令和4年最初の写経カフェ

本日は寺子屋ワークショップ

写経カフェが開催されました。

 

一昨年から引き続き

規模を縮小しての

実施となりました。

 

写経カフェの様子を

お伝えする動画を用意しました。

 

法話では

七崎観音(ならさきかんのん)

についても触れております。

 

七崎観音は秘仏で

年に1回

旧暦1月17日にご開帳されます。

 

本年は2月17日が

ご開帳となり

その日に法要が行われます。

 

ご開帳しての法要の詳細は

こちらをご参照下さい▼

おこもり法要のご案内

 

写経カフェで

納経された写経は

ご開帳して行われる法要にて

改めてご宝前に奉呈します。

 

そういった関わりもあり

写経カフェで

七崎観音についても

お話させていただきました。

 

ご覧いただけると幸いです。

 

令和4年の初観音〜基礎資料の更新をかねて〜

1月18日は

年初の観音縁日ゆえ

初観音といわれます。

 

初観音ということで

当山に祀られる七崎(ならさき)観音

について本日は触れたいと思います。

 

昨日のブログで投稿しましたが

来月は七崎観音の行事があります。

 

令和4年おこもりのご案内について

 

行事との関係もあり

例年この時季には

七崎観音に関する

投稿が多くなるのですが

研究メモや調査メモも

兼ねて書かせていただいております。

 

拙僧自身も

改めて確認したいことがあるので

久しぶりに「年表メモ」も更新しつつ

七崎観音について

これから何回かにまたがり

書きとどめたいと思います。

 

以前もご紹介したように

七崎観音は二体あり

現在秘仏とされているのは

七崎観音本体の御前立(おまえだち)

として貞享4年(1687)に

藩主・南部重信公が奉納したものです。

 

「本体」である聖観音は

明暦元年(1655)に

藩主・南部重直公が奉納した

「金色の観音像」で

こちらは現在修繕中です。

 

この二体の七崎観音を

区別するため昨年より

「現(げん)七崎観音」

「本(もと)七崎観音」

と呼び分けています。

 

本七崎観音は

当時の観音堂が再興された際に

奉安されたものでして

その時の観音堂再興の棟札(むなふだ)が

残っております。

 

七崎観音が祀られる七崎観音堂は

明治まで観音山あるいは七崎山と

呼ばれる場所にありました。

 

現在の七崎神社の場所です。

 

明治になり

神仏分離の対処のため

境内を切り離し

かつての七崎観音堂は取り壊され

社殿が建立されています。

 

仏像仏具は当山に

移されることになりました。

 

旧観音堂が廃止され

七崎観音ほか諸尊が

当山に遷座された後も

空のお堂へ参詣する方が

多かったようで

そういった方への配慮で

再度旧観音堂へ

七崎観音が祀られるという

臨機応変策が

転換期において講じられています。

 

明治以後の住職が残した文書によると

七崎観音が当山に遷座された当初は

旧本堂の一室を

“突貫工事”的に模様替え

せざるを得ない状態だったようで

かなり粗末に感じられるような

空間だったとのことです。

 

「稀代の古刹」とまで称され

藩主はじめ多くの方に

崇敬されてきた観音様ほか諸尊を

お祀りする観音堂を

再興していくことを胸に

代々住職がご尽力されてきたことが

明治以後の歴史から浮かび上がります。

 

先代住職の泰永和尚もまた

その一人でして

先代の期間中において

観音堂はかなり整備されております。

 

もうすでに結構な分量になってきたので

本日はこの辺で終わりにしたいと思います。

 

本年もまた

数回にわたって七崎観音について

紹介したいと思いますが

今回は特に明治以後に注目し

七崎観音の本体と御前立が

“入れ替わって”認識されるに

至った理由について

思いを巡らせてみたいと思おいます。

 

 

▼仮観音堂

 


※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])を典拠にしたものについては青字で記します。(※一部追記アリ。)

※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料の年代等を緑字で記します。前回のものに追記したものがあります。

※弘法大師空海や興教大師覚鑁の両祖大師に関すること、寛永11年[1634]以降の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。

※近世以前(ここでは寛政12年[1625]以前)については、当山の過去帳を主な典拠として橙色で記します。(※一部追記アリ)

