現代の語り部を訪ねて

研究調査の一環で

十和田湖にて

ガイドをされていらっしゃる

十和田湖自然ガイドクラブ

皆様にお話をお伺いして参りました。

 

研究調査は

十和田湖伝説についてのものです。

 

当山は十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)が

修行されたと伝えられるお寺でして

そのご縁で十和田湖伝説について

調査をしております。

 

十和田湖自然ガイドクラブの皆様は

十和田湖の自然や動植物や歴史や伝説を

観光に訪れた方々へお伝えする

まさに“現代の語り部”です。

 

ガイドクラブの設立の経緯や

どのような形で

様々お伝えしているのかを

取材させて頂く中で

貴重な「昔話」や

看過してはならない

社会的事情や課題についても

聞かせて頂きました。

 

まだまだお聞きしたいことが

多々ありましたが

とても充実した時間となりました。

 

午後1時前に取材を終えた頃

外は雪が舞っておりました。

 

取材前日に

冬用タイヤから夏用タイヤに

はきかえたばかりだったので

帰路はある意味“スリル満点”で

恐る恐る車を走らせました。

 

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小川原湖伝説と十和田湖伝説

しじみで有名な

青森県の小川原湖(おがわらこ)。

 

その小川原湖と隣接して

姉沼(あねぬま)という大きな湖があります。

 

この姉沼と小川原湖には

姉妹の伝説が伝わります。

 

姉の玉依姫と妹の勝世姫。

 

姉妹は行方不明の父を探し

諸国を巡りこの地へ

たどり着きます。

 

そして父がすでに亡くなっていることを知り

姉妹は湖に身を沈めます。

 

姉の玉依姫が身を沈めた湖が姉沼

妹の勝世姫が身を沈めた湖が小川原湖(妹沼)。

 

その父は沼崎観音として

お祀りされております。

 

姉妹もそれぞれが

お祀りされる神社があります。

 

この小川原湖伝説は

姉妹の名称は異なりますが

十和田記(とわだき)という

十和田湖伝説が記された

文書にも登場します。

 

かなり前ですが

青森県史編纂グループの方より

頂いたお手紙の中に

江戸時代の「十和田信仰」の拠点は

当山と東北町の新舘(にいだて)神社

であることが解ってきたとの

ご報告がございました。

 

十和田湖への参詣路の

五戸口と七戸口の起点として

当山と新舘神社が重要な位置を

占めていたようです。

 

さらに新舘神社の「別当住職」は

江戸時代初めに七崎の禰宜(ねぎ)が

移転したものという由緒書が

確認されたそうです。

 

七崎(ならさき)とは

当山の地域のかつての呼び名です。

 

専門的なことも含め

様々踏まえて伝説と向き合うと

これまでは語らてこなかったものにも

多く言及することが出来そうです。

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根城南部氏の祈願寺 東善寺

八戸市博物館に隣接する

八戸史跡根城(ねじょう)の広場に

東善寺跡(とうぜんじあと)という

場所があります。

 

東善寺は真言宗のお寺で

根城南部氏が遠野へ移るにあたり

東善寺も遠野へ改められました。

 

当山と同じように

東善寺は南部氏の

祈願寺・祈願所という

位置づけのお寺でした。

 

根城の広場の東善寺跡には

墓地もあり

その中には僧侶の墓石も

並んでおります。

 

墓石には「豊山寺(ぶざんじ)」

という寺院名が見られます。

 

この豊山寺というお寺は

廃寺になってしまいましたが

八戸藩の祈願寺であった

真言宗のお寺です。

 

東善寺と豊山寺の両寺院は

深く関係するお寺です。

 

根城から見ると東善寺の位置は

鬼門である東北に位置します。

 

また当山と同じように

東善寺は小高い場所に建立され

そこからは広く景色を

見渡すことが出来ます。

 

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田舎本寺の永福寺

最近は当山にまつわる

歴史や伝説について

ご興味をお持ちの方が多いようです。

 

これまであまり

専門的にお伝えしたことは

ありませんでしたが

永福寺の歴史について

少しだけ専門的な見地から

ご紹介いたします。

 

当山の前身である永福寺は

江戸期には盛岡南部領において

田舎本寺(いなかほんじ)

触頭(ふれがしら)

という立場のお寺でした。

 

田舎本寺(いなかほんじ)とは

「地方の中核寺院」の意で

僧侶が修行・勉学を行う

談林(だんりん)という

大学のような養成機関も

兼ねておりました。

 

盛岡にて火災にあった後

「所化寮(しょけりょう)を再建した」

という記述が見られます。

 

所化(しょけ)とは

ご指南頂く者

修行する者

学生などの意味です。

 

要するに永福寺には

修行僧寮・学生寮があったことを

意味します。

 

触頭(ふれがしら)とは

幕府よりのお触れや法令を

伝達する役所を意味し

合議制で役割を遂行します。

 

