内観の聖者 興教大師覚鑁

真言宗豊山派(ぶざんは)では

弘法大師(こうぼうだいし)

空海(くうかい)上人

興教大師(こうぎょうだいし)

覚鑁(かくばん)上人

「両祖大師」として

お祀りされます。

 

当山本堂では

内陣の須弥壇に向かって

左方奥にお祀りされております。

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弘法大師を宗祖(しゅうそ)

興教大師を中興祖(ちゅうこうそ)

と尊称します。

 

お二方とも

平安時代の方です。

 

12/12は

興教大師のご命日です。

 

平成最後の12/12は

雪の舞う1日となりました。

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興教大師は

“内観の聖者”ともよばれます。

 

興教大師の著された

『密厳院発露懺悔の文』

(みつごんいんほっろさんげのもん)

という文書が

豊山派の常用経典という

大切なお経が収録された経本にも

収められておりますが

そこには人の心の

本質を見つめられた

上人の思いが

詰め込まれているように感じます。

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密厳院発露懺悔の文

 

我等懺悔(さんげ)す

無始よりこのかた

妄想(もうぞう)に纏(まと)われて

衆罪(しゅざい)を造る

 

身口意業(しんくいごう)

常に顛倒(てんどう)して

誤って無量不善の業(ごう)を犯す

 

珍財を慳悋(けんりん)して

施を行ぜず

 

意(こころ)に任せて

放逸(ほういつ)にして戒を持せず

 

屢々(しばしば)忿恚(ふんに)

を起して忍辱(にんにく)ならず 

 

多く懈怠(げだい)を

生じて精進ならず

 

心意(しんに)散乱して坐禅せず

 

實相に違背して慧(え)を修せず

 

恒に是の如くの六度の行を退して

 

還って流転(るでん)三途の業を作る

 

名を比丘に假(か)って

伽藍(がらん)を穢し

 

形を沙門に比して信施を受く

 

受くる所の戒品(かいほん)な

忘れて持せず

 

学すべき律義は廃して好むこと無し

 

諸佛の厭悪(えんの)したもう

所を慚(は)じず

 

菩薩の苦悩する所を畏れず

 

遊戯笑語(ゆうげしょうご)して 

徒(いた)ずらに年を送り 

 

諂誑詐欺(てんのうさぎ)して

空しく日を過ぐ

 

善友(ぜんにゅう)に随わずして

癡人(ちにん)に親しみ 

 

善根(ぜんごん)を

勤めずして悪行を営む

 

利養を得んと欲して自徳を讃じ 

 

勝徳(しょうど)の者を見ては

嫉妬を懐く

 

卑賤(ひせん)の人を見ては

驕慢(きょうまん)を生じ 

 

富饒(ぶしょう)の所を

聞いては希望(けもう)を起す 

 

貧乏(ひんぼう)の類(るい)

聞いては常に厭離(おんり)す

 

故(ことさ)らに殺し

誤って殺す有情(うじょう)の命

 

顕(あら)わに取り

密かに盗る他人の財

 

触れても触れずしても

非凡行(ひぼんぎょう)を犯す

 

口四意(くしい)

三互(さんたがい)に相続し

 

佛を観念する時は

攀縁(へんねん)を発(おこ)し 

 

経を読誦する時は

文句を錯(あや)まる

 

若し善根を作(な)せば

有相(うそう)に住し 

 

還って

輪廻生死(りんねしょうじ)の

因と成る

 

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)

知ると知らざると

犯す所の是(かく)の如くの

無量の罪

 

今三寶に對して

皆発露(ほっろ)したてまつる

 

慈悲哀愍(じひあいみん)して

消除(しょうじょ)せしめたまえ

 
皆悉(ことごと)く

発露(ほっろ)し盡(ことごと)く

懺悔(さんげ)したてまつる

 

乃至(ないし)法界の

諸(もろもろ)の衆生

 

三業所作の是(かく)の如くの罪

 

我皆相代って盡(ことごと)く

懺悔(さんげ)したてまつる

 

更に亦(また)其の報いを

受けしめたまわざれ