 

  • 開創・圓鏡上人(弘仁8年[817]5月15日ご遷化/過去帳に「當寺開創」と記載/ご遷化の年次から最近では「弘仁初期(810)頃開創」と紹介してきたが、明確なことは分からないため「延暦弘仁年間の開創」と説明されてきた)
  • 月法律師(当山2世/天長8年[831]10月16日ご遷化/南祖法師の師とされる)
  • 七崎観音の“おこり”(承和元年[834]1月7日、八太郎で漁師として暮らしていた京都の四条中納言・藤原諸江卿が観音夢告により、当地に観音様を遷して祀り、それが七崎観音の始まりという由緒譚アリ/坂上田村麻呂将軍[758〜811]が祀ったという話や、諸江卿の娘である七崎姫を七崎観音として祀ったという話が由緒譚としてあるが、実際の経緯については不明[南祖坊を諸江卿の子息とする伝えもある]/大正15年[1926]の『郷社七崎神社誌』では「坂上田村麻呂将軍が当地に来たことは史実」としているが、田村将軍の研究を踏まえると「史実」というのは難しい)
  • 空海ご入定(承和2年[835]3月21日/延喜21年[921]に大師号下賜)
  • 鏡宥上人(貞観10年[868]11月24日ご遷化)
  • 日照上人(仁和3年[887]7月23日ご遷化)
  • 空海に大師号「弘法大師」下賜(延喜21年[921]10月21日/醍醐天皇より)
  • 宥海上人(寛治5年[1091]5月25日ご遷化)
  • 覚鑁入寂(康治2年[1143]12月12日/49年の生涯/元禄3年[1690]に大師号下賜)
  • 開基・行海上人(承安元年[1171]5月に開基/過去帳に「當寺中興」と記載/位牌では表に「開山」、裏に「開基」と記載/全国行脚の後に当地に立ち寄り、村の沼の大蛇を解脱に導き、村人に懇願されて当地に留まられたと伝えられる/旧・観音堂[寺号・徳楽寺、現在の七崎神社の地にあった]の地に、七つ星になぞらえて杉を植えたとされる/建仁年間[1201〜1203]に99歳でご遷化)
  • 行惠上人(寛元2年[1244]1月26日ご遷化/修円房/当中5世)
  • 『三国伝記』(応永14年[1407]成立/沙弥玄棟/説話集/十和田湖伝説が収録/全360話中120話が日本の説話で、そのうち1割もが『長谷寺験記』関係という特徴がある)
  • 宥漸上人(応仁元年[1467]8月26日ご遷化/当山22世/秀満房)
  • 惠海上人(元和3年[1617]5月19日ご遷化/五輪塔が旧・三戸永福寺[嶺松院(明治に廃寺)]の地に現存/本坊盛岡永福寺30世)
  • 仁王門造営(寛永2[1625])
  • 弘法大師800年御遠忌(寛永11年[1634])
  • 興教大師500年御遠忌(寛永19年[1642])
  • 『雑書』(確認されているのは寛永21年[1644]3月14日〜天保11年[1840]末【欠落箇所アリ】)
  • 『寺社記録』(寛永21年[1644]〜天保8年[1837]【欠落箇所アリ】)
  • 本七崎観音(明暦元年[1655])
  • 観音堂並十二末社再興(観音堂3間四方/棟札は明暦2年[1656]に宥鏡上人が作成)
  • 吊灯籠(寛文10年[1670])
  • 弘法大師850年御遠忌(貞享元年[1684])
  • 興教大師550年御遠忌(元禄5年[1692])
  • 現七崎観音(貞享4年[1687]/4間四方の観音堂が再建[棟札が神社にアリ]
  • 覚鑁に大師号「興教大師」下賜(元禄3年[1690]12月26日/東山天皇より)
  • 観音堂並小宮葺替(元禄6年[1693])
  • 『系縁集』(元禄11年[1698]、編者・藤根吉品[重信・行信・信恩3代に右筆として仕える])
  • 『来歴集』(元禄12年[1699]、編者・藤根吉品[重信・行信・信恩3代に右筆として仕える])
  • 殺生禁断札設置(正徳2年[1712]/南部利幹公)
  • 仁王門改造(享保2年[1717])
  • 仁王像(享保3年[1718])
  • 前机(享保9年[1724])
  • 稲荷大明神造営(享保12[1727])
  • 快傳上人逆修建立の墓石(享保14年[1729]、施主信敬とある)
  • 『津軽一統志』(享保16年[1731])
  • 寺屋敷(庫裡)(享保18[1733]/この時に観音山[現在の七崎神社境内]に2000本余の杉を植樹と記載アリ)
  • 弘法大師900年御遠忌(享保19年[1734])
  • 興教大師600年御遠忌(寛保2年[1742])
  • 学秀仏・千手観音坐像(享保年間奉納と推定/学秀仏と思われる不動明王像と大黒天像アリ)
  • 龜峯扁額(享保頃の可能性/落款が「龜峯」「主忠信」「不爾」)
  • 南祖法師尊像(延享元年〜2年[1744〜45]と推定)