かつての寺格や本末関係が

記された文書を見ると

永福寺は盛岡五山という

“盛岡藩首都”における

主要な5つのお寺の筆頭であり

永福寺の末寺などの

関係寺院として多くのお寺が

列記されております。

 

永福寺とは別に

真言宗七箇寺として

朝日山 法明院

南池山 大荘厳院

蓮(台)山 長谷寺

走湯山 高水寺

池峰山 新山寺

高野山 中台院

宝幡山 覚善院

という7つのお寺が列記されますが

これらのお寺より

七崎(現在の普賢院)へ

おいでになられた和尚様も

いらっしゃいます。

 

永福寺の住職は

相応の方が選抜されたようで

関東からいらっしゃったり

京都からいらっしゃったりと

いったことがありました。

 

これまでは「定説」として

永福寺は七崎から三戸に移り

三戸から盛岡に移った

という説明をしてきましたが

最近はこの言い回しは

適切でないように感じております。

 

この推移は南部氏の築城に

ともなった歴史からの言い回しであり

現地の視点ではないゆえです。

 

事実として

七崎と三戸には

盛岡永福寺が新築された後も

「永福寺」が存続し

盛岡永福寺の住職が

「七崎永福寺」(普賢院)の

住職も兼ねていることが

当山の過去帳に記されております。

 

「三戸永福寺」(嶺松院)の

過去帳はないのですが

その跡地には

盛岡永福寺の住職の墓石が

あることから

当山と同じ状況である

可能性が高いと思われます。

 

当山は

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

という現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

の別当寺でもありました。

 

寺伝によると当山の住職である

行海(ぎょうかい)大和尚が

徳楽寺(七崎神社)の地が

修行の霊地として適した

聖地であるとして

北斗七星の形になぞらえ

杉を植えたとされます。

 

高くそびえ

町のシンボルツリーでもある

天然記念物の大杉3本が

その杉であると言われます。

 

樹齢が800〜1000年とされますが

行海大和尚は平安末期の方なので

伝説に真実味を感じます。

 

この徳楽寺は

当山から南方に位置しますが

南方は観音様を象徴する方角です。

 

様々な尊格(そんかく)には

象徴する方角やみ教えがありますが

これらを諸堂配置に応用することで

伽藍(がらん)そのものを以て

曼荼羅(まんだら)を

表していると考えられます。

 

徳楽寺(七崎神社)周辺には

修験者(しゅげんしゃ)が

各坊を構えており

一般参詣者の案内役である

先達(せんだつ)という役や

世話係などを担って

いらっしゃいました。

 

当山は徳楽寺の別当ではありますが

七崎修験(ならさきしゅげん)を

統括してはおりません。

 

七崎修験を統括していたのは

記録によると戸来(へらい)の

多聞院(たもんいん)とされます。

 

この多聞院は

聖護院門跡の奉書を拝受し

五戸 正年行事(しょうねんぎょうじ)

という修験の大役を担っており

その管轄地区はかなり広く

「支配末院六十八人有」と

修験本末の記録に記されます。

 

これらお寺や修験の本末関係は

殊に江戸時代に厳格となり

「社会体制」に組み込まれました。

 

盛岡永福寺には

1万坪もの土地があったそうですが

江戸時代が終わり

明治時代が始まって間もなく

盛岡永福寺は東坊と墓地のみ残し

没収されることとなります。

 

ある資料によると

この東坊は普賢院とされております。

 

永福寺六供坊(ろっくぼう)の

一寺院として当山も

盛岡にお堂が用意され

出仕していたのかもしれません。

 

まだまだご紹介したいことが

あるのですが

またの機会とさせて頂きます。

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静かに留めるかつての景観

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上のスケッチは明治期の

『新撰陸奥国誌(しんせんむつこくし)』

という書物に掲載されている

現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

その周辺のものです。

 

七崎神社は明治まで

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

というお寺で

現在当山にお祀りされる

糠部三十三観音第15番札所の

観音様が本尊でした。

 

当山はその徳楽寺の別当です。

 

『新撰陸奥国誌』記載の

スケッチに描かれる様子と

現在の様子を実際に比べてみます。

 

スケッチには

天然記念物となっている大杉は

描かれておらず

境内全貌や周辺のお堂が

際立つようなタッチになっております。

 

現在もスケッチ当時の風景が

静かに留められております。

 

七崎神社の境内の

諸堂配置を見ても

スケッチ当時そのままです。

 

ちなみにですが

当山には徳楽寺のものも含め

棟札(むなふだ)が

約30点も残っており

古い歴史を今に伝える

とても貴重なものです。

 

近い将来

当山では本堂を建替える予定なので

今一度歴史について

整理したいと考えております。

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南祖坊生誕の地で

3/9は南部町の剣吉公民館に

お招きされ

講演会の講師を

務めさせて頂きました。

 

