問い続ける中での棚卸し

7月に入ったと思えば

もうひと月の3分の1が

過ぎました。

 

多くのお寺でも

そうであるように

当山でも毎週末は

法事が予定されます。

 

本日も夕方頃まで

各家の法事を

ご一緒させていただきました。

 

法事では多くの場合

「回忌」にあわせて

祈りがささげられます。

 

その回忌は

故人様の命日を基準として

流れ始めた時間を

意味するものです。

 

故人様の命日を境に

再び流れ始めた時間を

回忌は教えてくれます。

 

そういう意味では

回忌というのは

故人様との時間の続きを

意味するものでもあります。

 

このようなことを

胸の内にいだきながら

いつもお勤めさせて

いただいているのですが

どことなく曖昧ともいえる

この思いを

自身でも振り返り

さらに民俗学的な意味での

「霊魂観」であったり

「死生観」などを踏まえ

再構築する必要を感じています。

 

ここでいう再構築というのは

結論を出すということではなく

生涯問い続けるべきことに対し

現時点において

様々なことを踏まえたうえで

どうのような意義を

言葉で紡ぎ出せるかを

試みるということです。

 

ここでそのことについて

詳細に述べる余裕はありませんが

これまで前提としてきたことが

大きく変わりつつありますし

さらに当山でいうと

合葬墓のように

これまでのことを引き継ぎつつも

新たな形での葬送が

取り入れられていくにあたり

全体の根底を見つめ直したうえで

個々の意義をいかに捉えるかに

思いをいたしたいと思います。

 

わりきれない形の祈り

「仏教の形式」

「真言宗の形式」

などといった形で

物事をわりきろうとする

アプローチには限界があると

感じられることが多いです。

 

思考する際や

説明する際には

分かりやすさもありますし

語りやすさもあるので

有効であると思いますが

あくまでも方便と言えます。

 

当山は

真言宗豊山派ですので

当山の法式のベースは

真言宗豊山派のものと

言うことも出来ますが

実際のところは

“普賢院形式”とも

いうべきもので

地域の慣習を踏まえたり

先師代々のものを踏まえています。

 

同宗派においても

例えば十の寺院があれば

十の方法があるとも言えます。

 

この「違い」は

先にもチラッと触れましたが

それぞれの「歴史」に

起因する所が大きいものです。

 

供養にしても

祈願にしても

各所の歴史や由緒に根ざした

意味合いが「違い」であり

それが魅力でもあり

大切にすべきものと思います。

 

普賢院でいうと

関連する歴史や由緒について

尊いことにかなりの時期にまで

さかのぼることが出来るので

しっかりと後世に伝えるべく

諸事整えたいと考えています。

 

ご存知の方も

いらっしゃると思いますが

拙僧(副住職)は

真言宗豊山派総合研究院

現代教化研究所

という漢字にすると

とても“いかつく”見える

研究機関の研究員でもありまして

多くの刺激をいただいております。

 

その関係もあり

当山関係のことについて

調査する時間を確保するのが

難しくなっているのですが

一方で

研究所で得られたことが

これまで積み重ねてきた

当山関係の探求を

一層深められるものに

なると思います。

 

地元の小中学生と

携わる機会が

しばしばあります。

 

多くの場合

お寺や地域の歴史等を

お話するのですが

接する度に

未来を担う子どもたちの

ためにもなるような形で

伝えたいと

常々考えております。

 

距離を置いてみる

情報化社会ともいわれる現代ですが

便利だと感じる一方で

情報の波に疲れる側面も

あるように感じられます。

 

当山では

当ブログのほか

SNSをいくつか使っていますが

日々更新するブログ以外は

意図的に時折“空白”

を作っています。

 

言い方を変えると

更新することも

目を通すこともしない

という期間が時折あります。

 

バタバタしてしまうと

更新が滞ってしまう

ということもありますが

最近は意図的に

距離を置いています。

 

その分

お寺の諸事や研究に

注力しています。

 

スマホの普及率が

グンと高まった分

朝から晩まで

スマホを使ったり

眺めてしまうといった

スマホ依存の方が

増えていると聞きます。

 

便利ですし

楽しむことも出来るので

いつまでも使うことが

出来るのは分かりますが

食事中であったり

人がいる横で

当たり前のように

スマホでSNSをチェックしたり

スマホを見ながら

オフラインの会話をするのは

あまり良い光景では

ないように思います。

 

ニューノーマルなるものが

どのようなものか

マナーであったり

心身の健康についても

考えた方が

良いのではないかと

折に触れて感じています。

 

よい経験となった法話動画

当山では昨年2月以降

御詠歌が休止されています。

 