  • 賽銭箱(寛保3年[1743]12月)
  • 『奥州南部糠部巡礼次第』(寛保3年[1743]6月3日〜18日の15泊16日で則誉守西上人ら14名が巡礼)
  • 『祐清私記』(著者・伊藤祐清は寛保元年[1741]に諸士系図武器右筆等諸用掛りについており、この際に収集した諸資料や記録をもとに編集したと見られている)
  • 『寛延盛岡城下図』(寛延年間[1748〜51]/本坊・盛岡永福寺ほか関係寺院が記載されている)
  • 御輿再修覆(宝暦6年[1756]/神社誌にも記載されるが棟札は当山所蔵
  • 鳥居新築(宝暦10年[1760]春)
  • 『御領分社堂』(宝暦10年[1760]頃)
  • 愛染堂再興(宝暦13年[1763])
  • 不動堂再興(宝暦13年[1763])
  • 天照皇大神宮再興(宝暦13年[1763])
  • 大黒天堂造営(宝暦13年[1763])
  • 仁王門修造(宝暦13年[1763]3月)
  • 御輿新造(明和2年[1765]3月)
  • 『平泉雑記』(安永2年[1773]/南祖坊が植えた姥杉の伝説)
  • 夫婦地蔵(安永3年[1774])
  • 弘法大師950年御遠忌(天明4年[1784])
  • 『いわてのやま』(天明8年[1788]/菅江真澄の紀行文/十和田湖伝説関連)
  • “十和田の本地”(天明期[1781〜89]には南部藩領で語られた奥浄瑠璃/諸本多し)
  • 鈸(寛政2年[1790]/宥慎上人により奉納)
  • 興教大師650年御遠忌(寛政4年[1792])
  • 荒神堂再建(寛政5年[1793]8月6日)
  • 『邦内郷村志』(明和・寛政年間/大巻秀詮)
  • 地蔵菩薩(享和2年[1802]/現在、位牌堂本尊)
  • 『十曲湖』(文化7年[1807]/菅江真澄の紀行文/十和田湖伝説関連)
  • 『篤焉家訓』(文化・天保年間[1804〜44]/市原篤焉)
  • 鐘楼堂再建(文化5年[1808]/神社誌にも記載されるが棟札は当山所蔵
  • 愛染明王(文化7年[1810]/宥瑗上人により奉納)
  • 本堂再建(文化8年[1811])
  • 千手観音堂再建(本堂再建と同時期)
  • 香炉(本堂再建と同時期/宥瑗上人により奉納)
  • 観音堂扁額(文化14年[1817]/三井親孝の書)
  • 『竹田加良久里』(文政6年[1823]/持仏堂主人)
  • 『当時十和田参詣道中八戸よりの大がひ』(文政年間のものと見られている/十和田湖参詣道について)
  • 『十和田記 全』(文政12年[1829]成立と見られている/「御縁起見る心得のケ条覺」に彼岸中日に青龍大権現[南祖坊]来臨のいわれに触れられている)
  • 秋葉権現堂再建(天保4年[1833])
  • 『盛岡砂子』(天保4年[1833]/星川正甫)
  • 弘法大師1000年御遠忌(天保5年[1834])
  • 吊灯篭(天保8[1837]/宥威上人により奉納)
  • 不動尊祈祷札(吊灯籠と同時期と推定/権僧正とあるため瑜伽者は晩年の宥威上人)
  • 鰐口(天保12[1841]/河内屋により奉納)
  • 興教大師700年御遠忌(天保13年[1842])
  • 八体仏(弘化年間[1845〜48])
  • 稲荷大明神(嘉永2年[1849]/普賢院宥青[当山先師]、善明院栄隆[修験“善行院”14代])
  • 『鹿角日誌』(嘉永2年[1849]7月16日〜8月3日の日誌/松浦武四郎)
  • 『八戸浦之図』(嘉永年間[1848〜1855])
  • 一王子再建(安政4年[1857]8月)
  • 『十和田山神教記』(万延元年[1860])
  • 観音堂再修(安政10年[1863])
  • 七崎観音遷座(明治2年[1869]/旧観音堂より仏像・什器など一式が移される/しかし、旧地への参詣者が見られたため旧地へ小堂を作り旧神宦神殿へ再遷座[『伺』の記述内容と僧侶としての知見から、再遷座されたのは現七崎観音と思われる])
  • 斗南藩縁故者墓石16基(主に明治4〜5年[1871〜72])
  • 旧神臣略系(明治7年[1874])
  • 七崎観音遷座(明治9年[1876]12月/明治2年に旧地へ再遷座した七崎観音を普賢院へ再々遷座/移されたのはおそらく現七崎観音)
  • 『伺』(明治10年[1877]/青森県令 山田秀典にあてたもの/文化6年(1809)奉納された梵鐘に関する伺い/明治初期における七崎観音遷座の経緯について述べられている)
  • 『新撰陸奥国誌』(明治9年[1876])
  • 『奥々風土記』(江刺恒久が南部利剛の命により編纂)
  • 弘法大師1050年御遠忌(明治17年[1884])
