かんのんまいり 岩谷観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第28番札所

二戸福岡の岩谷(いわや)観音。

 

岩窟にある観音堂です。

 

どうやら崩落があった様子で

観音堂へ渡る橋の手前に

遥拝所が設けられておりました。

 

こちらには

観音様と阿弥陀様が

お祀りされており

100年に一度の御開帳だそうです。

 

院派(いんぱ)という流派の仏師により

南北朝時代に作られたとされます。

 

こちらの観音堂の修復にあたっての

棟札に永福寺の住職である

清珊(せいさん)が祈祷したと

記されるものがあるそうです。

 

岩谷観音の本尊は

十一面観音とされますが

その御尊容は一面二臂です。

 

観音像頭部に小さな穴があり

それが化仏(けぶつ)を差し込む跡だと

いわれるそうです。

 

一方で岩谷観音は

正観音(聖観音)としても

信仰されていたようです。

 

その観音様が

十一面観音か聖観音かということよりも

阿弥陀如来と共にお祀りしている点に

深みを感じます。

 

阿弥陀如来は

観音菩薩が頭部に戴く化仏でもあり

こららの尊格は

古くよりとても深い関わりがあるのです。

 

 

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かんのんまいり 矢立観音

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第20番札所

矢立(やだて)観音。

 

義経(よしつね)伝説が伝えられる

南部町鳥谷(とや)の札所です。

 

現在の観音堂は

集落に鎮座しますが

もともとは山中にあったそうです。

 

山林浴をしながら

義経伝説にも触れながら

ご縁を結べる札所となっております。

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論語塾に通わされた熱い思い

9/15は論語塾が開催されました。

 

講師の川崎葉子さんのお話で

「私も3.11の被災者であり

流浪の民の一人です」という

お言葉がありました。

 

北海道大地震や

西日本豪雨災害など

災害が目立った本年ですが

災害の後の

子どもの心のケアの必要を

お話されていたのが

とても印象的でした。

 

論語を通じて

真の生きる力を

育むことに

少しでも繋がることを

願われているとの

お気持ちを抱かれて

各所にて

論語塾を開催されているとの

熱い思いに心打たれました。

 

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かんのんまいり 外手洗観音

糠部(ぬかべ)三十三観音

第18番札所

作和(さくわ)外手洗(そであらい)観音。

 

こちらの観音様は

明治の廃仏毀釈の難を逃れるため

名久井の法光寺に移され

昭和になってこの地に

再びお祀りされたそうです。

 

外手洗観音の鳥居の前には

そば畑が広がっており

とても美しい景観となっております。

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心とお腹を満たす

『光の旋律 瞑想と精進カレー』が

開催されました。

 

民族楽器奏者の

奈良裕之(ゆうじ)さんに

瞑想をご指南頂き

瞑想後には

奈良さんお手製の精進カレーを

堪能させて頂きました。

 

奈良さんのお話は

いつも興味深く

聞かせて頂いております。

 

今回も実り多い

光の旋律となりました。

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【9/23秋彼岸中日】お手伝い頂けませんか?

9/23の秋彼岸中日法要で

お手伝い頂ける方を

募集しております。

 

お手伝い内容は

下記の通りとなります。

 

①早朝のお膳上げ

午前7時にお寺に集合して頂き

位牌堂位牌壇のお膳上げを

お手伝い頂きます。

 

早朝おいで頂いた方には

お弁当も用意させて頂きます。

 

②位牌堂の後片付け

午後2時にお寺に集合して頂き

位牌堂の後片付けをして頂いて

終了次第解散という流れになります。

 

終了は遅くとも4時半頃かと思われます。

 

①のみ、②のみでも構いません。

 

①、②いずれもお手伝い頂ける方は

早朝の作業が終了後

午後の後片付けまで時間がありますので

1度お帰り頂いて構いません。

 

お手伝い頂ける方

いらっしゃいましたら

ご連絡下さいますよう

お願い申し上げます。

 

mail fugenin643@gmail.com

 

