【参加者募集】10/21子ども論語塾へいらっしゃいませんか?

10/21(日)午前11時〜正午

ふれあい豊山館にて

親子で学ぶ子ども論語塾が

開催されます。

 

子ども論語塾では

論語の素読(そどく)を行います。

 

親子で古典の言葉に

触れてみませんか?

 

会費:一家族500円

※テキスト代は別途となります

 

テキスト:ドラえもんはじめての論語

※会場で販売しております

 

ご参加される方は

事前にお申し込みをお願いいたします。

 

お申込みはメールか電話にて

受付いたします。

 

担当者が不在のことが多いため

メールでご連絡頂けると

ありがたいです。

 

▼お申込み先

メール fugenin643@gmail.com

電話 0178-23-2135

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保護司の研修に行ってまいりました

保護司の処遇基礎力強化研修で

青森市の保護観察所に

行ってまいりました。

 

保護司についてですが

なかなか難しいものだと

いつも感じております。

 

今回は実務的なことを

学ばせて頂きましたが

まだまだ分からないことだらけです。

 

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「おそなえ」を「おさがり」として「おすそわけ」

おてらおやつクラブの

発送作業をしました。

 

おてらおやつクラブとは

「おそなえ」を

「おさがり」として

「おすそわけ」する活動で

当山も携わらせて頂いております。

 

おもいが振り廻らされることを

仏道では廻向(えこう)といいます。

 

尊いおもいが

振り廻らされることを願い

今回も「おすそわけ」を

発送いたしました。

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マチニワにて

10/8午後

八戸市街の新スポット

マチニワにて開催された

MUGEN∞LIVEという催事の

「龍神トークショー」なる1コマで

語り手の1人として

お話してまいりました。

 

親しくさせて頂いている方々が

この催事の主催者だったので

以前よりお願いされておりまして

拙僧(副住職)も少しだけ

ご一緒させて頂きました。

 

Myojinさんによる

降臨龍神アートという

龍神を大きな紙に筆で描く

パフォーマンスが行われている間

「龍使い」という肩書を持つ

ハーモニールイさんと

二人で色々とお話させて頂きました。

 

共に語り手を

お勤めされた

ハーモニールイさんは

多彩な方でして

当山で今月より開催する

マンダラエンディングノートワークショップを

ご担当頂く方でもあります。

 

とても短い時間でしたが

楽しく過ごさせて頂きました。

 

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おいなりさま

地元では稲刈りが

本格的に始まっております。

 

当山には

境内と観音堂内に稲荷大明神が

お祀りされます。

 

お稲荷様としても

馴染みのあるこの神祇は

五穀豊穣のほか

様々な功徳があるとされます。

 

稲荷社は全国に多数あり

その総本社は伏見稲荷です。

 

この伏見稲荷は

弘法大師とも関わりのある

由緒ある所です。

 

 

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南祖坊伝説の諸相① 中尊寺姥杉

『平泉雜記』という書物に

南祖坊(なんそのぼう)が

植えたという伝えのある

姥杉(うばすぎ)について

記されております。

 

「中尊寺姥杉」の伝説として

以下のように記されております。

 


姥杉は中尊寺鎮守白山宮の傍にあり

此樹四丈八尺ありしが

今は幹も枯朽うつぼ木となれり

枝條少し残て

猶緑葉を存す

 

郷説に

昔本州南部

南宗房と云し僧

手自植しと云

 

近世此杉

根を香となし香會に用ひ

雅玩と為とかや

 

中條吉村公道奥と

名を命じ玉ひしとかや

未だ其の實否を不知

 

南宗は本州南部の産にして

康元年中(1256〜1257)の人と云り

 

慈氏菩薩の下生を待とて

鹿角郡十和田沼に入りて蛇と變じ

今に水底に居て

種々奇異の事多しろ

南部の故人語れり

 

南宗か事

予所聞を書して

別に一小冊と為す


 

ここで南祖坊は

鎌倉時代にあたる

康元年中(1256〜1257)の人であり

中尊寺鎮守である白山神社のそばに

杉を手植えし

それが約15メートルもの

大きさになったとされております。

 