  • 観音堂内御堂造立(明治19年[1886])
  • 興教大師750年御遠忌(明治25年[1892])
  • 興隆講規則(明治34年[1901]/観音講を組織化して再興)
  • 『目録』(明治36年[1903]/明治になり旧観音堂から移されたものをまとめたもの)
  • 十三仏掛軸木箱の蓋(明治39年[1906])
  • 本堂屋根葺替(大正3年[1914]12月)
  • 七崎山龍神堂木札(大正4年[1915]5月)
  • 『郷社七崎神社誌』(大正6年[1917]/小泉幸雄)
  • 『糠部五郡小史 附 三戸名所旧蹟考 埋木の花 鄙の土』(大正11年[1922]/当地については小泉幸雄氏が記述している)
  • 地蔵菩薩(明治末〜大正期/一時当山の代務者をつとめた赤穂覚信師が作仏)
  • 北沼観音(昭和2年[1927]蓮沼にて発見、昭和4年[1929]旧8月17日建立)
  • 観音堂並仁王門改築(昭和6年[1931]/『七崎観世音道場普請報告書』に記載)
  • 子安地蔵堂(昭和6年[1931])
  • 『十和田湖鳥瞰図』(昭和8年[1933]/吉田初三郎/七崎観音と永福寺[普賢院]が描かれている)
  • 弘法大師1100年御遠忌(昭和9年[1934])
  • 本堂庫裡修繕(昭和9年[1934]/長峻和尚尊霊歎徳文に記載)
  • 大日坊大黒天(昭和10年[1935]頃と推定/61世長峻上人は昭和10年に大日坊88世住職にも就任)
  • 割切五條袈裟(昭和11年[1936]11月/長峻子息・晃雄師[後に出征し戦死])
  • 興教大師800年御遠忌(昭和17年[1942])
  • 戦勝祈願札3枚(戦争期)
  • 本堂屋根葺替(昭和22年[1947]12月/戦後の統制経済の様子を伝える記述がある)
  • 「北ノシノキ」と書かれた木板(昭和22年[1947]12月12日/3名の名が列記)
  • 『永福寺物語』(昭和22年[1947]/山岸郷友会編集部/江戸期まで本坊であった盛岡永福寺は明治になり廃寺。その後、昭和17年[1942]に再興が許可。本誌は再興永福寺の落慶記念。)
  • 本堂修築(昭和26年[1951]/写真アリ)
  • 戦没者慰霊碑(昭和37年[1962]11月)
  • 北沼観音を八太郎から普賢院に遷座(昭和39年[1964])
  • 本堂改築並位牌堂新築(昭和51年[1975])
  • 観音堂宮殿塗装修復(昭和56年[1981])
  • 弘法大師1150年御遠忌(昭和59年[1984])
  • 子安地蔵厨子(昭和59年[1984])
  • 仁王門新造並山号札・観音札所札(昭和59年[1984])
  • 観音堂内陣格天井並中台八葉院法曼荼羅及新装照明(昭和60年[1985])
  • 聖観音像奉納(昭和60年[1985]1月24日/施主 中村元吉・ミチ夫妻/内殿に安置)
  • 子安地蔵内格天井(昭和60年[1985])
  • 観音堂内格子前扉(昭和61年[1986])
  • 鐘楼堂建立(平成2年[1990])
  • 興教大師850年御遠忌(平成4年[1992])
  • 本尊厨子(平成5年[1993])
  • 客殿並位牌堂新築(平成12年[2000])
  • 鐘楼堂修繕(平成25年[2013])
  • 十和田神社・普賢院合同祈祷(令和元年12月9日/南祖法師尊像出開帳/十和田湖占場にて取水し、浄水を合同祈祷にてお加持)
  • 長谷寺式十一面観音三尊造立(令和2年[2020]/仏師・小堀寛治氏)
  • 普賢院中興64世 泰永大和尚遷化(令和3年9月8日/生前中自身の手による仏具・仏画を多く残したうえ、修繕も多く行っている)
  • 絵本『龍になったおしょうさま』制作(かたり部によるプロジェクト/令和3年8月〜10月クラウドファンディング実施、12月完成)
  • 大般若経全600巻新調(令和3年/文化7年の火災により焼失したとされるため、本堂建替にあたり新調)
  • 本堂建替(令和2年10月解体、令和3年5月19日地鎮式、7〜9月基礎工事、同年11月建方開始、11月9日立柱式、令和4年3月6日上棟式、12月12日落慶式/施工・松本工務店)
  • 本尊・愛染明王像、仁王像、普賢菩薩像、本七崎観音像修繕、ほか仏具修繕(令和2年秋彼岸後に搬出/施工・阿部正助商店)
  • 須弥壇・密壇・護摩壇ほか修繕、観音堂賽銭箱ほか制作(施工・五戸木工)
  • 龍王・龍女像制作・奉安(令和4年/施主・普賢院弟子太陽坊/仏師・小堀寛治氏)
  • 十和田湖青龍大権現碑建立(令和4年/施主・根城番地石材店)
  • 会津斗南藩供養所整備(令和4年)
  • 合葬墓建立(令和4年)