内容はお任せします

とのことでしたので

三戸と七崎(当山近辺の古称)が

ゆかりあることを中心に

脱線を繰り返しながら

講演させて頂きました。

 

永福寺について

七崎神社について

観音さまについて

南部氏について

南祖坊について

八郎について

ご供養について

お墓についてなどなど

皆様のご質問を頂戴しながら

話に温かく花を咲かせて頂きました。

 

今回の講演会は豊崎出身で

南部町にお住まいの

浜渡博光さんに

お声がけ頂いて実現したものです。

 

浜渡さんは南部町で

様々な取り組みをされていらっしゃいます。

 

おかげさまで

とても和やかで有意義な

時間を過ごさせて頂きました。

 

会場であった剣吉公民館まで

思った以上に近いもので

当山から車で約20分です。

 

そのすぐ近くに

十和田湖伝説に

登場する南祖坊(なんそのぼう)

生誕の地とされる

斗賀神社がございます。

 

社殿の裏手には

斜面沿いに参詣道があり

しばらく登ると

十和田神社があり

伝説を今に伝えております。

 

剣吉公民館に赴く際に

折角なのでと

講演前にお参りさせて頂きました。

 

南祖坊伝説では

斗賀神社で南祖坊が生まれ

永福寺に弟子入りしたとされます。

 

南部町には

法光寺や長谷寺はじめ

霊験あらたかな寺社が

多くある地域です。

 

ちなみに当山61世住職であり

拙僧(副住職)の曽祖父

長峻(ちょうしゅん)大和尚は

長谷寺恵光院の住職を

兼任しております。

 

伝説でも歴史でも

非常にご縁のある

南部町にて講演させて頂いたことを

とても嬉しく思います。

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豊崎郷土かるたを頂きました

豊崎小学校創立140周年に向け

小学校の皆さんが

3年もの月日をかけ

調査、製作に取り組まれた

豊崎郷土かるた

有難くも頂戴いたしました。

 

以前、お寺の歴史や伝説について

小学校でお話したご縁もあり

豊崎郷土かるたの完成は

嬉しく思いますとともに

取り組みを全うされた

小学校の皆さんを

心より誇りに思います。

 

地域の伝承、自然、文化などを

五十音それぞれを初音として

七五調でしたためられた

文字札の一枚一枚からは

一生懸命に地域について

調べられた熱意が

伝わってまいります。

 

文字札に対応した絵札に

描かれる水彩画は

生徒の皆さんが

描かれたもので

言葉以上に“雄弁”で

かつ温かさを感じます。

 

これは「地域の宝」です。

 

豊崎郷土かるたを通じ

地域のことが

後世にも温かく

継承されていくことでしょう。

 

文字札、絵札を

一覧にまとめた資料を

頂きましたので

堂内各所に掲示させて頂きます。

 

当山にお立ち寄りの際は

素敵なかるたを

是非ともご覧下さいませ。

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▼当山に関連するものをご紹介いたします。

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3/8十和田湖伝説についてお話します

3/8十和田市の午後1時より

市民交流プラザ トワーレにて

開催されるセミナー

よみがえれ!霊山十和田

最古の「十和田湖伝説」を語る

に当山副住職もお声がけ頂きまして

仏教の視点から伝説について

お話してまいります。

 

お話するといっても

拙僧(副住職)は30分程の持ち時間

なので多くを語ることは

出来ませんが

“真言行者”ならではの視点から

お話をさせて頂きます。

 

詳細につきましては

拙僧(副住職)自身

あまり把握出来てないのですが

予約不要だそうなので

ご都合のよろしい方は

お運び頂ければと思います。

 

日程:平成30年3月8日

時間:13時〜15時

会場:トワーレ(十和田市)

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お寺の位置を俯瞰する

今の場所にお寺を建てる際

どのように場所を定め

どのように設計をし

どのように木材を運び込み

どのように組み立てたのか等々

思いをめぐらせることがあります。

 

方角や位置にも

曼荼羅(まんだら)や風水の

思想が踏まえられることが

伝統的に多く見られますが

当山の場合もどうなのか等々

想像することがあります。

 

当山の起源は古く

約1200年もの歴史が伝えられますが

不明な部分が多く

その分ロマンがあるともいえます。

 

そもそも古くは

「言い伝え」が主流だそうです。

 

何度かの火災により

文書等多く焼失してはおりますが

お堂の位置や町のつくりから

“歴史的なもの”を感じます。

 

当山から真東にのびる道や

西、北、東と平野部を一望出来る

見晴らしの良い場所にあること等に

仏道的な意味も含めて

“意図”が感じられます。

永福寺町内

普賢院の位置と世話人担当地区

火伏せの龍

寺社仏閣には

龍の像や絵が掲げられることが

多くございます。

 

様々な意味があるのですが

龍は水神でもあることから

1つには「火伏せ」の願いが

託されております。

 

当山にも境内や堂内に

躍動的な龍が祀られております。

 

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