白山神社の由緒によれば

慈覚大師円仁が

白山を鎮守として勧請し

自ら十一面観音を作り

それを白山権現と号したとされます。

 

この十一面観音の信仰は

奈良時代頃から盛んだったようで

“最古の十和田湖伝説”が収録される

室町時代の仏教書である

『三国伝記(さんごくでんき)』自体に

十一面観音信仰との関係が見られます。

 

白山は

石川県と岐阜県にまたがる山で

白山を開山した

行者の泰澄(たいちょう)が

越前・越知山(おちさん)での修行中

霊夢により白山へ登ることを決めます。

 

そして山麓の林泉(りんせん)で

妙理権現(白山神)と逢い

その導きにより頂上に登り

十一面観音を感得したと

伝えられます。

 

当山は永福寺発祥の地ですが

その永福寺は十一面観音を本尊とし

奥州六観音の一つとして

田村将軍によって創建されたとの

伝えがあります。

 

諸要素を仏教的視点を踏まえて

細かに見てみると

十一面観音との関係が

驚くほど多く見られます。

 

少し専門的な話になりますが

近世までにおいて

修験者や山伏をはじめとした語り手により

伝説として語られる過程で

南祖坊と青龍権現が

七崎観音(正観音)との関係の中で

本地と垂迹として

捉えられて行った

一方で

修験者や山伏ではない

僧籍を持つ僧侶が担い厳修された

法会や祈禱会などの

行法・修法においては

深秘に仕立てられた

次第に則って藩の祈願寺としての

役割を果たす中で

十一面観音立てや

不動明王、愛染明王立ての

ものを使用していたようです。

 

それは永福寺住職で

事相(じそう)の大家とされた

ご住職が残されたものを始めとした

多くの次第の目録から

推察されることです。

 

さらに拙僧(副住職)が

個人的に注目したいのは

康元という年号です。

 

康元は

1256年10月5日から

1257年3月14日までで

当時流行した天然痘を

断ち切るために

災異改元(さいいかいげん)が

なされた鎌倉中期の年号です。

 

『吾妻むかし物語』によれば

永福寺の什物には

難蔵(南祖坊)が書いた

両界曼荼羅があり

裏に難蔵(南祖坊)の名と

康元の年号月日が

記されており

それは惜しいことに

延宝年中(1673〜1681年)に

焼失したとされます。

 

ここでも

康元の年号が見られます。

 

天然痘が大流行した

康元という年号と

南祖坊が関係させられている点は

様々に検討する余地が

あろうかと思います。

 

永福寺が藩の祈祷寺と

位置づけられていたことを

踏まえて考えれば

鎮護国家

藩領安全

物故者供養など

様々な祈りが託されたがゆえの

ことなのかもしれません。

 

伊達藩の重要な寺院である

中尊寺の鎮守に

枯れて朽ちつつある杉が

南部藩の重要な寺院である

永福寺有縁の南祖坊手植えと

伝えられる杉のエピソード。

 

広く十和田湖南祖坊伝説が

知られていたことを

『平泉雜記』から

伺うことができます。

 

中尊寺はかつて

真言寺院も多くあったそうで

江戸初期には中尊寺から

永福寺に住職が

おいでになられたこともあります。

 

そういったことも

深く関わっていると思われます。

 

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姿勢に学ぶ 青森市正覚寺

青森市の

無量山 正覚寺(浄土宗)に

お邪魔いたしました。

 

こちらのご住職とは

超宗派の研鑽の場にて

ご縁を頂きました。

 

こちらでは

様々な講座を開催したり

様々な行事を開催されて

檀信徒の方のみならず

多くの方が

お運びになられるそうです。

 

正覚寺ご住職は

とても温厚で誠実な

お人柄です。

 

お話をしていて

安心させられるような

やわらかな雰囲気を感じます。

 

情熱を以て

諸事取り組まれるお姿勢に

感銘いたしました。

 

おかげさまで

色々と学ばせて頂きました。

 

▼正覚寺ホームページ

http://shogakuji.com

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霊場恐山をゆく

恐山。

 

県内ではもちろんのこと

全国的に有名な霊山です。

 