 

令和4年おこもりのご案内

令和4年2月17日は

旧暦1月17日大安にあたり

この日に

秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)を

ご開帳して

法要が行われます。

 

この行事は

「おこもり」とよばれます。

 

令和2年までは

午後8時より護摩を行っていましたが

仮本堂では消防法の関係で

護摩を修法できないため

昨年同様

別形式でご祈祷の法要を

行います。

 

当日の流れは次のようになります。

 

どなた様でも

ご参列いただけるので

年に1度の行事を

ぜひご一緒下さい。

 

おこもりの流れ

◆仮本堂にて受付(午後7時〜)

お布施、加持物(かじもつ)をお預かりします。

  • 法要中、祈願者名を読み上げますので、読み上げてほしいお名前はお布施の袋にお書きいただくか、別紙ご持参下さい(読みがなを振っていただけると有り難いです)。
  • 読み上げの名簿を作成する都合上、時間にゆとりをもって来ていただけると助かります。また、前日までに受付を済ませて頂いても構いません。メールでも受付いたします。
  • 護摩の時は、加持物(かじもつ)を護摩の煙にあててお加持していましたが、今回はご宝前に設えてお加持いたします。加持物ですが、例えば愛用の服、メガネ、ノート、シャーペンなど、皆様ゆかりの物を風呂敷に包むか、カバンに入れてお持ち下さい。

