三国伝記について③最古の十和田湖伝説のあらすじ

これまで

“最古の十和田湖伝説”とされる

『三国伝記』巻12第12話

「釈難蔵得不生不滅事」を見る

前段階として

『三国伝記』や撰者・玄棟(げんとう)に

伺える長谷信仰や

十一面観音信仰について

かなりザックリではありますが

触れてまいりました。

 

今回は

“最古の十和田湖伝説”の

あらすじを見てまいります。

 

以下、拙僧(副住職)の拙訳にて

大まかなエピソードを

ご紹介いたします。

 


「難蔵が入定するお話」

 

むかし

播州(現在の兵庫)の

書寫山(しょしゃざん)に

釈難蔵(仏弟子の難蔵の意)

という者がいました。

 

難蔵は法華経という

尊いお経を

とても大切にした

法華持経者であり

修行者でした。

 

即身における

弥勒出世値遇を誓い

読誦、回峰、参詣

怠ることなく

心して精進に

励みました。

 

難蔵が熊野にて

三年の山籠(さんろう)にのぞみます。

 

千日となる夜

御殿から翁が現れ

常陸と出羽の境にある

言両(ことわけ)山に

居住すれば

弥勒出生に値遇できると

告げられました。

 

お告げをうけ

言両山(ことわけやま)へ赴くと

その山は錦の如くに花に彩られ

藍の如くの円池があり

老巨木が生い茂り

奇岩や塊石がそびえる

まさに深山幽谷でした。

 

難蔵は

円池の端(はた)に

草庵をこしらえました。

 

草庵に住んで

法華経を読誦する様子は

まるで仙人の如くです。

 

毎日行われる

難蔵の読経を

18、9歳程の美女が

聴いていました。

 

難蔵は

不思議に思いながらも

日々を過ごしました。

 

ある時

その女性は難蔵に

自身が池の主の龍女であることを明かし

自身と夫婦になって欲しいと

告白します。

 

龍女は自身と夫婦となれば

龍の寿命である龍寿を得て

弥勒出世の値遇という

難蔵の願いも達成されると

難蔵に伝えます。

 

難蔵は

あれこれと深く悩みましたが

龍女と夫婦となることを

決意します。

 

ある時

龍女は難蔵に

八頭大蛇(やずだいじゃ)

のことを告げます。

 

龍女がいうには

この言両(ことわけ)山から

西に三里にある

奴可嶽(ぬかのたけ)の池に

八頭大蛇がいて

その八頭大蛇は

龍女を妻として

一月の上旬十五日間は奴可の池

下旬十五日間はこの池に

住むとのことです。

 

そしてもうじき

八頭大蛇がやって来るので

そのことを心得てほしいと

伝えられます。

 

龍女の言葉を聞き

難蔵は恐れる気配もなく

八巻の法華経を頭に戴くと

九頭龍(くずりゅう)になりました。

 

そして

例の八頭龍(大蛇)が

やって来きました。

 

八頭龍(大蛇)と九頭龍は

七日七夜「食い合い」ました。

 

激しい戦い(食い合い)の末

八頭龍は「食い負け」ます。

 

八頭龍(大蛇)は

大きな身を曳いて

円池(大海)に入ろうとすると

大きな松が生え出て

八頭龍の行方は阻まれました。

 

八頭龍(大蛇)は

威勢尽きて小身になり

本の奴可嶽の池に入りました。

 

八頭龍(大蛇)に

「食い勝った」難蔵は

龍女と共に

言両(ことわけ)山(嶽)に

住みました。

 

今でも

その池の辺りでは

激しい波の響きの奥に

かすかに法華経を読誦する声が

聞こえるといいます。(終)


 

以上が

最古の十和田湖伝説の

あらすじです。

 

深めたい箇所が

多々あるのですが

今回は話の重要な舞台である

「言両山」について

少しだけ触れさせて頂きます。

 

「言」と「両」という言葉は

特に密教では

馴染み深いもので

言両(ことわけ)という名称からは

「真言両部(しんごんりょうぶ)」

という言葉が連想されます。

 

ついでながら

奴可嶽の「奴可(ぬか)」は

糠部(ぬかべ・ぬかのべ)という

地域の名称に由来しているというのが

これまでの「定説」ですが

仏教的意味合いが込められていると

仮定するのであれば

「ナラカ」という梵語に由来して

いるとも考えられます。

 

「ナラカ」は

「奈落(ならく)」と

音写される言葉で

要するに「地獄」を意味します。

 

奴可嶽が「地獄」を踏まえて

設定された“お山”と捉えるならば

八頭大蛇についての検討も

より深いものになるように思います。

 

地獄は八熱地獄と八寒地獄

という「熱」「寒」

各々に八大地獄があるとされます。

 

八頭龍(大蛇)が

この八大地獄に通じていると

考えることも出来るでしょうし

日本神話に登場するヤマタノオロチに

仏教的意味が重ねられているとも

考えることが出来るように思います。

 

ヤマタノオロチでいえば

難蔵は書寫山(しょしゃざん)の者

とされますが

この書寫山は「スサノオの杣(そま)」

とも呼ばれます。

 

古事記や日本書紀の

いわゆる日本神話について

かつての僧侶は深く

学んでおりますので

神仏習合の様相が色濃い

“中世における”記紀神話を

踏まえていたとしても

何ら不思議はありません。

 

言両(ことわけ)山の

話に戻りますが「言両」を

「真言両部(しんごんりょうぶ)」の

意味として捉えるならば

中世における神仏習合思想の

根本を支える考え方である

曼荼羅(まんだら)について

触れなければなりません。

 

この曼荼羅の考え方は

神仏習合思想が台頭した時代の

「国土観」を見る上でも

必要不可欠のものです。

 

今回は

最古の十和田湖伝説のあらすじを

紹介させて頂きました。

 

『三国伝記』の撰者は

仏道に深く関わる玄棟であるゆえ

この書物は仏教やその背景に

ある程度通じていないと

意味を汲み取れないように感じます。

 

最古の十和田湖伝説である

「釈難蔵得不生不滅事」の

文面はかなり仏教的です。

 

それゆえに

文字として記されているものに加え

「仏教的前提」となっている部分にも

目配せしながら

次回も最古の十和田湖伝説を

見ていきたいと思います。

 

FullSizeRender 14

img_0565