全国各地より

お集まりになられた

ご縁のある超宗派の有志の皆様と

1泊2日で恐山に赴き

研鑽させて頂きました。

 

恐山は

八葉蓮華に見立てられ

曼荼羅そのものの霊山として

慈覚大師円仁により

開かれたと伝えられます。

 

古くより

切なる祈りが捧げられている

お山であるということを

再確認させて頂いた

意味のある2日間となりました。

 

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風のあと

台風が過ぎ

しばらく続いた強風も止み

境内には境内の木々の葉が

あちらこちらに散りばめられました。

 

涼しい秋の風を感じながら

幼稚園から帰ってきた

子どもたちと共に

境内を掃き清めました。

 

まだ青い葉が多かったせいか

掃きよせた杉の葉の山は

杉の良い香りが放たれていました。

 

杉はこんなに良い香りがするのかと

驚かされる程の心地よさを感じました。

 

そのようなことに感動しながら

じっくりゆっくりと

掃き掃除をしていたもので

本堂裏手には全く手が回りませんでした。

 

続きは日を改めて

行いたいと思います。

 

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三国伝記について④“最古の十和田湖伝説”と両部曼荼羅

『三国伝記』(さんごくでんき)

巻12第12話の

「釈難蔵得不生不滅事」

(しゃくなんぞうふしょうふめつをうること)

が“最古の十和田湖伝説”とされます。

 

そのことは紀行家であり

多くの文書を残している

菅江真澄(すがえますみ)も

記しておりますし

南部藩関係の文書においても

この話が十和田湖伝説であると

記されております。

 

釈難蔵とは

「仏弟子である難蔵(なんぞう)」の意で

これが南祖坊です。

 

「南祖坊」は表記が様々で

南蔵、難蔵、南祖之坊など

書物によって異なりますが

『三国伝記』では難蔵となっています。

 

「南祖坊」の表記の違いは

音写による訛伝

とも考えられますし

字義において意味が

秘されているとも

捉えられるかと思います。

 

「不生不滅を得る」とは

話の内容を踏まえて説明するならば

「入定(にゅうじょう)」することで

専門的には

「禅定(ぜんじょう)の境地に入る」

ことを意味します。

 

難蔵は播磨(現在の兵庫県)の

書寫山(しょしゃざん)の

法華持者(ほっけじしゃ)と

設定されております。

 

書寫山は

霊峰(れいほう)として

由緒ある修行の聖地であり

多くの伝承に彩られたお山です。

 

書寫山の圓教寺(えんぎょうじ)

というお寺は

西国三十三観音霊場

第27番札所です。

 

当山の本山である長谷寺は

西国三十三観音霊場

第8番札所になります。

 

前回も触れましたが

言両山(ことわけやま)

という山が登場します。

 

十和田湖伝説関係の

研究をみると

言両を「ことわけ」と読み

神聖なるものであるという意味で

捉えられてきたようです。

 

「言両」の二文字は

密教的に深める余地が大いに

あるように思います。

 

言両を「真言両部」(しんごんりょうぶ)

の意味で捉えるならば

一層仏教的(密教的)要素が

色濃くなってまいります。

 

参考までにですが

日本屈指の霊山である

大峯、熊野、金峰山について

大峯は真言両部の峯であり

熊野山は胎蔵曼荼羅

金峰山は金剛界曼荼羅であると

捉えられておりました。

 

両部(りょうぶ)とは

両部曼荼羅のことで

金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と

胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)を指します。

 

これらは不二(ふに)なるものです。

 

曼荼羅(まんだら)と

名のつくものは数多くありますが

日本における曼荼羅は

弘法大師空海の影響が大きく

弘法大師が唐より

持ち帰られた曼荼羅を特に

現図曼荼羅(げんずまんだら)といいます。

 

曼荼羅そのものと見立てられたり

曼荼羅の思想がほどこされている山は

日本にはかなり多くあります。

 

『三国伝記』が世に出た時代の

世界観を探ることは

伝説を考える上で

非常に大切なことかと思います。

 

日本の中世は

非常に多くの“神話”が

語られた時代であり

新たな解釈で捉え直されたり

新たに創造された時代です。

 