拙僧(副住職)にとって

様々な取り組みの原点は

お寺での「御詠歌の会」

にあるということもあり

御詠歌の休止が

ここ1年数ヶ月において

一番の不本意です。

 

再会しようとも思ったのですが

やはり心配な部分もある

ということで現在も休止中です。

 

真言宗豊山派における

御詠歌の本部を

豊山流大師講といいますが

本部主催の大きな行事も

休止されております。

 

そのような中

東京の御詠歌の有志の先生方により

「ごえいかチャンネル」が開設され

そこに全国各地の先生方も

関わるという形で

試行錯誤が重ねられています。

 

ご縁があり

拙僧(副住職)にもお声がけがあり

御詠歌の各曲にまつわる

法話をするという

「ごえいかばなし」というコーナーに

参加することになりました。

 

本日、法話を撮影して

それを大まかに編集して

主催されていらっしゃる先生に

送らせていただきました。

 

時間は10分以内ということで

内容等は各自に任せられていたのですが

短時間でまとめるのは

思いのほか難しく

とても良い経験になりました。

 

この経験は当山の今後に

活かせると感じています。

 

学びて時に之を習う

毎月1度

有志の皆様と論語の勉強会を

当山にて行っています。

 

早いもので

このご縁をいただいて

3年が経過します。

 

紆余曲折ありながらも

古典の章句と

向き合わせていただく

貴重な機会が

ひと月に一度あることは

とてもありがたいことだと

感じています。

 

学ぶことを学習といいますが

この語源は次の章句に由来します。

 

子曰わく

びて時に之を

亦説ばしからずや。

朋遠方より来る有り

亦楽しからずや。

人知らずして慍みず

亦君子ならずや。

[学而第一-1]

 

今では誰もが気軽に

色々調べることが出来

学ぶことも出来ますが

かつては

全く状況が異なっており

そのようなことに

思いをはせてみると

章句に深みが出てまいります。

 

これは一例ですが

背景を踏まえるよう心がけて

論語と向き合わせて

いただいております。

 

論語は日本の歴史において

大きな影響を与えた古典です。

 

特に近世になると

様々な展開が見られるようになり

個人的にはそのような部分に

大いに関心を持っています。

 

個人的な関心に関わる古典の

響きに触れることに加え

参加者の皆様の

示唆に富んだお話も

聞くことが出来

今回も大変充実した時間となりました。

 

全力投球

ここしばらくは

多くの時間を

さかなければならないことが

いつくか重なっているのですが

時間に限りがあるため

短時間を“全集中”で

過ごしております。

 

調べ物だけならともかくとして

まとめて整理して編集もして

といったものまであるので

大変に苦戦しています。

 

とはいえ

いかなる状況においても

「何とかする」ことが大切だと

考えているので出来る範囲で

仕上げていきたいと思います。

 

夏の予感

セミの幼虫らきしものを

境内で目にしました。

 

間もなく脱皮を

迎えるのでしょうか。

 

セミかどうかは分かりませんが

夏の到来を感じました。

 

本日も暑い一日でした。

 

御詠歌の先生方の有志による

オンラインの取り組みがありまして

今月は拙僧(副住職)が

オンライン法話の担当で

その撮影を行いました。

 

撮影を行ってみたのですが

来客があったり

撮影で使用していた会場が

午後から別用のため

使えなくなったりと

スムーズに進められませんでした。

 

また明日

再撮影いたします。

 

お話オンリーの動画は

当山のYouTubeチャンネルでは

まだアップしたことがないのですが

今回チャレンジしてみますと

なかなか良いものだと感じたので

今後の取り組みとして

検討したいと思います。

 

アップされたら

こちらのブログでも

ご案内させていただきます。

 

新本堂建設のため

杭打ちが先日行われたのですが

杭を重機でねじ込む際に

地上に排出された粘土が

ボコボコと杭の周辺に

盛り上がっています。

 

気分転換もかねて

下校した子どもたちと

粘土を水でこねて

久しぶりに土遊びをしました。

 

思った以上の粘質だったので

子どもたちと

造形を楽しんでみました。

 

童心に帰るとは

まさにこのことだと感じつつ

集中して粘土遊びをしたのですが

リフレッシュには

効果的でした。

 

子どもたちは

もうすぐ夏休みに入るので

その時にも楽しめるようにと思い

夏休み用に粘土を

一部寄せてみました。

 

これで今年の夏は

ちょこちょこ

粘土遊びをしてみたいと思います。

 

北へ南へ東へ

普段のお勤めで使用される

様々なお経や作法には

長い長い歴史があります。

 

その歴史や展開については

一朝一夕に捉えられるもの

ではありませんし

今もなお歴史が続いています。

 

