があり

その団子に米と茶葉をまぜたものを

かけるという作法があります。

 

これは一説に

施餓鬼作法といわれ

餓鬼というものに対しても

供養をなしていることを象徴します。

 

最近では

お墓での供物は

置いたままにはしませんが

作法を施された供物を

放置することにより

餓鬼が供物を得ることが

出来るという

具体的なストーリーが

想定されていました。

 

カラスなどの動物に

食べてもらうという

利他のあり方として

捉えられている場合も

あると思いますが

それだけでなく

餓鬼にも施されていると

考えられていたのです。

 

六道のなかのひとつでもある

餓鬼の存在は

歴史的背景を踏まえると

ある種のリアリティを帯びたものとして

人々の死生観において

捉えられていたと思います。

 

天明の飢饉では

人肉を食べて飢えを

凌ごうとしたというエピソードも

伝えられます。

 

庶民感覚における餓鬼は

苦しみながら亡くなった者の霊

というイメージが重ねられ

飢饉や災害や戦乱などの歴史が

そのようなイメージを

より強固なものにしていたと

考えられるように思います。

 

あられ団子に限りませんが

慣習的作法の背景として

今では考えられないような

歴史的事実がいくつもあげられることを

忘れてはならないと思うのです。