日本書紀や古事記の

神代の物語も

仏教(密教)的要素を帯び

新たな物語が編み出されます。

 

記紀(古事記と日本書紀)において

あまり触れられていな神に

熱い視線が注がれ

本地仏の関係が見出されたり

インドや中国の神仏との

関係が見出されたり

記紀神話に登場しない神が

鮮やかに登場したりしますが

これらは神仏習合の考えを支える

曼荼羅思想を背景とします。

 

曼荼羅には

大(だい)曼荼羅

三昧耶(さまや)曼荼羅

法(ほう)曼荼羅

羯磨(かつま)曼荼羅

の四種の描き方があります。

 

仏像のような

お姿での描き方

(大曼荼羅)

 

それぞれの尊格が

宿されるみ教えを象徴した

法具などの「物」での描き方

(三昧耶曼荼羅)

 

それぞれの尊格と

根本的な尊格が

宿されるみ教えを象徴した

梵字での描き方

(法曼荼羅)

 

それぞれの尊格が

宿されるみ教えを象徴した

印(いん)での描き方

(羯磨曼荼羅)

 

これらは四種それぞれが

別々のものということではなく

別々の見方をもって

同じものを描いたものです。

 

当山に伝わる

七崎姫伝説や

十和田湖伝説にしばしば見られる

経文の一文字一文字が

剣や矢となり

対峙していたものへ

突き刺さるというストーリーの

背景にもこの曼荼羅の考え方があります。

 

剣や矢は智慧の象徴で

このように

尊格を象徴する「物」を

三昧耶形(さまやぎょう)といいます。

 

このような描写は

後世の大衆化に伴い

「仏教に無知な者」が

創作したという見方があるようですが

仏教的視点からすれば

踏まえるべきことは

きちんと踏まえての描写といえます。

 

三昧耶形としての剣や矢が

煩悩や迷いの状態を象徴する

八頭大蛇(八郎)に突き刺さると

捉えるのであれば

一見“残酷”に見えるこの場面も

み教えを宿した場面となります。

 

近世に創作された物語には

それを創作した方がいらっしゃいますし

そもそも日本の伝統芸能には

多かれ少なかれ仏教が

関係しておりますので

現在語られる所の物語の

諸要素の由来となっている

諸物語の創作者に対して

「仏教に無知」との評価は

失礼にあたるように感じます。

 

仏教に対して

どことなく美徳や善のイメージが

強いのかもしれませんが

現在の一般的な感覚からすれば

残酷と捉えられるようなものが

多々あるのです。

 

少し話を戻しまして

“新たな神話”が編み出されることに

ついても少しだけ触れたいと思います。

 

古事記や日本書紀では

登場してすぐにお隠れになった神や

名前だけが記述される神が

何柱も登場します。

 

中世にはそれらの神々に

記紀では語らていない物語が

神祇にお仕えする方により

語られるようになります。

 

現在に比してとてもシンプルな

『三国伝記』の十和田湖伝説と

多くのキャストと場面で語られる

現在の十和田湖伝説の間にも

同じプロセスが見られます。

 

伝説のみならず

お寺の世界においても

同じ次第書や論書なのですが

古い時代のものより

後世のものの方が

はるかに分量が多かったりします。

 

十和田湖伝説で

「古い時代のもの」といえば

今取り上げている

『三国伝記』のものとなりますが

現在の十和田湖伝説の

核となる部分がそこには

描かれております。

 

それを紐解くにあたり

今回は曼荼羅思想を手がかりに

“最古の十和田湖伝説”を見てみましたが

仏教的切り口は

非常に沢山あります。

 

本文について

いくつかの言葉について

触れただけにとどまりましたが

機会があれば

また紹介させて頂きます。

 

これまで4回にわたり

『三国伝記』について

少しばかり

紹介させて頂きました。

 

仏教的視点を踏まえて

十和田湖伝説を紐解くことで

とても壮大なスケールの

物語がそこにたちあらわれます。

 

今後もちょくちょく

紹介させて頂きたいと思いますので

ご興味をお持ちの方は

ご笑覧頂ければ幸いです。

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