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三国伝記について③最古の十和田湖伝説のあらすじ

これまで

“最古の十和田湖伝説”とされる

『三国伝記』巻12第12話

「釈難蔵得不生不滅事」を見る

前段階として

『三国伝記』や撰者・玄棟(げんとう)に

伺える長谷信仰や

十一面観音信仰について

かなりザックリではありますが

触れてまいりました。

 

今回は

“最古の十和田湖伝説”の

あらすじを見てまいります。

 

以下、拙僧(副住職)の拙訳にて

大まかなエピソードを

ご紹介いたします。

 


「難蔵が入定するお話」

 

むかし

播州(現在の兵庫)の

書寫山(しょしゃざん)に

釈難蔵(仏弟子の難蔵の意)

という者がいました。

 

難蔵は法華経という

尊いお経を

とても大切にした

法華持経者であり

修行者でした。

 

即身における

弥勒出世値遇を誓い

読誦、回峰、参詣

怠ることなく

心して精進に

励みました。

 

難蔵が熊野にて

三年の山籠(さんろう)にのぞみます。

 

千日となる夜

御殿から翁が現れ

常陸と出羽の境にある

言両(ことわけ)山に

居住すれば

弥勒出生に値遇できると

告げられました。

 

お告げをうけ

言両山(ことわけやま)へ赴くと

その山は錦の如くに花に彩られ

藍の如くの円池があり

老巨木が生い茂り

奇岩や塊石がそびえる

まさに深山幽谷でした。

 

難蔵は

円池の端(はた)に

草庵をこしらえました。

 

草庵に住んで

法華経を読誦する様子は

まるで仙人の如くです。

 

毎日行われる

難蔵の読経を

18、9歳程の美女が

聴いていました。

 

難蔵は

不思議に思いながらも

日々を過ごしました。

 

ある時

その女性は難蔵に

自身が池の主の龍女であることを明かし

自身と夫婦になって欲しいと

告白します。

 

龍女は自身と夫婦となれば

龍の寿命である龍寿を得て

弥勒出世の値遇という

難蔵の願いも達成されると

難蔵に伝えます。

 

難蔵は

あれこれと深く悩みましたが

龍女と夫婦となることを

決意します。

 

ある時

龍女は難蔵に

八頭大蛇(やずだいじゃ)

のことを告げます。

 

龍女がいうには

この言両(ことわけ)山から

西に三里にある

奴可嶽(ぬかのたけ)の池に

八頭大蛇がいて

その八頭大蛇は

龍女を妻として

一月の上旬十五日間は奴可の池

下旬十五日間はこの池に

住むとのことです。

 

そしてもうじき

八頭大蛇がやって来るので

そのことを心得てほしいと

伝えられます。

 

龍女の言葉を聞き

難蔵は恐れる気配もなく

八巻の法華経を頭に戴くと

九頭龍(くずりゅう)になりました。

 

そして

例の八頭龍(大蛇)が

やって来きました。

 

八頭龍(大蛇)と九頭龍は

七日七夜「食い合い」ました。

 

激しい戦い(食い合い)の末

八頭龍は「食い負け」ます。

 

八頭龍(大蛇)は

大きな身を曳いて

円池(大海)に入ろうとすると

大きな松が生え出て

八頭龍の行方は阻まれました。

 

八頭龍(大蛇)は

威勢尽きて小身になり

本の奴可嶽の池に入りました。

 

八頭龍(大蛇)に

「食い勝った」難蔵は

龍女と共に

言両(ことわけ)山(嶽)に

住みました。

 

今でも

その池の辺りでは

激しい波の響きの奥に

かすかに法華経を読誦する声が

聞こえるといいます。(終)


 

以上が

最古の十和田湖伝説の

あらすじです。

 

深めたい箇所が

多々あるのですが

今回は話の重要な舞台である

「言両山」について

少しだけ触れさせて頂きます。

 

「言」と「両」という言葉は

特に密教では

馴染み深いもので

言両(ことわけ)という名称からは

「真言両部(しんごんりょうぶ)」

という言葉が連想されます。

 