◆法要(午後8時〜)

法要の中で、祈願者名を読み上げます。ご自身のお名前、あるいは有縁の方のお名前が読み上げられた際は、心願成就を願い、柏手(かしわで)を2度お打ちください(2拍手)。

◆ウイルス対策のため、本年も後席はありません。

◆数に限りがありますが、御護符(おごふ)として落雁(らくがん)をお渡しします。

◆法要後、授与品(お守、お札など)をお授けする授与所を用意するので、入用の方は、そちらでお求め下さい。

 

皆様のご参加

心よりお待ちしております。

 

 

▼令和3年の様子(仮本堂にて厳修)

 

▼令和2年の様子(旧本堂にて厳修)

 

絵本づくりCFの記事が掲載されました

今朝の地元紙・デーリー東北に

クラウドファンディング(CF)で

作成した絵本について掲載されました。

 

今回掲載していただいた記事は

デーリー東北の田村純也さんが

昨年末に取材下さったものをもとに

書いて下さったものです。

 

田村さんは

昨年年頭にデーリー東北に

寄稿させていただいた

新春随想の記事でも

お世話になった記者さんです。

 

昨年末の除夜の鐘リレーにも

極寒の中

ご一緒下さいました。

 

そんな記者さんがつづられた記事は

とても素敵なものだなと感じました。

 

さて

暗中模索状態で

紆余曲折ありながらも

多くのご支援者の温かな

お支えのおかげで

絵本づくりCFは

目標を達成することが出来ました。

 

思った以上に反響が大きく

CF終了後も

絵本へのお問い合わせが

多く寄せられております。

 

完成した絵本

『龍になったおしょうさま』は

ご支援者にお渡しする分と

教育機関等へ寄贈する分のみ

製本いたしました。

 

朝刊の記事をご覧になられて

お問い合わせを

多数いただいたのですが

お譲り出来る在庫は

全くない状態です。

 

ただ思った以上に

お問い合わせが

多かったため

増刷CFも含めて

対応を検討したいと思います。

 

単に増刷して

お代と引き換えに

お譲りする形となると

収益事業となってしまうため

増刷するとすれば

CFへのご支援者を

改めて募らせていただき

製本するという運びになると思います。

 

今後の対応については

決まり次第

お知らせいたします。

 

十和田神社との合同祈祷の様子を再編集しました

2年前(令和元年)の12月9日に

十和田神社社殿に

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)を

出開帳して奉修した

十和田神社・普賢院合同祈祷の

動画を再編集してアップしました。

 

この行事は

本堂建替にあたる地鎮式で

用いる「お水」を

ご祈祷するために

行わせていただきました。

 

普賢院は

十和田湖龍神伝説ゆかりのお寺です。

 

当山で修行した

南祖法師(坊)が

全国の霊山霊跡を巡った果てに

十和田湖の龍神・青龍権現に

なったと伝えられます。

 

この物語は

十和田湖伝説として

様々に語られ

親しまれてまいりました。

 

そのようなご縁があり

十和田湖は普賢院にとって

意義深い場所です。

 

本堂建替という

歴史的大事業にあたり

十和田湖の占場(うらないば)

という場所で取水させていただき

そのお水を十和田神社の宮司さんと

一緒にご祈祷させていただき

そのお水は

本年5月に行われた

地鎮式にて地に

納めさせていただきました。

 

十和田神社での合同祈祷は

とても貴重な機会だったので

きちんとした記録として

残したいという思いもあって

再編集してアップいたしました。

 

ご覧いただけると幸いです。

 

絵本づくりCFへのご支援ありがとうございました

郷土の誇る伝説を未来に語り継ぎたい

という思いで取り組ませていただいた

絵本づくりクラウドファンディング(CF)。

 

最終集計は

次の通りとなります。

 

ご支援者数 196名

ご支援額 1,285,500円

 

多くの方に

ご一緒いただいたおかげで

結果的に目標額以上の

ご支援額が寄せられました。

 

ご支援下さった皆様に

心より感謝申し上げます。

 

絵本等は年内のお届けとなりますので

ご支援者の皆様

もうしばらくお待ちくださいませ。

 