日本への公伝は

百済を経由して

6世紀になされたとされます。

 

日本へ伝えられた仏法は

三国伝来(インド→中国→日本)

ということが

ある意味強く意識され

そのことが伺われる

文書も多く残されています。

 

日本へ伝えられた

“ルート”のものは

北伝仏教と通称されます。

 

一方

スリランカや東南アジアへ

伝えられたものは

南伝仏教と呼ばれます。

 

北伝や南伝という名称は

伝播経路からつけられたものです。

 

南伝仏教は主に

上座部仏教を指すのですが

東南アジアの上座部仏教の

瞑想を起源とする実践法が

欧米(特にアメリカ)で

流行しています。

 

ある研究者の方は

アメリカで仏教瞑想(的実践)が

流行していることは

“仏教のさらなる東進”

つまり

インド→アジア→アメリカ

と仏教が伝えられたと

いえると捉えています。

 

そうなるに至った

歴史的背景があるのですが

現代仏教について考える上で

このような動向は

とても多くの示唆に富んでいます。

 

拙僧(副住職)はここ4年程

所属する研究所にて

そういったことを

研究テーマの一つとしている関係で

アメリカについてであったり

南方仏教圏について

調べる機会が増えていまして

本年はこれまで以上に

時間をさいております。

 

ご存知の方も多いと思いますが

いわゆる北伝仏教と南伝仏教は

特徴が異なります。

 

そのような事柄に触れることは

自身を省みることにもなりまして

とても実り多い

学びであると感じています。

 

来年には落ち着いていることを願います

本日午前中は

総代をお勤めいただいた方の

一周忌がありました。

 

その方は生前

毎日欠かすことなく

仏壇にて読経されるとともに

研究熱心な方でして

当山にも多大な

お力添えをして下さいました。

 

ありし日の

お姿は忘れられません。

 

本家にあたるお家柄ゆえ

ご親戚がとても多いのですが

ウイルスの関係もあり

葬儀の時も

規模を縮小して

お弔いが行われました。

 

今回もごく近いご親戚の

皆様とともに

ご供養のひとときを

おともさせていただきました。

 

3回忌か7回忌の時には

呼ぶべきご親戚の皆様に

お集まりいただいて

ご供養されたいと

奥様がお話されて

いらっしゃいました。

 

来年の今頃には

状況が少しでも落ち着いていることを

心から願います。

 

具体的なイメージを踏まえて

お寺では下半期に入ると

お盆や秋彼岸の準備も

進めなければならないのですが

年末年始に向けてのことも

念頭に置きつつ

様々なことを整える必要があります。

 

普賢院のことのみならず

宗派の役職関連のこともあるのですが

本年下半期も中々タイトな

日々となりそうです。

 

ここ2日程

本年年末と来年3月に

所属している研究所主幹で行われる

とても大切な研究会の

打ち合わせがオンラインや

メール等で行われたのですが

その中で思いの外

責任重大の案件を

預かることになりそうなので

心して取り組みたいと思います。

 

さて

ここからは本堂建設関係のお話です。

 

本工事の専門的なことについては

建設委員会の相談役の方をはじめ

当山の誇る役員の皆様に

チェックを担っていただいており

そのおかげで順調に

進められてまいりました。

 

諸儀式を含む今後の日程や

新たな境内と本堂の完成像が

日に日に明確に思い描ける

ようになってもきました。

 

旧本堂解体時に

境内に植えられていた木々や

設えられていた石造物を

仮に移植・移設しているのですが

それらを今度はどこにどのように

配置するのかも

考えなければなりません。

 

ここにあの石や植物が

あったらどうだろうかですとか

このスペースは

こうしたらどうだろうかなど

思案を重ねています。

 

具体的な動線であったり

今後想定される

各所での儀式であったり

イメージ出来ることは

しっかりと思い描いたうえで

空間をうまくデザイン

出来ればと考えています。

 

もうすぐ五輪が開催されますが

東京五輪招致の際に

「おもてなし」というフレーズが

世界に発信されました。

 

別の言葉でいえば

配慮や心づかいとも言えると

思いますが

仏道に引き寄せて換言すると

「布施」という言葉が

あてはまるといえます。

 

現代社会において布施と聞くと

お寺に納めるものという

イメージが色濃いと思いますが

本来的な意味は

“他者を思いやる心がけ”

といったニュアンスです。

 

具体的なイメージを

思い描いたうえで

有縁の皆様の心のより所と

なるような空間になることを

願って取り組むことが

布施行と重なるものと心得て

細かな部分も

つめていきたいと思います。

 

 

▼本日夕方の様子

要所に杭が打たれて

新本堂の輪郭が

はっきりとしてきました。