ついでながら

奴可嶽の「奴可(ぬか)」は

糠部(ぬかべ・ぬかのべ)という

地域の名称に由来しているというのが

これまでの「定説」ですが

仏教的意味合いが込められていると

仮定するのであれば

「ナラカ」という梵語に由来して

いるとも考えられます。

 

「ナラカ」は

「奈落(ならく)」と

音写される言葉で

要するに「地獄」を意味します。

 

奴可嶽が「地獄」を踏まえて

設定された“お山”と捉えるならば

八頭大蛇についての検討も

より深いものになるように思います。

 

地獄は八熱地獄と八寒地獄

という「熱」「寒」

各々に八大地獄があるとされます。

 

八頭龍(大蛇)が

この八大地獄に通じていると

考えることも出来るでしょうし

日本神話に登場するヤマタノオロチに

仏教的意味が重ねられているとも

考えることが出来るように思います。

 

ヤマタノオロチでいえば

難蔵は書寫山(しょしゃざん)の者

とされますが

この書寫山は「スサノオの杣(そま)」

とも呼ばれます。

 

古事記や日本書紀の

いわゆる日本神話について

かつての僧侶は深く

学んでおりますので

神仏習合の様相が色濃い

“中世における”記紀神話を

踏まえていたとしても

何ら不思議はありません。

 

言両(ことわけ)山の

話に戻りますが「言両」を

「真言両部(しんごんりょうぶ)」の

意味として捉えるならば

中世における神仏習合思想の

根本を支える考え方である

曼荼羅(まんだら)について

触れなければなりません。

 

この曼荼羅の考え方は

神仏習合思想が台頭した時代の

「国土観」を見る上でも

必要不可欠のものです。

 

今回は

最古の十和田湖伝説のあらすじを

紹介させて頂きました。

 

『三国伝記』の撰者は

仏道に深く関わる玄棟であるゆえ

この書物は仏教やその背景に

ある程度通じていないと

意味を汲み取れないように感じます。

 

最古の十和田湖伝説である

「釈難蔵得不生不滅事」の

文面はかなり仏教的です。

 

それゆえに

文字として記されているものに加え

「仏教的前提」となっている部分にも

目配せしながら

次回も最古の十和田湖伝説を

見ていきたいと思います。

 

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かんのんまいり 高山観音②高松寺

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第4番札所

高山(たかやま)観音。

 

高松寺(こうしょうじ)本堂に

高山観音が祀られます。

 

本堂内陣左方には

虚空蔵菩薩が中央に祀られ

その右側に高山観音が

お祀りされます。

 

高松寺は

その起源が平安末期にさかのぼります。

 

古くは

重盛山小松寺(しげもりさん こまつでら)

と呼ばれていたそうです。

 

重盛山という山号は

平清盛公の息子である

平重盛に由来します。

 

小松寺は現在のお寺の場所ではなく

龍興山神社の方にあったそうです。

 

龍興山神社の案内板によれば

重盛が京都とり島守の地に来て

虚空蔵菩薩を浅田山の山頂に

祀ったのが創始とのことです。

 

伝説や歴史に触れ

島守を味わいながら

お参りされてはいかがでしょうか。

 

【高松寺】

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【龍興山神社】

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カクレキリシタンの島 生月島

9月3日より6日まで所用のため

長崎県各所に赴かせて頂きました。

 

長崎県は古くより

東西様々な文化が交流する

土地柄でもあり

見所が多いと感じました。

 

カクレキリシタンの島である

生月島(いきつきしま)では

カクレキリシタンの祈りの

足跡に触れることが出来ました。

 

キリシタンが禁止された

禁教(きんきょう)時代の

祈りのあり方には

考えさせられる所が

沢山ありました。

 

禁教下での「キリシタン弾圧」

という印象がありましたが

禁教時代となる以前に

藩によっては

キリシタン大名により

藩内寺院が破壊されるという

出来事もあったようです。

 

生月島での学びは

とても貴重な経験となりました。

 

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