絵本づくりCFご支援額が目標額の8割を突破しました

現在進めている

絵本づくりクラウドファンディング(CF)

は多くの方の善意のおかげで

支援金が目標額の80%を超え

支援者も80人に至りました。

 

多くの方に

ご協力いただけることに対し

心より感謝しております。

 

支援額が

目標額を超えると

国際協力活動への寄付が

一層充実したものとなります。

 

普賢院では

これまでも自利利他を大切な理念として

様々な取り組みをしてまいりました。

 

その理念を

絵本づくりCFも

踏まえさせていただいております。

 

具体的にいうと

浄財の一部が

国際協力活動への寄付に

あてられます。

 

この点が

CFの大手サイトの規約において

認められなかったため

独自でCFを実施することになりました。

 

紆余曲折

試行錯誤しながら

今日に至っていますが

温かなご支援に支えられ

何とかゴールが見えてまいりました。

 

多くの方と一緒に

思いを込めたものを形作りたいと

思いますので

当プロジェクトに

ご協力いただける方は

ご支援のほど

何卒よろしくお願いいたします。

 

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絵本づくりクラウドファンディング詳細

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絵本づくりの記事が東奥日報に掲載されました

昨日(10/8)の東奥日報朝刊に

絵本づくりクラウドファンディング(CF)

の記事が掲載されました。

 

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絵本づくりクラウドファンディングの詳細

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記事をご覧になられて

お電話下さる方もいらっしゃり

大変ありがたく感じています。

 

コロナ禍になり

寺子屋活動の一部が

休止なっているため

しばらくお会い出来なかった方が

今回の記事を契機に

久しぶりにおいで下さり

絵本づくりご支援に

お申し込み下さるといった

ことがありました。

 

とても感動しまして

元気をいただいたように思います。

 

ご期待をお寄せ下さる

有縁の方も多いので

そのご期待に

必ずや応えようとの思いを

一層強くした次第です。

 

ご支援額は目標金額の

約60%程となっています。

 

絵本づくりCFは

今月30日まで

ご支援いただける方を

募集しております。

 

当プロジェクトに

ご賛同いただける方

ご協力いただける方は

ぜひとも

お力添えの程

よろしくお願いいたします。

 

住職任命の辞令を拝受しました

本日は

故・泰永僧正の72歳の

誕生日でした。

 

ということで

本日は家族でケーキを

いただきました。

 

不思議な巡り合わせで

泰永僧正の誕生日である本日

住職任命の辞令が

当山に届けられました。

 

拙僧泰峻は

令和3年10月1日づけで

寳照山普賢院

第65世住職の任に

つかせていただいたことを

ここにご報告申し上げます。

 

1200年もの歴史がある当山を

現在に至るまで

護持されてきた

歴代の先師様方の志を受け継ぎ

住職として至心に勤めさせいただく

所存ですので

今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

絵本づくりCFへのご協力をお願いします

現在ご支援を募らせていただいている

絵本づくりクラウドファンディング(CF)は

支援総額が目標額の

50%を突破いたしました。

 

ご支援下さった皆様には

本当に感謝いたします。

 

ご支援下さった方には

絵本に加え

支援額に応じた

お札もお届けいたします。

 

絵本が製本されましたら

ご支援者に授与されるお札と一緒に

ご祈祷いたします。

 

ご祈祷した後に

ご支援者のお手元に

絵本と返礼品が発送されます。

 

普賢院には

絵本の主人公である

南祖法師(なんそほっし)の御像が

お祀りされています。

 

ご祈祷の際は

その御像を仮本堂に安置し

その御宝前にて

法要を執り行わせていただきます。

 

ご支援者のご芳名は

絵本巻末に掲載させていただくのですが

法要でもご支援者のご芳名を

読み上げさせていただきたいと思います。

 

なお法要の様子は

動画にしてYouTubeにアップする予定です。

 

ご支援は

本年(令和3年)10月30日まで

受付けさせていただきます。

 

詳細は下記ページを

ご参照下さいませ。

絵本づくりクラウドファンディングの詳細

 

多くの方とご一緒に

形に出来ればと願っております。

 

ご協力いただける方は

お力添えの程

何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

▼毎日新聞の記事(10/3)

 

▼南祖法師尊像