開創当時を考える④

開創上人である

圓鏡(えんきょう)師の

法名は五智(ごち)のうち

大圓鏡智(だいえんきょうち)

という東方・阿閦如來(あしゅく)如来に

当てられる仏智に由来することに

以前触れました。

 

そして圓鏡師の行状について

諸史料が伝える当時の社会背景を

手がかりに考察を試み

そして当地を拠点に選定して

十一面観音を本尊として

開創に至ったことを

大まかに描いてみました。

 

十一面観音は

空海・最澄以前の“古密時代”から

日本でも信仰されていた尊格です。

 

さらっと仏智とか五智とか

書いていますが

これには思想的展開があって

現在に至るものなので

あたかも「昔からこうです」と

思われるような記述は

よろしくないと思うのですが

論文ではないので

さらっといかせていただきます。

 

思想的展開は仏教の歴史でもあり

その展開の中には

修行者自身による体験内容と

伝えられる所の理論内容が

異なることに気づいたグループが

自身の体験内容を

限界があると自覚しつつも

サンスクリット語による記述を

試みた経典がもととなるものがあります。

 

現代の寺院や僧侶の

一般的(と思われる)イメージと

(おそらく)違って

持戒しながら修行に打ち込むことは

必須のことであり

その行状はまさに

身命をとしたものであったのです。

 

すこぶる修行を重んじ励まれ

自身の行(自利行)のみならず

利他行も行いつつ

過ごしていたものと考えます。

 

弘法大師の伝記によると

弘法大師は

山野を中心に自然にわけいり

浮世離れした行に

打ち込んでいただけではなく

勉学にも励まれていたことが

分かっているので

圓鏡師も行だけではなく

「教」(勉学の意)にも

励まれたと考えます。

 

そもそも

行と教は両輪のようなもので

僧侶において

「教なき行」「行なき教」

というのは厳密には

成立しないようにも思います。

 

圓鏡師の出身地は不明ですが

授法の師匠がいらして

法友もいらして

弟子もいらいたことでしょうし

支持する優婆塞・優婆夷(在家者)も

いらしたことでしょう。

 

真東を向く当山は

必ず日の出を仰ぎ

日の入りを背に負います。

 

日輪観・月輪観といった

観法を修法したでしょうし

明星や北極製や七星などの

星々にまつわる観法も

修法したことでしょう。

 

月輪観(がちりんかん)という

行法は現在も重宝される

歴史あるもので

菩提心(ぼだいしん)という

とても尊い心を

満月の観想を以て

“感得”することを目指します。

 

重宝されるというか

修行必須の超重要な修行のひとつが

月輪観といえます。

 

初代住職・圓鏡師の次代を担った

第2世・月法律師(がっぽうりっし)の

法名「月法」は

「菩提心の象徴たる月の教(法)」という

深い意味に通じます。

 

月法律師は

十和田湖伝説に登場する

南祖法師(坊)の師とされる僧侶です。

 

「月法律師が南祖法師の師」

ということにも

意味が込められていると仮定して

仏教的背景を想定してみると

そこにまた

新たな筋書きが浮かび上がってきます。

 

つづく